誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

書評についてちょっとだけ余談

下記の記事で言及もいただきましたのでちょっとだけ。

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ちなみに,私はどちらも未読なのでここで取り上げられている本とその書評(?)の評価などはしません。

書評の対象

ブコメにも書きましたし,この記事のツリーにも似たような指摘がありますが,学問分野の専門書ではかなり厳しい書評が書かれることもそれほど異例ではないと思います(少なくとも酷評されたということだけを根拠にトンデモと判断するのは難しい)。詳しい研究トピックに関するものだと「かなり抑えて書いてるけどそうとうお怒りだ」のように感じ取れることもあったり。どれぐらい厳しい表現を使うかは研究者によるといったところでしょうか(過激すぎると表現に対する修正のお願いが入ることもあるとかないとか)。

ただ,研究者が書く書評に誉めているものが多いと見える場合もあるでしょう。分野にもよるでしょうけれど,基本的に専門書の書評対象は選抜があるからではないかと思われます。つまり,ひどい内容の本だと書評の対象になる可能性がそもそも低いのですね。

ここであわてて補足しておきますが,「書評の対象になっていないので内容が良くない」という逆の推論をすることは難しいです。なぜかというと書評の対象は内容の良さだけでなく,学会誌であれば会員に向けて紹介した方が良いかどうかというような要因も関わってくるからです。学会誌の書評の選定業務に関わったことがあるのですが,「言語学」という分野内でも「ここだとこれが選ばれないのかー」と思ったことがあります。こういう事情が背景にあって,少なくとも私の感覚だと,同分野の複数誌で書評が書かれるのは「すごい」という印象があります。

さて,今回話題になっているもののように,査読誌・学会誌だけでなくいわゆる紀要論文に書評が出ることがあります。私はやったことがありませんが,書いた経験がある方から聞いた話だと「書評者に選ばれなかったけど書きたかった」「早く書評を書く必要があると思った」という理由が挙げられていました。他にも,私の関わっている学会誌だとけっこう分量制限が厳しいので,詳細な書評を書きたいような場合はだいたいその辺り縛りが緩い紀要に出すという選択肢が出てくるのかもしれません。

金谷武洋氏への批判

言及していただいたことは大変ありがたく思います。さいきんも新しい著作が出ているようなので,氏の主張が気になる方はよろしければご覧下さい。

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ただ,本筋とは関係ないので概略的な紹介になったのでしょうけれど,私が金谷武洋氏を批判しているのは「日本語の研究に主語(という概念)は必要ない」という主張をしたからではありません。この辺りについてはややこしい話もあるのでFAQの記事でも言及してます。

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ちなみに,私が金谷武洋氏を批判しているのは,上の2つ目の増田にも書かれているように一般向けに出版されたものだからです。当時この記事を書いた後に研究者と話をしたら「そんな本が出てるの知らなかった」「読んでない」という反応の方が多かったです。専門書も今はかなり多くのものが出ていて,さいきん出たもので「言語学に関わる分野・領域の研究者のほとんどが読んでいる専門書」はむしろかなり限られるのではないかと思います。

音象徴研究

「音象徴」(とそれに関係してくるような諸々)は,どうも人のロマンを刺激しやすいようで怪しい話も定期的に目にしますが,しっかりした方法論を用いた研究ももちろんあります。オノマトペ絡みが特に一般的にも怪しい話が多いので,専門書ですが下記をおすすめしておきます。

オノマトペ研究の射程ー近づく音と意味

オノマトペ研究の射程ー近づく音と意味

私が学会誌に書いた書評の紹介記事

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【宣伝】『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 第1巻「する」の世界』が発売されました(編集+論文の執筆を担当)

情報が出てからだいぶ時間が経ってしまいました。刊行が遅れたのは私が編集の業務をしっかりと実行できなかったところに起因するところが大きく,申し訳ありません。

詳細はひつじ書房のページから見ることができますが,目次はこちらにも載せておきます。

  1. 不定(形)としてのル形と「か」選言等位節(田川拓海)
  2. スル・シタ・シテイルの意味をめぐる3 つの問い(有田節子)
  3. 「する」が未来を表す場合(仁田義雄)
  4. 一人称単数主語の場合の心理動詞の使用に関する考察(伊藤龍太郎)
  5. Irrealis としての接続法と未来(和佐敦子)
  6. 中国語の「する」と「した」と「している」(井上優)
  7. 日本語と韓国語のテンス・アスペクト形式について—「シテイル」形との対応関係を中心に(高恩淑)
  8. テンス・アスペクトの教育(庵功雄)

テンス・アスペクトは言語学の研究において重要かつ蓄積も多い研究領域ですが,日本語研究においてもテンス・アスペクト研究は人気があります。研究に歴史がある分ある程度「スタンダード」とされる見方もあるわけですが,本シリーズは,そのような「スタンダード」をベースとしない研究によって,日本語のテンス・アスペクト研究にもまだまだ課題や未開拓な領域がいろいろあることを示すものになっています。

このように,シリーズ全体が挑戦的な課題を持っているのに加えて,第1巻は「する」(ル形・終止形)をメインにしていること自体が特徴的だと言えます。もちろん「する」を対象にした研究もこれまでいろいろなされてきたのですが,特にテンス・アスペクト研究では「(し)た」・「(し)ている」に焦点が当てられることが圧倒的に多く,やや厳しい言い方をすれば,「する」の特性や位置付けは「(し)た」・「(し)ている」に合わせた便宜的なもので済まされることも少なくありません。

一方で,「する」は基本的には「無標」な形なので,どのような側面に光を当てて研究すればよいのかという点では難しいところもあります。この巻に収録されている研究は,さまざまなアプローチ・現象・対照する言語から「する」の特性に迫っていますので,その難しく面白い世界をぜひ味わってもらえればと思います。

最後に,せっかくなので私が書いたものについてちょっとだけ解説しておきます。

私の研究では,日本語における「する」を「不定形」と考えることは妥当かという視点から,用語と関連現象の整理,等位節を使ったケーススタディーを行っています。生成統語論の詳しい話はあまり出てきません。

私の知る限り,「する」を分析の都合上不定形と仮定しておくという研究はそれなりにあるのですが,「する」(の一部)を不定形として積極的に位置づける研究はあまりありません(私の力量不足で取り上げられなかった古い日本語の研究ではまたちょっと事情が違うみたいですが)。実は,その限られた研究の1つが以前書評を書いた三原建一『日本語の活用現象』だったりします。こういう背景もあって,書評内でも不定形の扱いについて書きました。

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私が今回書いた中では,「不定形かどうか」を議論するためには用語や概念をかなり丁寧に整理した方が良いよ,ということと,定義によっては「不定形」としか考えられないような不思議な「する」もある,という辺りがこの問題にとっては重要でしょうか。

読んだ方はあまりはっきりした結論がなくてもやもやするかもしれませんが,私ってどうしてもこういう「みんなが困るだろうパズル」の存在を示すタイプの研究が好きなのですね。で,自分も困っているという。この中で示している等位節絡みの現象は,けっこう面白いと思いますので文法と形態の関係に興味のある方はぜひ考えてみて下さい。

私が「不定形」について何か書いておこうと思ったきっかけの1つに,(動詞の)連用形の研究をしているとときどき「連用形ってつまり不定形/不定詞でしょ。それ以上に何かやることあるの」みたいなことを言われる,ということがあります。でも,よく性質が分からないAについて「Bと考える」ことによって解決するのは,Bの性質がよく分かっている場合ですよね。そもそも「不定形」を認定するかどうかで議論がある日本語を除いて考えても,「不定 (non finite)」とか「不定形」ってけっこう扱いがやっかいで,そんな簡単なものではないのです。このことは,他の研究者で賛同してくれる方もこれまでそれなりにいたのですが,和文文献ではっきり書いてあるものが意外とないような気がしたので自分で書いてみることにしました。

さらに重要なのは,「不定形(と呼ぶ)かどうか」が重要なのではなく,関連する言語現象の記述と分析を進めるべきというところですね。「日本語の現象の一部を「不定形」と呼ぶことは、Bloch (1946)の時代であれば卓見であったが」のような,(論文ではおとなしめの)私にしては強い表現を使っているのはこの辺りのことを強調しておきたいと思ったからです。

大連滞在雑記(地下鉄とかキャッシュレスとか)

大学の国際研修科目(だいたい10日ぐらいの日程で,学生交流や授業見学,現地の企業訪問などを行う短期のプログラム)の引率で中国大連に滞在中です。

大連大学に宿泊していてほとんど大連の市街地には行かないので中国の今の街の状況が分かるというわけではないのですが,今回の滞在でちょっと気付いたことなど書いてみます。ちなみに私はこういう記事を書くのに慣れていないこともあって,写真がぜんぜんありません(研修の記録用の撮影しかしてない)。

地下鉄

この科目の引率は4回目なのですが,今回はじめて地下鉄に乗りました(これまでは車やタクシー,バスでの移動が多かった)。

まず良いなあと思ったのは,エスカレーターでどちらか片側に人が乗るということがなく,両方に人が乗っていて歩く人がほとんどいないということですね。4, 5ぐらいの駅しか行っていないのですが,比較的大きめで利用者が多い駅でもそうでした。日本(特に東京)もだんだんそうなると良いですね。ちなみにあまり大きなところには行ってないのですが,スーパーなど店内のエスカレーターもそう使われていると感じました。どちらに乗るか気にしないで良いというのは楽ですね。

あと,たまたま滞在中に下記の記事が少し話題になっていましたが,大連の地下鉄も相対表記(「到着まであと〜分」のようなやつ)でした。

www3.nhk.or.jp

私も日本では時刻表記に慣れきってしまっていますが,慣れない土地だと相対表記が楽かもと思いました。特に海外だと他に気にすることが多いので,アプリとか時刻表を見るだけでも手間ということはあるのではないでしょうか。

ちょっと驚いたのは,高速鉄道とかではなく地下鉄でも乗る前に手荷物検査がありました。機械にさっと通すだけであまりボトルネックにはなっていないようでしたが,東京なんかでやると大変そうと思ってしまいました。新幹線で導入するという話があったかと思いますが,どうなるんでしょう。

キャッシュレス決済

2年前に来た時からほとんどそうなっていましたが,現地の人はもうほとんどキャッシュレス決済しか使ってないのではないでしょうか。学内のものすごく小さな売店とかでも例外なく使えるのがすごいですね。大連大学は元々プリペイド式の支払い方法しか使えない学食とかあったのですが,学内にたくさんある学食でも学生・教職員問わずスマホで支払いをしています。

2年前と違うのは,どの店舗でもいちおう現金も受け付けてくれるのですが,大きな金額で払おうとすると「今おつりがない」と言って断られたり,他の店舗におつりのための現金を借りに走り出したりということが多くなったと感じます。やっぱり現金を扱うこと自体がどんどん減ってきているということなのでしょうか。

中国の主要なキャッシュレス決済は外国人だと使いにくいというのが難点だったと思うのですが,外国人も使えるようになってきている,あるいはこれからなっていくようで,待ち遠しいです。キャッシュレス決済が使えるようになれば,現金が使える店舗なのかどうかとか,100元札をどこで崩そうかとか悩まないで済みます

余談ですが,沖縄の美ら海水族館内のレストランにクレジットカードやSuicaは受け付けていないのに中国のキャッシュレス決済は使える店舗があったのが印象に残っています。確かに,海外で現金使うの大変ですもんね。

日本でもかなりキャッシュレス決済の対応が広がってきているという感触がありますが,消費者としては選択肢が増えるとありがたいです。あまり焦点が当てられているのを見たことがないのですが,たとえば小さい子供と一緒に行動している時(特に1人で)は,キャッシュレス決済で一瞬で支払えるのはホント楽なんですよ。子育てとキャッシュレス決済の話はまた改めて書きます。

そのほか

よく中国の方からも「料理があぶらっこいのでは」と心配されますが,私は10日ぐらいの滞在ではぜんぜん気になりませんね。むしろ安くておいしい料理が気軽に食べられるので嬉しいです。学食なんかだと5-10元ぐらいでじゅうぶん満足できます。日本もせめて学食ぐらいはこれぐらいのお手軽さにならないかなあ…

学食や大学回りの飲食店だと,日本の中華料理店ではまず食べられないだろう料理がいろいろ食べられて楽しいですね。私が中国ではじめて料理を食べた時に強く感じて,今でも良いなと思うことの1つに,料理で使う野菜の種類の豊富さがあります。私は中国は北の方しか行ったことがないのでまた地域によってもいろいろあるのでしょうけれど。日本の中華料理店もおいしいところはたくさんありますが,これは実際に少し中国に滞在してみないとなかなか体感できないのではないでしょうか。