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歯切れが悪いのは仕様です。

日本学術会議の任命拒否の件について40代人文系(たぶん)研究者の雑感

追記(2020/10/12)

補足記事を書きました。

dlit.hatenadiary.com

はじめに

当初,この問題が出てきたときはここまで多くの人の興味を引くとはまったく予想していなかったので驚いているというのが正直なところです。そのおかげか,日本学術会議の位置付け,性格や歴史,今回の件の法的,手続き論的な問題点などについても詳しい人が色々説明や情報発信をしてくれていて私自身改めて勉強になったことも多いです。さいきん情報が多すぎて追いかけきれなくなってきましたが…

私の方で新しく付け加えられる新しい情報や議論はないのですが,1人の研究者/大学教員(助教)としてはやはり何か書いておきたいと重い,ある体験談を中心にいくつのことについて書き散らすことにしました。

この記事だけ読む人もいるかもしれませんので簡単に自分について書いておくと,言語学,日本語学が専門の研究者/大学教員です。今までも何度か「人文系」について書いてきた体験から言うと,実は言語学はどうも「(王道の)人文系」に入るかどうか人によってけっこう判断が違うという実感があります。ただ,制度的には「人文系」に入れられることが多いですし,日本学術会議関連で言っても,たとえば総会では「第一部(人文・社会科学)」,分野別委員会では「言語・文学」が一番関わりが深そうなところですのでタイトルでは「人文系」を自称しました。

問題について簡単に

政府は今回の任命拒否の理由や事情について,できるだけ詳細に説明するべきだと考えています。たとえ今回拒否された一人一人について個別の説明が難しいとしても,具体的な基準や理由を示すべきでしょう。それが研究業績なのか過去の何らかの活動なのか,それが何であるにせよ明らかにならないままずるずるなんとなく事が終わるとまずいのではないでしょうか。

手続きや法的な点での問題はすでに多くの人が指摘していると思いますが,やはり研究・学術に関わるところではnext49氏が指摘している次の問題が気になるところです。思ったよりはてブ数のびてなかったので紹介しておきます。

next49.hatenadiary.jp

今回は「人文系」に焦点が当たっていますが,こういう非明示的な根拠に基づく任命拒否が可能だとすると,ほかにも様々な件で好き勝手な介入ができちゃうのではないかというのが心配なのですよね。

いわゆるニセ科学問題関連で言うと,日本学術会議は「「ホメオパシー」についての会長談話」というのを出していて明確にその問題点を指摘していますが(下記のページの中央よりやや下「会長談話」のところにあります),

www.scj.go.jp

こういうニセ科学に否定的な,あるいは批判的な提言等を行った研究者を任命しないといったことも可能になるわけですよね,しかも具体的な理由や説明抜きで。たとえば今後ニセ科学に親和的な政治家が首相や文部科学大臣になって,そういう介入を許すきっかけを与えてしまうことにならないでしょうか。

私はぱっと思い浮かんだのがホメオパシーの件だったのですが,皆さんも自分の身近な問題に引きつけて考えてみてはどうでしょうか。自分の分野や立場に限ってそんなことないと思うかもしれませんが,今後首相も政権も変わるのですよ。まずい手続きの方法や抜け穴的なやり方はできるだけ残さないようにするのが,あらゆる立場の人にとって結局は良いのではないかと思います。

日本学術会議と研究者/大学教員

さいきんのwebを見ていると日本学術会議は学術界のトップに君臨する強大な権力/権限を持った組織という感じさえしていますが,私が抱いている印象はだいたい一貫して「実はけっこういろいろ活動してるのに存在感薄いよな…」というものです。ちなみに何やってるか分からない的な意見もけっこう見かけましたが,サイトでこれまでに出された提言や議事要旨など丁寧に紹介されてますよ。

www.scj.go.jp

トピックによっては特定の提言や談話などが話題になるのはこれまでも見てきましたが,大学教員をやっていて(といってもまだ10年ぐらいですが),ふだんの業務の中で日本学術会議の活動がなんというかそこまで身近だったことがありません。会議とかでイベントや提言が紹介されたりはするんですけどね。

日本学術会議に関して私が強く印象に残っているのが,以前下記の記事に書いたイベントに参加した際,ほかの複数の研究者/大学教員から「真面目だね」といったなかば揶揄するようなことを言われたことです。そこまできちんと確かめたわけではないのですごく軽い冗談だったのかもしれませんが,こういう言及が冗談になることもよく考えたらあまりよろしくないことのように思います。

dlit.hatenadiary.com

私もこの後は結局1, 2回イベントに参加したり,提言等も気になるものについては目を通したりするぐらいなのであまり偉そうなことは言えないのですが,どうも専門の研究に関わるところ以外の活動に自主的に関わることを忌避したり,ちょっと強い言い方ですが馬鹿にするような雰囲気ってのがどうも一部にはあるようなのです。これは大学院生の頃から感じていましたが,今でも感じる機会はそこまで少なくはありません。もちろんこれは分野や研究者によってだいぶ温度差があるようではあります。

でもそういう「政治的なこと」(ここでは社会との関わり方ぐらいの意味です)にうまく取り組めなかった/取り組まなかった結果として,今の研究界・学術界の窮状があるというようなことはないのでしょうか。

私は研究者の(第1の)代表的組織が日本学術会議ではなくてはならないとはまったく思いませんが(ただ現状ある組織をうまく使えた方が良いのでは,ぐらい),研究者や大学教員はほかの活動や組織,社会とどのように関わるのかというようなことについてさらに自主的,積極的に関わらないと今後さらに悲惨なことになるのではないかという不安がここ数年でさらに強くなりました。いろいろ活動や試みがあるらしいことは目に/耳にしますし,実際にやるととても難しいのでしょうけれど。

どう関わる?

偉そうなことを書きましたが,私自身,それほど具体的な活動をしているわけではありません。時々署名とかイベントに参加するとかぐらいですね。

1つ,研究者や大学教員の皆さんにおすすめしたいこととしては,自分の研究分野や領域についての具体的な説明や情報の提供をするということがあります。形としては,webに何か書くとか,授業で関連する話題が出てきたときに話すとか,色々な機会があるでしょう。

今回も業績評価のことが話題になっていますが,こういうことは折に触れ説明し続けるのが良いと思います。むしろ良い機会だと思って。下記の件の時にも書きましたが,「人文」「理工」とかの中でも論文や業績の位置付けはさまざまなのです。

dlit.hatenadiary.com

今回の件も,論点が拡散してしまうのは良くないという意見もあるかと思いますが,学術活動や学術に関する組織のことなどを他分野の人やこれまであまり興味のなかった人に知ってもらう(少なくとも情報に触れてもらう)良い機会だと思うのですよね。

研究者や大学教員は,授業や講演といった活動があるので自分の専門のことを「聞いてもらえる」機会に比較的恵まれているためかこの辺りの感覚が麻痺しがちだと思うのですけれど,本来,何か活動をしたり情報発信をする上でまず「聞いてもらえる機会に恵まれる」こと自体,大変だと思うのですよ。

しかも,各研究分野が発達し,新しい研究分野や研究トピックもどんどん出てきている状況では,隣接領域に関わる人たちに自分たちのことを知ってもらうことの重要性・必要性自体も高くなっているのではないでしょうか。

愚痴ったり怒ったりしたくなる気持ちも分かります。でも,一部の人で良いので,気が向いたらぜひ丁寧な説明なども書いてみて下さい(もちろんすでにやっている人もいることは知っています)。たださいきんのwebだとそういう丁寧な文章や情報はかえってバズらなかったりして徒労感あったりするんですけどね。それでも必要なことだと思います。

新型コロナ関連外来語としての「Go To」

下記のニュースで「Go Toイベント」「Go To商店街」と出てきたのを見て,「Go To」も新型コロナ関連外来語と考えた方が良いのかなということを思いました。

www3.nhk.or.jp

新型コロナ関連語彙の基準や範囲をしっかりと考えているわけではないのですが,今ざっくりデータや現象を観察している範囲では,外来語が多いように見えます。ちょっと長いですが,下記の引用にもかなり外来語が含まれています。

手当たり次第に使用頻度が上がった語を拾ってみると,まずはウィルスそのものを指す「コロナウィルス」「新型ウィルス」「新型肺炎」「COVID-19」がある。接触に関しては「濃厚接触」「3密」があり,小池都知事が使って流行した「密です」はゲームまで誕生した。感染に関わる「クラスター感染」「集団感染」「オーバーシュート」「感染爆発」,対策関連の「特措法(特別措置法)」「専門家会議」「緊急事態宣言」「ロックダウン」「都市封鎖」「休業要請」「自粛要請」「ソーシャルディスタンス」「社会的距離」「8割削減」「8割達成」「8割おじさん(西浦教授)」,そして東京では「ステイホーム」「東京アラート」が出てきた。経済面で「緊急経済対策」「給付金」「10万円」「休業補償」「雇用調整助成金」などの政策が打ち出され,経済活動再開には「出口戦略」が必要で,「大阪モデル」も報じられた。さらには変化に対応して出てきた社会現象として「在宅勤務」「おうち時間」が増え,「巣ごもり需要」が高まり「フェイスシールド」をつけた人を見かけるようになり,「オンライン飲み会」「オンライン営業」などの「オンライン○○」,「テレワーク」「リモートワーク」など「テレ○○」「リモート○○」も増えている。ウェブとセミナーをかけあわせた「ウェビナー」に参加する機会も増えた。「不要不急」もその解釈をめぐって多くの議論が交わされた。「アベノマスク」は星野源コラボ動画との「便乗」とも相まって庶民の不興を買った。「コロナ便乗詐欺」も発生した。「ペスト」「スペイン風邪」などの歴史も繰り返し報じられた。今後は「新しい生活様式」「ニューノーマル」「第2波」「第3波」も頻度が上がりそうだ。
第18回 ことばの時事問題(5):コロナ関連の新語・流行語 | 日本語・教育・語彙(松下 達彦) | 三省堂 ことばのコラム

複合語?

Twitterなんかを見ていると,このタイプの施策を広く指して「Go Toは…」のように言及するものが見られ,単独用法があると言っても良さそうな気もしているのですが,基本的にはやはり最初に挙げた例のように何かと組み合わせて使うことが多いように見えます。

ただ複合語と言えるかどうかは意外と検討が必要そうだなという感触があります。複合語アクセントになっているかどうか考えてみたのですが,私の内省だと,たとえば「Go To商店街」の「商店街」のところで句頭上昇がある気がするのですね。たとえばAoyagi Prefix(例:元-(もと))のように接辞であってもアクセントがそのまま,句頭上昇も保存されるようなものがありますから(書いた後に気付きましたが並列の複合語にもそういうのありますね),複合語アクセントになっていなかったり句頭上昇が観察されるから複合語ではないとまでは言い切れないと思うのですが,少なくとももう少し検討が必要そうです

表記

また表記がけっこう面白いなと思っていて,今のところの観察範囲ではいわゆるアルファベット表記が用いられる例が多いようです。アルファベット表記が用いられる外来語と言えばいわゆる頭文字語なのですが,「Go To」はそうではないですよね。頭文字語ではないのにアルファベット表記がよく用いられる語としては以前「BAN」を挙げたことがあります。

また,スペースを入れるかどうかについて表記揺れ?があるようです。政府関係のサイトを見てみると,GoとToの後に両方スペースが入っている例がけっこう観察されます。

www.mlit.go.jp

政府関連のものでもスライド資料とかでは「To」の後のスペースがないものも見かけたので,そこまできちんと揃えているわけではないのかもしれません。

一方,冒頭で紹介したニュースでは「To」の後にスペースはありません。また,Twitterや旅行社のサイトなどを見ていると「Go」の後にスペースを入れず「GoToトラベル」のように表記している例もけっこう見つかります。

今後

元々政策として作られた表現ですので観察・記述には注意が必要ですが,関連表現が増えましたし,今後話題になり言及される機会も多そうなので,その振る舞いを記録してみると面白いのではないかと考えています。

「を」の音は「お」の音と違うか(基本的には同じだけど…)

はじめに

定期的に話題になっているのを見かける,仮名「を」によって表記される音は仮名「お」によって表記される音と同じなのか違うのかということについての基本的なことがらを簡潔にまとめておきます。どちらかというと概説書や資料にある記述を引用で紹介するという形の記事です。

そこまで詳細な説明はしませんし,概略だけで良いという方は,だいたい以下のような話であるということだけでも知っておいてもらえると日本語学に関わる者としては嬉しいです。

  1. 現代日本語の共通語(標準語)では「を」によって表記される音と「お」によって表記される音は同じ(表記が違うから違う音を使うべきという話にはならない)
  2. 昔は「を」の音(wo)と「お」の音(o)は区別されていたが一旦woに合流しその後まとめてoの音になった
  3. 方言によっては助詞「を」にwoの音を使い「お」の音(o)と区別するものもある
  4. 現代共通語でも外来語などにはwoの音が現れる(woの音そのものがないというわけではない)

私は音韻史や方言の音韻・音声研究が専門ではないので,現在の最先端の研究成果や動向は反映できていませんし,選んだ文献が適切かどうかにもやや自信がありません(そもそもほぼ在宅勤務で家に持ち帰った文献のみ調べています)。日本語学専攻の学部生がレポート用にちょっとがんばって調べた結果をまとめた,ぐらいに思ってください。また,これも説明が難しくちゃんとやると長くなるので「日本語」の指す範囲って何(「共通語」と「標準語」の違いは?),とか音韻と音声の関係など,重要であるにも関わらず細部をぼかしているところがいくつかあります。

Twitterではガチ専門家による言及もあるようなのですが,こういう形でまとめてあるのも良いかと思いましたので書いてみました。

現代共通語では「を」の音と「お」の音は同じ(かなり昔は違った)

日本語学習者用の教科書では明確に書いてあると思うのですが,現代日本語の共通語(いわゆる「標準語」)では,「を」によって表記される音は「お」によって表記される音と同じです。私自身はこの話を学部1年生の時に受講していた「日本語教育概論」の授業ではじめて知りました。

また,それに加えて「地域によっては違う音になっているところもある」という話があり,その中に沖縄も含まれていることに驚きました。その後日本語が第1言語でない方から時々「を」の音が違うと言われることがありますので,私も該当する話者のようです。言われるまでまったく気付きませんでした。まあ「方言」にはよくあることです(いわゆる「気付かない」方言とか)。

これは,日本語学では基礎的な話の1つで,日本語学概論のような各トピックにあまり時間を割けないような授業でも出てくる可能性はけっこうあるでしょうし,日本語史関係の授業があるならだいたい言及されるでしょう。私が学部生の時に受講した日本語史の授業でも出てきたと記憶しています。

沖森卓也編 (1989)『日本語史』(おうふう,Amazonに取り扱いがないっぽい…)から関連する言及を少し抜き出します(もっと良い概説書があるというご指摘待っています)。まとめると,昔は「を」の音(wo)と「お」の音(o)は区別があったが一旦woの音に合流し,その後まとめてoの音になったという流れです。しかも下記の引用を見てもらえれば分かる通り,それぞれかなり昔のできごとで,基本的に若者言葉の影響がどうこうの話ではありません。

オ[o]とヲ[wo]では,そもそも頭音法則によって,オは語頭以外に立ちませんから,語頭の混同例が多くなる11世紀初頭に統合したと見られます。(p.69)
キリシタン資料ではエ段・オ段の母音だけの音節は「ye」,「wo, uo」で記されていて,17世紀初頭までそれぞれ[je] [wo]であったことがわかります。(p.72)
エ[je]・オ[wo]が今日と同じ[e]・[o]となったのは18世紀中頃かと言われています。(p.75)
(いずれも沖森編 (1989)より)

もっと詳しく内容が知りたい方は,基本的な日本語史の概説書にけっこう詳しい話が載っています。この引用部では省いただけで,この本にも根拠になった資料などけっこう詳しく言及されています。ちょっと注意が必要かなと思うのは,もし研究史を知りたくて国語学史の文献に当たる場合は,「音韻」だけでなく「文字」「表記」関係も見ると良いです。上記の引用のキリシタン資料に関する記述でカンの良い方は分かるかと思いますが,音に関する事実は表記を手がかりに研究することが多いのです。実際,馬淵・出雲 (1999)『国語学史』では「国語音韻の研究」の章ではなく「仮名遣研究」の章に関連する言及がありました。

国語学史―日本人の言語研究の歴史

国語学史―日本人の言語研究の歴史

現代共通語にwoの音はない?(ある)

さて,では現代共通語に(oとは違う)woのような音はないのでしょうか。和語に限定すると議論があるかと思うのですが,オノマトペや外来語まで含めると現代共通語にもwoの音はあると言えそうです。woの音声に関する記述としてもちょうど良いので斎藤 (1997)『日本語音声学入門』から関連箇所を紹介します。斎藤 (1997)はワ行音の子音を[ɰ](軟口蓋接近音)としていますが,「単に[w](dlit注:両唇軟口蓋接近音)とする場合が多い」とも述べています(p.92)。

日本語音声学入門

日本語音声学入門

最近の外来語(をもとに作った語)では,キーウィー,ウェールズ,ウォークマンのように[ɰi] [ɰe] [ɰo]の連続が現れるが,古くからある外来語では,原語の[wi] [we]などの部分を2つに分けて[ɯ.i] [ɯ.e]などとして取り入れた。例 ウイスキー,ウインドー,ウエスタン
(斎藤 (1997): 93)

「ウォークマン」は良い例だと思います。これは「オークマン」と表記される音と同じ音ではなく,その音の違いによって語や意味が違うということが分かるでしょう(つまり音韻として現代共通語にも/o/と/wo/の対立がある)。

大学から持ち帰るのを忘れて引用が紹介できないのですが,Vance, Timothy (2008) The Sounds of Japanese ではwoの音が現れる例としてオノマトペが挙げられていました。オノマトペを語種としてどのように位置付けるかには議論がありますが,外来語やオノマトペも含めた現代共通語全体として見るとwoのような音はあると言えるでしょう。これは最初に紹介した「を」によって表される音はwoのような音ではないという話と両立します。

こういうことはほかにもあります。たとえば,「ハ行音」がかつて両唇音だった(今のパ行やファ行の音)という話はどこかで聞いたことがある人も多いと思いますが,ファ行の音は今は外来語によく現れます。

方言では区別がある?(ある,けど範囲が分かりにくい)

ここまで紹介してきたような話に対して,webでは「え,区別あるでしょ」という反応がよく見られます。最初に書いた授業の体験談でも触れましたが,方言か,方言による影響で「を」の音が「お」の音と異なることはあります。「方言の影響」というのは,各地域で用いられている「共通語(標準語)」への影響ということです。一口に「共通語(標準語)」と言っても,実際には地域などの条件によって部分的に異なっていることがあります。

「方言に影響された各地域の共通語」について調べるのは難しかったので,方言の音について調べてみました。…が,これを調べるのが意外と大変でした。「方言の「を」がwoの音になっていることがある」というのは良く言われるので概説書にも記述が何かしらあるだろうと思ったのですが,言及自体あまり見つからなかったのです。以前このブログでも取り上げた大西拓一郎 (2008)『現代方言の世界』や国書刊行会の『講座方言学』シリーズの各巻等見てみたのですが,方言の音韻で言及があるのは合拗音(「くゎ」みたいな音)とかいわゆる「四つ仮名」関係,ガ行子音(いわゆる鼻濁音)などなんですね。優先度を考えると納得ですし,本文を詳細に調べたわけではないので目次や索引で辿れないようなところに言及があるのかもしれないのですが,もう少し専門的な文献を当たる必要がありそうです。

@kzhr さんに教えていただいた(ありがとうございます!)『日本方言大辞典』の資料「音韻総覧」の「オ」の項目に関連する記述がありましたので簡単に紹介します。

熊本県<特に非語頭に顕著>[wo](を<助詞>)
茨城県水戸市付近<助詞「を」に限り>
東京都三宅島坪田<少数の例に>…[wo](を<助詞>)
(『日本方言大辞典』「音韻総覧」: 13)

ここでは明確に「助詞「を」が[wo]で発音される」と言及があるもののみ引用しましたが,他にも特に九州の様々な地域が<非語頭に顕著>として挙げられていて,ここに挙がっている地域以外でも「を」の音がwoのようになっていて不思議ではありません。実はwebでも「九州では音が違う」という言及をよく見かける気がするので九州方言を優先して見てみたのですがそれとも合います。ちなみに,これらの多くの地域では「青[awo]」のように助詞以外でもwoの音が現れます。また,可能性としてはこのような方言の影響を受けて,その地域で用いられている「共通語(標準語)」の「を」の音がwoのようになっているなんてこともあるかもしれません(助詞は「非語頭」ですから)。

(国語)教育

私が気になっているのは教育関係で,現代共通語の話として「「を」は(「お」と違って)woのように発音すること」と教えるのは少なくとも事実とは合いません

しかし,木部暢子他編 (2014)『方言学入門』の「学校方言」の話題で取り上げられている調査結果を見るところ,そういう教育もありそうだなという気がしてきます(「うぉと言う」という音に関連するような名称の調査結果項目があったり)。

方言学入門

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全国的に用いられているのは「わ行のオ」「わをんのオ」「くっつきのオ」などですが,「重たいオ」(北関東),「難しい方のオ」(関西)のような広域の地域限定の呼称や,「腰曲がりのオ」(青森),「かぎのオ」(秋田),「小さいオ」(富山)のような県単位の地域限定の呼称もあります。
(木部他編 (2014): 96)

国語教育研究の方で研究や調査があると良いなと思っていたら,実際に文献を教えていただきました(こちらもありがとうございます!)。もし本当に学校,あるいは特定の教員が「「を」は(「お」と表記が違うので)woのように発音する」と教えているという事実があるのでしたら,それは学校や教育という制度を通して事実とは異なる規範化を行っているということであり,私はよろしくないことであると考えています。

一方,webの声を見ているとどうも合唱などでは「を」を「お」と違うように発音するという技術もあるようです。歌や朗読,演劇,ニュース等,専門の(発)音が必要な場合にそのような技術が存在し,また指導がなされるというのは納得できます。ただ,これは文献などを調べたわけでもなく私自身も体験者ではないので確たることは言えません,

おわりに

このような話題は,定期的に気軽にわいわい色々語り合うのが楽しいのかもしれないのですが,事実や実態,あるいはどのように研究されているかを知りたいという方は,そこまで調べるのは難しくありませんので上で紹介した辺りから見てみることをおすすめします。専門の論文を読むと,私が紹介した話とは違う展開がもう進んでいるなんてこともあるかもしれません。

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