誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

個人サイトをたたむためにYouTuberデビューした

 ほぼここ10年近くやってないのですけれど,実はこのブログはもともと「フリースタイルフットボール」という趣味が主なコンテンツだったのです。

 フリースタイルフットボールにはサッカー・フットサル,ストリートカルチャー,フリースタイルバスケ,フットバッグ,ジャグリング,等いろいろな要素が入り込んでいて面白いのですが,かなりマイナーなジャンルだと思います。

 ものすごく雑に言うとサッカーのリフティングだけを切り出してパフォーマンスにしたもの,という感じでしょうか。


2007/04/13 Challenge

これは私が撮影して未公開のままだった10年以上前の動画です。おおスリム…しかし最初からいきなり手を使ってますね。まあ実際はかなり何でもありです。

 さて,以前は個人サイトで動画もすべて公開していたのですが,運営が面倒になったのですべてYouTubeに移すことにしました。私の動画はどちらかというと辞書的な側面が強いので知らない人は見ていてぜんぜん楽しくないでしょうが,意外と資料的価値があると思うので…用語集もいずれどこかに移したいんですけど,手間がかからないところとなると考えどころですね。

スターやお気に入りの使い方とコミュニケーションについてちょっとだけ

はじめに

 これまでブコメでIDコールをもらった時は,1) IDコール付きでそのままブコメに追記するかメタブで返事,2) 返信が長くなる場合はブログに新しく記事として書く,3) 返信が難しい,時間がかかりそうな場合はとりあえずスターを付けておく(そのままのものもあったかも…),4) 反応のしようがない罵倒等はリアクションせず,のように対応していた気がします。ただそもそもあまりはてブではネガコメ(懐かしい響き)やIDコールをもらった覚えがありません。

https://anond.hatelabo.jp/20181004111110anond.hatelabo.jp

スターやお気に入りの「既読」機能

 さて,上記のブコメにも「読んだ/見たという意味でスターを付ける」というものがいくつかありました。この「既読」としての使い方は,Twitterの「お気に入り」でも見られるものかと思います。私はあまりFacebookでやりとりをしないのですが,あれの「いいね!」はどうなんでしょうか。私の感覚だと単なる既読よりはもうちょっとポジティブな意味合いが強い気がするのですが。

 ただ,ほんとうに純粋な既読マーカーとして使えるかというとやはり「スター」や「お気に入り」のような名前が付いていると難しいですかね。実際,罵倒や誹謗中傷,反応に困るような内容のコメントにはやらないという人もけっこういるのではないでしょうか。

 この手の「お気に入り」系の機能については人によって使い方や受け取る意味合いが違うこともあって,むかしからディスコミュニケーションやトラブルが絶えない気がします。私も “unlike” のような表現絡みで少し書いたことがあります。

dlit.hatenablog.com

 ところで,はてなブログでコメントにもスターが付けられるのは良いですよね。これは私が基本的にコメント放置気味の書き手だからそう感じるのでしょうけれど。

コミュニケーションとの関わり

 コミュニケーションを詳細に分析する上では,このような「お気に入りに入れる」系の操作も(日常会話の分析で身振り手振りや視線が分析対象になるように)考慮しなければならないのかなあということを以前からぼんやりと考えているのですが,どうデータを取るかがなかなか難しいというところがあります。

 平本 (2008)では「コンピューターを介したコミュニケーション (Computer-Mediated Communication: CMC)」の分析の手法として「視線を画面に」や「マウスを動かす」といったコミュニケーションの参加者の行為までを記述・分析の対象にすることを提案・検討していますが,実際やるとなるとかなり大変そうです。

 CMC研究はこういうサービスやツール独特の機能の取り扱いにいろいろ悩まされるのですよね。たとえばLINEのスタンプも言語学の枠組みで考えるとすると工夫が必要です。絵文字だと文字言語と併用されているものについてはこれまでの研究の延長で扱えるところがありますし実際そういう研究もあるのですが(たとえば文字言語では表せないパラ言語的特徴を担っているとか),スタンプは仕様上必ず1つの発話になってしまうので…しかも絵だけのものと中に言語が組み込まれているものがありますし。

おわりに

 研究ではこういう難しいところがおもしろさであったりもするので良いのですが,実際のコミュニケーションの参加者としては,ややこしいなあとかいっそ廃止してほしいとか感じるのも当然かと思います。

 たとえば誰かが使い方(の方針)を提案して,それが影響力の強い人によるものであったり,すごく理に適ったものであったりしても,すべての人がそれに従うわけではないというのがコミュニケーションや人間の集団(社会?)の常ですしね。

 もちろん,より良い付き合い方を発見できれば何よりなのですけれど。

引用文献

平本毅 (2008)「電子メディアを通じてことばはいかにして話されるのか」『メディアとことば3』, 174-200, ひつじ書房.

「全員野球(内閣)」と野球を使ったたとえについてちょっとだけ

 下記のような記事を読む度に思うのですが,こういう非常に広範な人(今回は国民全員のはず…)をターゲットにしている文脈で野球をたとえとして使うのってどうなんでしょうか。これってけっこう古い感覚なのではないかと考えています。

mainichi.jp

 ある特定の分野や知識に依拠したたとえは,それをある程度知っている人にとっては理解の助けになる可能性がありますが(ただうまく使わないと誤解や反発を招くことも),それ以外の人を切り捨ててしまう可能性もありますよね。

 「全員」が付いているから意外とある程度意味の推測はできるのでしょうか。でも下に挙げる「全員野球」のニュアンスは野球をある程度知っていないと意外と伝わりにくいような気がします。

もう少しくわしく

 さて,辞書には「全員野球」で項目がありました。

①野球で,正選手や投手など一部の戦力に依存するのではなく,チーム全員で一丸となって勝利に向けて力を尽くすこと。
②転じて,関係者の全員が一丸となって物事に取り組むこと。「—で政策実現に取り組む」
『大辞林』

 「ストライク(ゾーン)」「直球」「変化球」等,野球発祥で日常の表現として定着しているものも多いのですが,この「全員野球」はどうなんでしょうか。

 試しにBCCWJ(現代日本語書き言葉均衡コーパス)で「全員野球」で検索したところ5件しかヒットせず,すべて野球に関する文脈でした。思ったより少なかったです。比較的新しい表現なのでしょうか。少なくともそれほどたとえとして定着している表現とは言えないような気がします。

 webでも少し検索してみたのですがどうも政治家が使っているという指摘が散見されます。上の大辞林の用例も政治の文脈ですね。

www.data-max.co.jp

おわりに

 先日も記事を書いたように私自身は野球が好きです。だからこそ気になるというか。もうとても「国民的スポーツ」とは言えないというのが私の実感です(そうあってほしいとも思いませんが)。

dlit.hatenadiary.com

また,以前自分でも野球のたとえを使ったこともあります。

dlit.hatenadiary.com

この記事にも書いたんですが,やっぱりこういうたとえって難しいなと思います。特定の人にだけ届けばいいやっていう場合は良いのでしょうけどね。

追記(2018/10/03)

 ブコメいろいろ面白かったです。ありがとうございます。

b.hatena.ne.jp

 コメントを読んでいて思ったのですが,むしろ野球にそれほどなじみのない方の方が「全員で一丸となって取り組む」というようなポジティブなニュアンスをすんなり読み取れるということがあるかもしれませんね。

 野球で「全員野球」という表現が使われる文脈には主に 1) 絶対的なエースなど飛び抜けたプレーヤーがチームに存在しない,あるいは個々の能力はそれほど高くない(のでチームワーク等でカバーする),2) いわゆるスタメンだけでなく控えの選手も多く試合に参加する,の2つがありそうです(この2つが重なることもありますし,もっと細分化できるかもしれません)。野球に詳しい方だと特に1)の文脈でネガティブなニュアンスを受け取ってしまうというようなこともあるのかもしれません。

追記(2018/10/05)

 ブコメで教えていただきました。

business.nikkeibp.co.jp