誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

批判を受け入れて修正するのはすごい(ゆる言語学ラジオさんとのやりとりについてもうちょっと)

はじめに

下記の記事に書いた金谷武洋氏の著書に関して,ゆる言語学ラジオさんから訂正の情報が出ていました。

dlit.hatenadiary.com

動画内で取り上げているのは下記のものです。動画のページにも記載があるように,該当箇所は32:43です。


www.youtube.com

あとこの動画だけでなく対象になる動画にも私の書いた記事へのリンクをはってくれていたり,Twitterでも訂正情報を出していたりします。

ここまでの対応があるとは

上の記事にも書いているように,そもそも私は何か修正してほしいとか考えていたわけではなく,そのために直接言及することもしませんでした。それに対して最初の段階で反応があったこと自体誠実ですごいと思いましたが,今回の一連の対応もやはり誠実ではないかと思います。

私の書いた記事へのリンクを紹介しているだけでも丁寧だなと思いますが,動画を視聴すると,それぞれの記事をちゃんと読んだんだろうなということがうかがえます

動画内でお2人が謝っていたり「専門家に迷惑が…」みたいな話が出てくるので,ファンの人ほど専門家,研究者,学者という存在(というか私?)にムカついたかもしれません。私自身は時にはムカついたりうざがられることのも専門家としては仕方ないと思っているので良いのですが,もしこのチャンネルのファンだというなら,この対応が非常に誠実で実はなかなかできることではないということは評価してほしいと思います。

私の経験上,金谷氏の著書をポジティブに評価していたけれど問題あったんですね,くらいのリアクションはそこそこありましたが,今回のように好意的に紹介していた人がそれを修正したり取り下げたりするというケースはほとんど思い当たりません。

そもそも,専門家とか研究者と呼ばれるような人たちでも専門外のことに適当な口出しをしてつっこまれたり批判されたりしたのに修正したり取り下げたりせずスルーしたり誤魔化したりひどい時にはその分野そのものの信頼性に疑問を投げかける形で自身の誤りを認めないというケースもそれほど珍しくありません。別のところでは学生に対して先行研究の重要さについて釘を刺したり「研究者は批判されることや議論に慣れてる」みたいなこと言ってたりするのにね。まあこれはそういうひどいことしない人はwebで目立たないということもあるんだと思いますが。

おわりに

まとめの代わりに,前回の記事で書けなかったことを1つ。

ゆる言語学ラジオさんの動画ってコメントたくさん付いてて,それがかなり言語や言語学に対して好意的なんですよ。ただその中にも時々「くだらない」「これだから人文系はダメ」的なネガティブなものもあります。そういうの見ちゃうと,やっぱりポジティブにリアクションしている人たちの存在は言語学や日本語学にとっても大事なんじゃないかなと。

もちろん私は専門家ですのでこのチャンネルとは立ち位置も,目的も,優先順も色々なものが違いますし,これからも必要に応じてうざいこと「細かいなあ,どうでもいいじゃん」と思われるようなことも書いたり言ったりするつもりです。

専門家,研究者だってさまざまなアウトリーチと呼ばれる活動をしているわけなんですが,一方でYouTubeでここまで視聴されてまた動画を経由して本も売れているというのはやはりすごいことで,今回自分の考えや立ち位置についても考え直す良い機会になりました。私にとっても良い出会いだったのではないかと思います。

体験談や失敗談の共有

下記の記事に対して「失敗談の共有は大事」というコメントがあって,それには強く同意します。ただ反応が全体として好意的なのは,こういう方が振り返り的にまとめてるからということはないのでしょうか。

note.com

失敗談の共有ってメンバーが限られている場でもけっこう難しいことがありますが,webのようなオープンな場だと(特に話題になればなおさら)馬鹿にしたり罵倒する人がけっこうな確率で出てきますよね。

この方が書いている体験の部分と同じようなことを初心者と呼ばれるようなまだ経験が浅い方がwebに書いたとして,同じようにとまではいかなくてもある程度歓迎されるのかということを考えると私は今のwebにはあまり期待が持てません。ただ私は登山はやりませんので登山関係のコミュニティではそういう場が形成されているということを知らないだけなのかもしれません。

ちょっと話が変わります。以前,まったく別の話題で「体験談や具体例の話が大事でwebにはもっとそういうのが必要」というのがちょっと盛り上がってるのを見たことがあって,確かその時はコメントも付けなかったんですが,私が思ったのは「いや,体験談も具体例の話もwebにけっこう書く人いるけど注目したり取り上げたりしてないだけでしょ」ということでした。良い記事だと思ってブクマしてもその後ぜんぜん話題にならなかったり,検索して見つけた良い記事がやっぱり話題になった形跡がなかったりといったケースはけっこうあります。

繰り返しになりますが,失敗したケースも含め体験談や具体例のことを記録したり公開するのが大事ということには強く同意します。実際,私がブログやTwitterに何かを書く時の動機のかなりの部分を占めます。

でも,今のwebは(特に失敗した)体験談や具体例の共有を推奨したり後押ししたりする場をあまり提供できていないのではないでしょうか。あ,でも失敗談に関しては増田(はてな匿名ダイアリー)はそのうちの1つですかね。匿名だから?

私自身も時々書きはするものの,育児関係とさいきんはCOVID-19関係ではほかの場で見たネガティブな反応を思い出してあまり詳細を書けないことがあります。記事をお蔵入りにしたことも(育児は育児ネタってだけでネガティブなコメント付ける人いますしね)。実名を出しちゃってるので,身近な人,特に家族に迷惑がかかるのを考えちゃうということもあります。

ゆる言語学ラジオさんとの金谷武洋氏をめぐるやりとりについてちょっとだけ

はじめに

「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeのチャンネルに金谷武洋氏を肯定的に紹介している動画があります(紹介が目的ではないので直接リンクをはることはしません)。

金谷武洋氏の著書の内容には専門的に見ていろいろ問題があり,以前いくつか批判記事を書きました。

dlit.hatenadiary.com

さいきん金谷氏がそこまで集中的に話題になっているのを見ていなかったことと,動画がけっこう話題になった(ている)ので最初の感想は「参ったな」というのが正直なところでまず嘆くようなツイートをしました。

ただこのあとゆる言語学ラジオの方からリアクションがありまして(このツイートにも直接リプライが付いています),いくつかやりとりをしました。上のツイートは見たけれどもその後のやりとりについては見ていないという人もいるようなので,この問題に対する私のさいきんのスタンスと合わせて少しまとめておきます

批判の対象

これもゆる言語学ラジオさんに伝えてありますが,私は今回のことについて何かしてほしい(たとえば動画を修正するとか)ということは特に希望していません

ここで紹介している2つのツイートとそのリプライ群がゆる言語学ラジオさんとの直接のやりとりです。この件について私が怒っているという印象を持っている方はぜひツイートを通して見てみて下さい

時系列で見るとゆる言語学ラジオさんの後悔のツイートを受けて私が矛をおさめたように見えるかもしれませんが,元々直接批判する意図はなかったのです。そのために最初のツイートも直接言及していないのですが,結果としてはエアリプのようになってしまいかえって良くなかったかなというのはあります。

厳密にはプロの研究者だけでなく「知識人」「有識者」のように扱われる人たちも批判することはあって場合によっては線引きが難しいこともありますし,内容なども考慮に入れるので絶対ということもないのですが,プロの研究者ではない人を批判対象にすることは基本的に避けています。

私が金谷武洋氏の著作を批判するのは私が専門・生業にしている言語学・日本語学の研究にとって「営業妨害」だと考えているからで,プロの研究者ではない人をwebのような場で直接(プロにするように)批判するのは営業活動としてデメリットが大きいかなというのがここ10年くらいの実感です。ただやはり専門的に見てよろしくない情報が増えたり拡散されたりするのは防ぎたいので違う形での言及を考えることはあります(ただこれが難しい)。

簡単に言うと,あくまで問題なのは金谷武洋氏の著作だということですね。一番上で紹介した記事群を補強するというようなことは少し考えています。

ここまで読んで「なんだよ,お前もっと荒ぶってたじゃねーかよ」と思う方もいるかもしれません。それはその通りで今でもときどき荒ぶることがないでもないのですが,いろいろ経験して考えも変わりましたし,何より自分の社会的な位置付けが変わってしまいました。簡単に言えば,金谷氏の批判記事の多くは私が大学院生の時に書いたもので,今は大学教員だということです。ここさいきん人文社会系の研究者に対する待遇や評価であまり良いニュースはありませんが,それでもプロの研究者・大学教員であることの権力や権威とは慎重に付き合いたいということがあります。

プロの研究者でも…

確かにゆる言語学ラジオさんが公開している動画の内容にはいろいろ補足をしたくなるようなところもあるのですが,私がこれまでwebで触れてきた「言語学」や「日本語文法」に関する文章や動画を思い出すと別に取り立ててひどいということはないというか「おお良いじゃん」と思うようなところもあるのです。

たとえば「うなぎ文」。ある程度専門的に詳しい人が言及している場合を除けば,うなぎ文に言及する時にちゃんと奥津敬一郎『「ボクハウナギダ」の文法』が紹介されているだけでも感涙物ですよ。大げさと思われるかもしれませんが,まあ私がいろいろ見過ぎてしまっただけかもしれません。もちろん別に専門的な文献を参照しないと言語や日本語についてあれこれ言ってはいけないということはまったくないのですけれども,だいたいのことはこういう基本的な文献に書いてあったりするのですよね(たとえば日本語以外の言語でどうかとか)。

だいたい,他分野の専門家,プロの研究者でも言語学や日本語学の文献や成果を参照・尊重しない人いますからね。ちなみに,私の体感で言うとこれは人文系とか理工系とかいう大まかな区別にあまり関係ありません。自分の専門があって先行研究の重要さが分かっているような人でも(よく知らない)ほかの分野についてそういう適当な扱いをしてしまうのですから,プロの研究者や専門家でない人が特定の分野を尊重しないことがあっても不思議ではなくなってしまいました。これはさすがにwebではダメな例が可視化されやすいところが大きいんだと思いたいところですが実態はどうなんでしょうか。

自分も…

いろいろ偉そうなことを書いてきましたが,自分だってブログの記事やTwitterでの発言で誤ったこと,適当なこと,雑なことを書いてしまい,指摘を受けて修正したりということはありますし(こういう指摘には大変感謝しています),専門でない分野のことについて何か書いたことに対して専門家の方が苦々しく思っているということがけっこうあるかもしれません。

また,授業の内容についてもそのトピックの専門的な水準から言うとよろしくないことを言ってしまって後で修正したり,さいきんの研究の進展が反映されていなくて後で補足したりということもたまにあります。

対談でフリートークのような形の怖さみたいなものもあって,私もああいう形でやったら自分のかなり専門のトピックでも不正確だったり言い過ぎだったりということを話してしまうかもしれません。専門家が対談形式みたいなやつで言い過ぎちゃうケースってYouTubeが出てくる前からありましたよね。

おわりに:専門的なことはどれくらい求められているか?

特にまとめというわけでもないのですが,専門的な知見や知識がどれくらい求められているのかなあということに懐疑的になることもあります。特に言葉,言語に関してはむしろ専門的なものにとらわれずに気楽に語りたい,考えたいという人がほとんどだとしても特に驚きはありません。専門家としては専門的な知識や方法論をベースにするからこそ味わえる楽しさというものがあるということも知ってほしい,触れてほしいとどうしても思っちゃいますけどね。

たとえば,「ん」の音の話とか「を」の音の話とか定期的にwebで話題になっていますが,そこで不思議がられていたりすることの多くは日本語学や音声学の入門書に出てきます。専門的な文献ではなくて,大学の学部1年生が受ける「日本語学概論」といった授業で教科書に使うような本にです。でもそんな情報を求めている人は実はぜんぜんいないのかもしれない。ただ読書案内を書いているとときどき参考になったという声もいただきますので,さいきんは1万に1人くらいのペースで助けになることがあると良いなと思って書いています。これでも望みすぎなのかもしれません。