誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

沖縄への帰省を取り止めました

もともとの予定では今日8月10日から一週間くらい沖縄の実家へ家族で帰省する予定だったのですが、さいきん(特に沖縄の)新型コロナウイルス感染症の状況が厳しいので、取り止めにしました。

コロナ禍が本格化してから何回か沖縄への帰省は検討したのですけれども、航空券を予約する段階まで具体的になったのは今回がはじめてだったので、たいへん残念です。

また、スケジュール的にも、今回はかなり久しぶりに沖縄のお盆に合わせた帰省になるはずでした。沖縄のお盆は旧暦(太陰暦)でやるため、毎年どの日かが変わるのですね。今年は今日8月10日から8月12日の日程。

大学教員なので比較的夏休みの融通はきく方だと思うのですが、それでもなんだかんだ身体が拘束される仕事はいろいろあり(オープンキャンパスとか大学院説明会とか)、子供(現在小学校1年生)が生まれてからはまだ1回しか沖縄のお盆に連れて帰れていません。しかもその時は物心つく前だったので、お盆のあれこれとか、エイサーも見せられず終いだったのです。私もエイサーを生で見られるのはその時ぶりですごく楽しみにしていたのですが残念です。

いや、お盆関係だけでなく、いろんなことが残念です。

この状況で東京から沖縄へ行くかどうかというのは状況や環境にもよるでしょうから、行ける人もいるでしょう。うらやましいです。私の判断材料の一つに、春先に家族に陽性者が出たときの経験があります。症状としてはいわゆる「軽症」だったのですが、移動や外出はもちろん、通常の生活もかなりつらい感じでした。帰省先で家族の誰かがああいう状態になってしまうとかなり難しいだろうなと。自宅ですらいろいろ難しかったですからね。沖縄の話を聞くと、今は症状が出てしまいかなり悪い状態になったとしても医療機関にかかるのは難しいんじゃないかという話でしたし。

コロナ禍が本格化してから、帰省が検討できるどのタイミングでもだいたい東京か沖縄、あるいは両方の状況が悪いので判断が難しいです。

2022年7月8日午前8時40分頃、参院選の期日前投票をした

安倍晋三氏への銃撃事件とその後の訃報を受けて大変気が重いが、少なくとも私にとってブログとはまさにこのような時のためにあるのではないかと思うので少し記録しておく。ただしみながこのようにすぐに記録を残しておくべきだとは思わない。時間をかけてから何か書くのも、何も書かないのも良いだろうし、まったく別のことについて書くのも良いかもしれない。迷う人はまず長めの下書きを書いてみることを個人的にはおすすめする。書いているうちに気持ちが落ち着いてきたり、自分の状態を客観的に見ることにつながったりするからだ。

さて、タイトルにも記したように、7月8日(金)の朝一番で参議院選挙の期日前投票をしてきた。つまり、投票は安倍晋三氏への襲撃事件が起きる前だった。答えを出すのが難しい問いだが、もし投票がこの事件の後だったら自分の投票行動への影響はどれくらいあったのだろうかということを考えてしまう(結局投票先が変わらなかったとしてもそこへ至るまでの思考に影響がないということはないだろう)。

topisyuさんのように選挙や投票に関する個人の考え方を書いておくのはとても良いことだと思う。

topisyu.hatenablog.com

私が選挙権を得てからこれまで続けてきてこれはけっこう良いんじゃないかと思うのは、何があっても投票には必ず行くと決めてしまうことだ。なんだ、みんな言ってることじゃないかと思われるかもしれないが、ポイントはその時の状況で投票に行くかどうかを判断しない(ために必ず行く)ということ。めんどくさがりの自分にとってはこの方がずっと気が楽だ。どれくらい選挙や投票に関する情報が得られるか、考える時間が確保できるかというのはその時の状況や自分の状態によって違う。でもそういう条件から投票に行くかどうかを判断することはしない。

ここ数年はずっと期日前投票で投票している。これは思いもよらない予定の変更や交通機関のトラブル等で、何度か締め切り時間ぎりぎりに投票するという経験をしたから。

誰に投票するかの判断についてはある程度の指針はあるものの、そこまではっきりともしていないのでここでは細かく書かない。ただ1つずっとポイントにしているのは、教育を重視している候補を優先するということだ。今はたまたま職業上教育に関わる身になったけれども、これは学部生の頃から持っている信念である。ただ自分の状況によって優先順位が変わることはもちろんあって、子供が生まれてからはやはり子育てに関することがそれまでよりも気になるようになった。

安倍晋三氏が亡くなったことについて考えたこともやはり少し書いておく。

まず、安倍氏が元首相であるとか政治家であるとかということに関わらず、どのような人であってもこのような形で命を奪われる社会は許されない、という世界であってほしい(これも書いてみると当たり前のことのように響くが、webの様子を見ていると実現するのはそれほど簡単ではないのかもと思われてくる)。

次に、選挙活動中に起こった事件ということ、犠牲者が安倍氏だったということなどから、銃撃した者の動機や思考に関わらず、民主主義への脅威と捉えられることは避けられないのではないか(実際にどのような変化があるか、どのような対策が取られるようになるかというのはまた別としても)。今回の事件に対して抗議・反対を表明したり、選挙活動を継続している政治家の方々には敬意を表する。一方、自身の身の安全を優先して慎重に行動した人がいたとしてもしかたないのではないかとも思う。この辺りのことは専門の人たちがいろいろ整理してくれたり分析してくれたりするだろう。ただ、今は情報もあまり多くない中、推測や想像を元にした「分析」も多いように見えてやや気が滅入る。

長期間首相を務めた人が、インタビューや本、あるいは短い文章、どのような形でも何かの記録を残す道がこの先なくなってしまったというのは、日本に住んでいる人たち、あるいは日本に何らかの形で関わる人たちにとって大きなダメージではないかと思う(公開されていない文章や資料が見つかるということはあるかもしれない)。政治的な立ち位置や信条に関わらず、である。安倍氏に対して否定的な人にとっても肯定的な人にとっても(さらに自分にはあまり関係ないと思っている人にとってさえ)大きなダメージかもしれないというのがこの問題の深刻なポイントの1つなのではないか。

2021年度に大学・大学院を卒業・修了されたみなさんおつかれさまでした

もちろん「おめでとうございます」でもあるのですけれども,やはり大変な中よくここまで辿り着いたというのが先に立ちます。

所属しているコースなどではあいさつをしたり個別に学生と話をしたりもしているのですけれども,なんでこんな記事を書いているかというと,2021年度に4年制の大学を卒業した世代はなんというか顧みられにくい世代なのではないかと考えさせられることが何度かあったからです。贈ることばというわけではなく,どちらかというと記録のために書いています。

先に断っておくと,どの世代がより不幸かというようなことを考えてほしいわけではありません(しかしどうしてもそこにつながる可能性はあるので書くのを躊躇しました)。大学だとみなが同じタイミングで卒業するわけではありませんので,どれくらいの人にこの話が当てはまるかという問題もあります。また大学や組織によってもいろいろ状況は違うでしょう。

何が気になっているかというと,2021年度に4年で大学を卒業する人たちは後半の2年がコロナ禍の影響を強く受けたということです。もちろん,コロナ禍が本格化してから大学に入ってきた学生の問題も深刻で,2020年度入学の場合は厳しい状況の中3年目を迎えます。一方で,学部の3, 4年生という,卒業研究・卒業論文,あるいはかなり専門性の高い実験・実習に取り組む時期にそれらの活動に強い制限があったというのはやはり相当つらかったという人が多かったのではなかったでしょうか。

教員の立場から言うと,やはり厳しかったという感触が強いです。そんな状況の中,私の知る範囲ではこれまでより卒業できなかった人が増えたというようなことはなかったのですけれども,学生のつらさはどうしても教員からははかり難いことが多いです。

また,大学院で修士課程,博士課程前期を2年で終了した学生は,入学から終了まで丸々コロナ禍の強い影響下にあったわけです。フィールドワーク,調査,実験など,研究における重要なプロセスそのものが脅かされる中,修士論文を書き上げるというのはやはり厳しい人が多かったのではないでしょうか。

教員としては,大学におけるさまざま制度や活動の維持のために(一部の)教職員の方々のすさまじいまでの献身があったことは知っていますけれども,学生の視点から見るとやはり強く制限されたままの学生生活であったと言わざるを得ないでしょう。

ここまで書いてきても,やはりあまり良いことばが思い浮かびません。この禍によって受けたネガティブな何かから回復するためにはまず生き延びることが重要ではないかと思います。大げさな言い方に感じる人もいるかもしれませんが,生活や生命の危機は突然やってくることもありますし,生活が大きく変わってダメージを受ける人もいるでしょうから,できる限り気をつけてほしいと思います(それすらエネルギーを使うのでなかなか難しいこともあるのですけれども)。みなさんのご武運をお祈りしております。