誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

「父親」と「授乳室」

下記に挙げられている写真だけではなかなかあれこれ考えるのが難しいところもあるかと思います。

ここでは表示が「BABY ROOM」となっていて,外来語で「ベビールーム」という名称を採用している施設もけっこうあると思うのですが,内部がどのような構成になっているかはどうもいくつかのパターンがあるようなんですね。

今ではもうほとんど利用することはありませんが,かつて利用していた際は,ベビールームの内部にさらに「女性」のみ立ち入りができる「授乳室」があって,父親も入れるスペースの方におむつ関係の設備や,ミルクを作る設備が置いてあるというところが多くて助かりました。でも確かにベビールーム全体が男性立ち入り禁止になっているところもありましたね。それまでの慣れであやうく入ってしまうところでした。

入ったことがないので詳しくは分からないのですが,名称は「ベビールーム」のようになっていても,実質的にはほぼ授乳室で男性を入れるのが難しいというようなパターンもあるのではないでしょうか。もしそういうことがあったとして,その理由にもスペース上の問題があるとか,男性の利用があまり想定されていないとか,いろいろ(もしかしたら複数)あるのかもしれません。

新しめの施設では男性用トイレにもおむつ交換用設備があるところが増えていて私も助けられた経験がありますが,施設によっては今でも女性用トイレの方にしかそういう設備がないというところもあります(実際困った経験も)。いわゆる「誰でもトイレ」はやはり数が少ないですし,あっても大型商業施設では使うまでだいぶ並ばなければなんてこともあるんですね。

ミルクを作る用のお湯は事前に準備して出かけるというやり方もあるのですが,そういう時期はほかの荷物も多くて大変ですし,追加でほしいなんてケースもあるかもしれません。今後できるだけ「女性」以外でも利用できるような形態の施設・設備が増えると良いなと思います。お金がかかることですし,施設によってはなかなか改修できないなんてこもあるかもしれないので,実際は大変なんでしょうけれど。私の見かける範囲では,男性用トイレでおむつの交換してる人,珍しくないですよ。

追記(2020/08/27)

ちょっとよくわからないのだが、単独、つまり赤ちゃんも連れずに男性が一人でベビールームに入りたい理由とは?
mori99のブックマーク / 2020年8月27日 - はてなブックマーク

たしか妻が子供とベビールーム外にいて,私が一人でベビールーム(女性以外も立ち入り可のスペース)でミルクを作ったことがあったかと思います。ただ詳しい状況を覚えていないのでどれぐらい急に迫られていたかはよく分かりません(必ずしも一人で入ることが必須ではなかったかも)。

2020年に子育てをしている親として『となりのトトロ』についてちょっとだけ

はじめに

東京で子育てをしています。子供は4歳でちょうど『となりのトトロ』のメイと同い年です。過去に『となりのトトロ』は何度も見ましたが,やはり親になってから見ると見え方も変わってくるなと思っていたところに下記の記事を読んで少し思うところがありましたので,自分のためにもちょっと書いて整理しておきます。

p-shirokuma.hatenadiary.com

うちの子供もさいきん『となりのトトロ』にはまっています。プレゼントでDVDをもらったので,やろうと思えばかなりの頻度で見れちゃうんですよね。どれぐらいはまっているかというと,夕食前のような時間のない時に突然「トトロ見たい」と言い出して「プリンセスソフィア1話(20分強)で手を打たないか」みたいな交渉が発生したり,寝かしつけの時にはトトロの絵本をほぼ必ず読んだりしています。この本,100ページ超でサイズもでかいので早く寝てくれないとかなりつかれます(仰向けで持ち続けると腕も…)。

となりのトトロ (徳間アニメ絵本)

となりのトトロ (徳間アニメ絵本)

  • 作者:宮崎 駿
  • 発売日: 1988/06/01
  • メディア: 大型本

「今」とはどう違うか

上に書いたように子供がメイと同い年という以外にも,私が父親で大学教員(研究者)であるというようなこともあって,重ねて見てしまうところがあります。たとえば,メイがはじめてトトロに会うところを見ていると,ああやって研究・執筆に没頭はできないだろうなあとか思ってしまいます。

令和の子育て目線で『となりのトトロ』という作品を振り返ると、全体的に許されない感じが漂っていて、およそ、心穏やかに見ていられるものではない、はずである。
"本当は正しくない『となりのトトロ』"が、受け入れられている - シロクマの屑籠

たしかにいくつかのポイントで「今の自分には同じようにはできないな」と思うのですが,そんなに心乱されることはないですね。でもこれは過去に何度も『となりのトトロ』を見ていて慣れてしまっているからで,子供が生まれた後にはじめて見るという状況だったらまた感じ方も違ったのかもしれません。

しかし上記の記事のはてブコメントにも書いたのですが,これ,「昭和」と「令和」でそんなにざっくりと比較できるようなことなのでしょうか。実は私がタイトルに上記の記事を受けて「令和」と書かずに「2020年」としたのは「昭和」「令和」という表現(によるくくり方)を使うこと自体がすでに比較可能であることを前提として受け入れさせてしまう効果があるのではないかと感じたからです(他の問題でも同様の感想を抱くことがあります)。

私は,あの『となりのトトロ』の世界にあまり郷愁を感じないのですね(あれが「郷愁」なんだという知識は喚起されます)。ただこれは私が沖縄出身だからということが大きいでしょう。私にとっては田んぼよりさとうきび畑が郷愁を誘うものですから。ただ沖縄出身の人でもさとうきび畑にあまりそういう思いを抱かない人もいるでしょう(私の実家は小さい頃本当に目の前がさとうきび畑でした)。

dlit.hatenablog.com

沖縄は日本の中でもかなりの「異境」だとしても,こういう論を読むと一口に「日本」とくくるのは難しいような地域差が実はあるのではないかということをどうしても考えてしまいます。一方で『となりのトトロ』がそういう実際の差をこえて「日本人(を自覚する多くの人)」に同じような郷愁を感じさせるということがもしあるのならそれはすごいことなのかもしれません。

子育ての窮屈さ

子育てを4年ぐらいしてきて,確かに情報が多く大変ということはなくはないのですが,医療や技術,道具などが発達して今はかなり便利・楽になったことが色々あるんだなということを強く感じます。

私が子育てに窮屈さを感じるのは,むしろ上記の記事にも出てくる,子育てに関する考え方や行動を「正しさ」の枠にはめる言説に触れた時です。おそらく論の展開のためにある程度レトリカルに書いているのではないかと推察しますが,「まともな父親」といった表現の方が,『となりのトトロ』に出てくる子育てに関するあれこれよりよほど私の心をざわつかせますね。

ただこれも人によって違って,かえって「正しい」「正しくない」ということをどこかで誰かが言ってくれる方が楽という人もいるのかもしれません。私は研究者ということもあって情報を調べたり本を読んだり集めた材料をもとに考えることにある程度慣れている方だと思いますが,それでも子育て関連の情報収集や方針の決定はつかれますから。

私は,上記の記事は「令和の親」の大変さを理解しているように見えて,結局子育てを「正しさ」の枠の中で論じてしまうことの正当性を強化しているのではないかと感じてしまいました。私の読みが浅いのでしょうか。

「豊かさ」とは何か

もう1つ上記の記事で気になったものに,「昭和社会の子育てにあった豊かさ」という表現があります。何がその「豊かさ」なのか書いていないので何となく紋切り型の表現に思えてしまいます。

具体例を見ればなるほどと思うようなことなのかもしれませんが,今回の記事に限らずこういう表現が用いられる時に考えるのは,本当にその物事は「豊かさ」と言えるものだったのか,なくなったからこそ豊かだと感じてしまうのではないかということですね。

子育てをしていると「昔はそんなに大変じゃなかった」的な言い方をされるということはあって,確かにそういう側面もあるのかもしれませんが,たとえばアレルギーのような場合によっては命に関わるようなことも軽く扱われると困ってしまいます。余談ですが,私の子供はけっこうきつい喘息の症状がかつてありました。かかりつけ医のちゃんと薬を使って早く治そうという方針のおかげで今はほとんど症状も出ないぐらいになって大変感謝しています。

おわりにかえて

雑感を列挙しただけですので,特にまとめのようなものはありません。

『となりのトトロ』を親になってから見てはじめて思ったことに,さつきとメイの親はとことん叱らない/怒らないなーということがあります。私は日々けっこういろいろなことで子供を叱ったり怒ったりしていてその後後悔したり落ち込んだりすることもありますので,この点でトトロの世界が「理想的」だと感じてしまいます。

戦争に関する資料や語りの思い出とこれから

※後で追記・修正するかもしれません。

はじめに

しばしば書いているように,生まれてから18歳まで沖縄にいてそれから関東に出てきたので戦争に関してはいろいろ思うところがあります。毎年この時期はメディアでも戦争関係の特集が多くなりますが,そういうものに触れているうちに自分が戦争(ここでは太平洋戦争)に関する資料や語りに触れた記憶を整理してみようと思いました。戦争に関する資料や事実などについては,メディアや研究者などから多くの情報提供があるでしょうから,一ブロガーとしてはこういうのも良いかなと。

長崎や広島に行った話も出てくるのですが,新型コロナウイルスはこういう活動にも影響がありそうですよね。今ならデジタルアーカイブとか,web経由である程度のことはできるのかもしれませんが,やはり戦跡や資料館や戦争経験者の語りに生で触れるインパクトはまだまだ貴重なものなのではないかと思います。

なお,以下ほぼ私の記憶だけで書きますので事実とは異なっている可能性もあります。沖縄には1979年から1998年まで住んでいました。ずっと沖縄市です。

沖縄南部戦跡巡り(小学生)

小学校6年生時の修学旅行(と呼んでいた気がします)のメインは沖縄県内の南部戦跡巡りでした。ちなみに沖縄市立美里小学校出身です。

沖縄では小さい頃から戦争の資料や映像に触れる機会が多くありますし,確か事前学習のようなものもあったので知識としてはすでに色々知っていたのですが,体験として強く印象に残っているのは,ガマ(洞窟)と,「ひめゆりの塔」で聞いた戦争体験者の語りでした。かなり昔のことなので詳細は覚えていないのですが,淡々とした語り方だったという印象があります。今振り返ると,体験を語ること自体の重さに触れたというか。

「沖縄師範健児之塔」(いわゆる「健児の塔」)に行ったのもよく覚えています。「ひめゆりの塔」の方が象徴的な存在というか,取り上げられる優先度が高いという感覚があったので,「健児の塔」にもちゃんと行けたということで記憶に残っているのかもしれません。

当時,まだ「平和の礎」はありませんでした。最後はまだ「美ら海水族館」がない海洋博記念公園で少し自由時間を取って終わりという修学旅行でした。そういえば首里城もまだ再建されてなくて,「守礼門」だけ見た記憶もあります。

沖縄市「平和大使」で広島へ(たぶん中学2年)

沖縄市に「平和大使」という活動があります。確か当時は沖縄市役所に「平和振興課」という部署があったと思うのですが,調べてみたら今はないようです。でもこの活動は続いているみたいですね。

www.city.okinawa.okinawa.jp

私は沖縄市立美里中学校の代表として広島へ行き,現地の中学生との交流を行いました。当時は対象の中学校ももう少し少なく,また各校の代表も1名だったと記憶しています。

広島で一番強烈だったのは,なんといっても「広島平和資料館」の原爆関係の資料です。これも事前学習で色々調べたりしてはいたものの,その実際の迫力には圧倒されました。あれ,広島や近隣の小中学生はみんな行くんではないかと思うんですが,人によっては強烈すぎてダメだったりしないんでしょうか。

修学旅行で長崎へ(中学3年)

中学校の修学旅行は九州縦断旅行という感じだったのですが,その中で長崎にも行きました。やはりというか修学旅行なので戦争関係のところを巡ったようです。その中では「平和祈念像」が一番印象に残ってますかね。「原爆資料館」も行ったと思うのですが,広島の資料館を体験していたからかそこまで強烈な記憶とはなっていないようです。

長崎では確かグラバー園にも行ったのではなかったかな。とにかくスケジュールがタイトでそれぞれの場所で取れる時間もあまりなく,戦争・平和が修学旅行自体のメインテーマというわけでもなかったからか,そこまで強い印象が残っていません。ただやはり沖縄,広島を体験して次は長崎だと思っていたので行けたこと自体嬉しかったという記憶が残っています。

東京(これから)

ところで,関東,特に東京に住むようになって感じるのは,ここでの「戦争」で出てくる話で多いのは空襲の話ということなんですよね。東京で戦争関係の施設にはまだ行ったことがないので,子供と一緒に行ってみたいと考えています。

中国大連(大学院修了後)

大連での国際フォーラムに参加する中で,大連市にある日本に関係する旧跡(旧満鉄社とか旧大連ヤマトホテルとか)を見学する機会を得ました。

まったく面識のなかったポスドク(非常勤の研究員)の私を一行に加えて下さった土岐哲先生には大変感謝しています。当時苦戦していた就職に関しても励ましていただいて,常勤職を得ることができたら報告したいと思っていたのですが,ついにその機会を得られなかった(その後も苦戦したため)のが今でも心残りです。

おわりに

今回整理してみて,いろいろな偶然,幸運があったのが大きいのですが,けっこういろいろな体験ができているのではないかと思いました。

多くの人に同じ体験をしてみてほしいというわけではありませんが,もし似たような機会を得たら,ぜひ大切にしてください。今回個人的な記録がぜんぜんなくて残念に思ったので,できればメモ等整理しておくと良いのではないかと思います。

ただ,やっぱり戦跡や資料,語りは体験することが何よりも貴重なので,その場では体験することに時間を使うことをおすすめします。