誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

週刊はてなブログへの寄稿についてちょっとだけ

ここを読んでくれている多くの方はすでに知っているような気もしますが,週刊はてなブログに寄稿した記事が公開されています(しかし改めて読んでみると前置きの「が」多過ぎですね)。

blog.hatenablog.com

記事中でも断っている通り,これまで自分のブログで断片的に書いてきたことのまとめなので内容としてはあまり目新しいことはないのではないかと思います。自分としては関連しそうな過去の記事を読み直して現時点での考えや方針を整理できたので良い機会になりました。

これも少し記事で触れていますが,ブログの15周年はほんとうに忘れていました。このお話があってから「あ,そういえば」となったのです。ずっと忘れていたわけではないのですけれども,せっかくなので何かちょっとがんばって書けば良かった。さいきん停滞させているネタがいくつかあるのでそのうちどれかを書き上げるようにします。

ずるい記事?

さて,これは下書きの段階では書こうかどうしようか迷っていて結局書かなかったことなのですけれども,私の記事というかスタンスを「ずるい」と感じる人もいるのではないでしょうか。

何がポイントかというと,私にとってブログを書くことが生活や収入に直結していないということです。ブログを書くことがより生活や収入につながっている人にとっては「ずぼら」「適当に」「定期的に書かなくても」などと言われたら「そんなお気楽な立場から言われても」となるような気がします(実際にどれくらいの人がそう感じる/感じたかは分かりません)。

ただ,そういうことについても考慮しながら書いても良い記事は書けないだろうと考えてすっぱり削りました。そういう自分にとって経験も知識もないことについて字数をかけても仕方ないというか私が書く意味はあまりないというか。

ブログの良いところの1つとして「できるだけ多くの人に届く」ことを常に目指さなくても良いということがあると思うのですよね。一部の人,あるいは数人とか時には誰か1人に読まれたら良いかなという。これも私が専門的なことを比較的よく書くからの考えなのかもしれませんけれども。

一方で,「週刊はてなブログ」という媒体に載せていただけたことで,ふだん私の書く文章にあまり出会わないような人にも届くきっかけになったのではないでしょうか。ただそれが良い出会いだったか悪い出会いだったかはまた別の話です。

webの世界はフラットでボーダーレスなように感じられることもある一方,意外と文化圏というか棲み分けのようなものが色々ありますので,こういう機会は面白いですし書き手としてはありがたいです。この企画に対してこんな記事で掲載してくれた週刊はてなブログの関係者の方々には感謝しています。

出会い

ウギャーさんから下記のような反応をいただきました。ありがとうございます。

note.com

ここしばらくブログの記事に対する反応としてははてなブックマークのコメントやTwitteなど短いものに慣れきっていましたので,こういう反応をいただけるとブログの記事にブログの記事で応答していた頃を思い出しますね。

実はこういう「自分はこうやります」という記事は読むとほっとするんです。私の「ずぼらでも良いんじゃない?」という記事はここ数年定期的に書いているのですが,あくまでも選択肢の1つを示しているのであって「こっちの方が良い」とかいうような話にはあまりしたくないというか。

私はいろいろなトピックで「人それぞれ」「条件/状況/場合による」というタイプの記事をよく書きますけれども,ブログへの向き合い方というのもやはり「人それぞれ」の問題なのだと思います。

ただ,「人それぞれ」と一言で片付けるのは簡単ですが,じゃあ具体的にどういう「人それぞれ」があるのかというのを色んな人が書いたりするのが重要というか面白いというか。これもたぶん私がwebで色んな人の個人史を読むのが好きという好みの話ですかね。

「辛辣」という表現で思い出したのですが,そういえばブログへの感想で「(意外と)武闘派だね」のような評価をいただいたことが何度かあります。webではブログに限らず長く色々書いてきたので色々な経験もしまして今のスタンスに落ち着いていますが,どう書くかというのはほんと難しいですね。ある程度慣れてはきたものの,専門的な文章でもそうでない文章でも今後満足できることはなかなかないのでしょう。

2020年度の断片的な雑感

あっという間に新年度になってしまいました。

さいきんは書く気力も湧いてこず,内容としても暗いものしか思いつかないのですが,なんとなく気持ちの区切りが付かないような気がしたのでちょっとだけ書いておきます。

言うまでもなく,ひどい1年でした。

ただ状況を考えれば,家族が大きく健康を損なうことなく乗り切れたことのみを持って喜ぶべきなのかもしれません。私はさいきんは落ち着いてはいたものの咳喘息持ちであり,うちの5歳児も小さい頃から喘息だったので(さいきんは症状が出てない),心配は尽きませんが特に5歳児の方は元気です。ありがたいことです。妻も東京の大学勤務なのでいろいろ状況に翻弄されるところもありましたが,今のところなんとか。

大学の仕事についてはなかなか書きにくいこともあり,ここではあまり具体的に触れないようにしたいと思います。特につらかった時期のことについてはその時に少しだけ記録してありますので「COVID-19」のカテゴリーに入っている記事などをご覧下さい。

2020年度は「よりによってこんな時にこんな委員に…」というのがいくつかあって,予想通りというか予想を超えて大変でした。さらに2020年度中から嫌な予感というか覚悟はしていたのですが,「2020年度は特殊な状況だったので次年度も同じ委員をお願いしたく」ということになったものもあります。2021年度も確実につらいことになるでしょう。昨年度の経験が多少は生かせるとは思いますが,また新しい状況や問題が生まれる可能性もありますしね。

私は授業中の「雑談」でときどき(相対的に)若いというだけで「若いから英語できるでしょ」「若いからパソコンできるでしょ」ということを言う人は珍しくないのでできれば大学(院)に在学中にできる範囲である程度のことはできるようになっておいた方が良い(でも可能ならばできることは知られない方が良い)という話をします。

ちなみにこれは大学院時代の先輩からいただいたアドバイスを元にしています。私なんか英語もコンピューターもぜんぜんできる方ではないので私自身も苦労するし周りにも結局迷惑をかけるしということになってしまうことすらあるのですが,本当にできる人たちは本当に大変で,特に2020年度はオンライン対応で多くの人の健康や人生が磨り減らされたのではないかと思います。

4月から新しい所属になった「新人」や「若手」の人たちがそういう目にあって(できるだけ)磨り減らされないことを祈っております。

皆様のご武運もお祈りして,では保育園のお迎えに行ってきます。

【宣伝】『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 第2巻「した」「している」の世界』が発売されました(編集+論文の執筆を担当)

第1巻と同じく当初の予定からはかなり遅れてしまいましたが,刊行となりました。

詳細はひつじ書房のページから見ることができます。目次の一部をこちらにも載せておきます(カッコ内が執筆者)。

  1. 形態論・活用論から見る「した」(田川拓海)
  2. 時制形式の有無と副詞節のタイプ(有田節子)
  3. 現代日本語のテンス・アスペクト体系におけるテンス表示部の機能について(庵功雄)
  4. 染み込み速度と「た」 さまざまな現象の中で (定延利之)
  5. 現代日本語の「した」の成立過程(高山善行)
  6. 東北方言から見る「した」とムード(高田祥司)
  7. 英語の「した」(和田尚明)
  8. 日・英語物語談話における時制形選択(奥川育子)
  9. テイルの1 つの意味(岩本遠億)
  10. 体感度の高さに動機づけられる「て(い)る」「た」に関する覚え書き 世界モデルへの潤色を通して(定延利之)
  11. 無標の否定形式としてのシテイナイ(松田真希子・庵 功雄)
  12. 現代日本語のムードを表す形式についての一考察(庵功雄)
  13. アスペクト研究における形式と意味の関係の記述方法を問い直す〜テイルの発達を踏まえて(福嶋健伸)

第1巻の記事でも触れたように,テンス・アスペクトは言語学の研究において歴史も研究の蓄積が多い研究領域の1つで,日本語研究においてもテンス・アスペクトの研究はたくさん行われてきました。さらに第1巻で取り上げた「する」に比べると「した」「している」はいわゆる有標の形式ということもあってさらに注目度が高いように思います。

その分,テンス・アスペクト研究は新規参入が難しい印象を持っている方が多いのではないでしょうか。実は私も院生の頃は(テンス・アスペクトにはうかつに手を出さないでおこう…)と思っていました。しかしテンス・アスペクトってかなり色々なことに関係してくるので結局まったくやらないというわけにもいかなかったりするのですよね。

この本の内容は,(主に日本語の)テンス・アスペクト研究に手を付けてみたいとか,ほかの研究トピックとの関係でテンス・アスペクトについても考えないといけなくなったというような方々への良いガイドとなってくれるでしょう。もちろん,個々の研究として見ても面白いものが色々あります。

私は「形態論・活用論から見る「した」」という恐ろしいタイトルで書いています。タイトルを見て「勇気あるな」などと思った方もいるのではないでしょうか。現象としては主に「食べ’る」と「食’べた」でアクセント(の位置)が違うという話を取り上げています。こうやって刊行されてみるとやはり蛮勇であったかという感が否めませんが,多少の情報提供はできているのではないかと思います。