誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

鈴木エイト『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』雑感

はじめに

鈴木エイト著『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』を読み終えたので簡単な感想を記しておきます。通勤時間に少しずつ読んだので思ったより読了まで時間がかかってしまいました。

私自身は宗教、政治や法といったトピック、分野についてはほとんど素人ですので、その辺りにもっと詳しい人々や専門家の評価、議論、批判等を(もっと)読んでみたいと考えており、この記事がそのきっかけの1つになったりしないかなという淡い期待があります。

なお、ここからごちゃごちゃ書いていきますが、興味のある方は(この先は読まずに)まず買って読み始めることをおすすめします。私の文章は特に良いガイドにはならないでしょうし、下にも書くように、文章自体読みやすく、またボリュームはあるものの一部だけを読んでも有益な/欲しい情報が得られる本です。

これだけの内容でこの価格はとてもお得と思いましたが、書籍に対する研究者の金銭感覚はだいたい麻痺していますので、あまり信頼しない方が良いかもしれません。

以降この本のことは「本書」で指すことにします。なお、「旧」を付けずに「統一教会」という表現を用いるのはこの本の方針にならっています(「プロローグ」)。また電子書籍で読みましたので引用ではその箇所が載っている章を示します。

総評とちょっとした心配

読んでいる最中にたびたび考えたのは、この本は(日本における)統一教会に関する問題、特に政治との関わりに興味がある人、考察や議論をしたい人は必ず読んだ方が良い本ではないかということでした。

しかしwebで見られた発売前、発売直後の反響・期待を思い返すと、少なくとも私の観測範囲ではそれに比する量の感想や書評といったものがあまり見受けられないように思います。Amazonのレビューはどんどん増えているようですし平均の評価も高いのですが、この問題についてこの著者が書いたこの内容の本が、今も統一教会に関する新しい問題や情報が出てきているという状況において、ランキングでこの順位というのは妥当なのでしょうか。ただAmazonでは今紙媒体での選択肢が出てきませんので買いたくても買えないという人がけっこういるのかもしれません。

もちろんこれはたまたま今はそうだということなのかもしれませんが、もしかしたらこの本は今後もその内容・特徴故に(その重要さにも関わらず)それほど参照・言及されることが多くない(スルーされる)というようなことがあるかもしれない、という感想も持ったのでこの記事を書くことにしました。

電子書籍でも出ているのは大変ありがたい

上にも書いたようにこの記事を書くために見てみるとAmazonを見ると紙媒体を購入する選択肢が出てきませんでした。しかし電子書籍の形態もあるので、そちらが選択できる人は読むことができます。

これは読みたい人がずっと待たされずに済む(少なくともなんとかする選択肢がある)という点でも良いですし、ほかにも、たとえば大量に買ってしまって他の人の目に触れさせないというようなこともできないし、「売り切れで読めない」という言い訳も使いにくいというような点でも良いのではないでしょうか。

また、電子書籍だと検索ができるのが、こういう内容の本とは相性が良いなと感じました。たとえば気になる政治家名や自分の出身地などで検索して関係する記述がある箇所をさっと探すことができます。これは本書全体を読むつもり/余裕がない人にとってもありがたいのではないでしょうか。また、読んだ後でブログなどで感想・書評を書く場合にも便利だと思います。私は「トランプ」や(故郷の)「沖縄」で試してみましたが、思ったよりも言及箇所が出てきました。

本書全体の特徴:平易な文章と具体性

まず、全体を通して非常に平易な文章です。ポジティブな意味で「淡々と書かれている」というのでしょうか(部分的に見るとかなり熱が入っているなという箇所もあるのですが)。これはロジックについてもレトリックについてもそうで、複雑な論理展開や込み入った議論はありませんし、修辞・表現についても不必要だとか過剰だとか感じることがありません。

書かれている内容そのものに迫力というか重みがありますので、それを言語表現が邪魔しない良い文章だと思います。

また、鈴木氏による推測や推論に当たる箇所はそれが分かるように書かれていて、誠実な文章だということも感じました。

このような文章上の特徴と並んで本書全体を貫いている重要な特徴としては、事実や判断がどのような資料・根拠に基づくのか明確に/具体的に示してあるということが挙げられます。FacebookやTwitterなどwebから得られたものもありますが、ビラやポスターなどの資料が見られるのは貴重なのではないでしょうか。

これは、鈴木氏の述べていることを認める人にとっても有益ですが、反論したい人にとっても良いことです。たとえば、「こんなことは政治家なら統一教会だけでなくいろいろな団体に対してやる」と言うのなら、ほかの団体に関して同様の資料を出せば良いわけです。「根拠が薄い」と言うのであれば、具体的にどの資料・証拠のどの点が信用できないのか具体的に指摘すれば良いのです。

欲を言えば、たとえばインタビューや伝聞に関するところは書けるものだけでも良いので「録音がある」というような情報があればさらに本書に書かれていることの根拠がしっかりしたのでしょうが、これはジャーナリストの方法論上できないことなのかもしれません。

言語の研究をしているということもあるのでしょうけれど、個人的には各政治家が統一教会関連のイベントで行っているスピーチの内容が面白かったです。統一教会への賞賛にしても、具体的なものから一般的なものまで程度差がある気がしますし、「コンプライアンス」みたいな表現でちょっと釘を刺しているというようなものもあったり(私自身は「コンプライアンスに言及することで注意喚起もした」と言うためのアリバイ作りのようなものに感じましたが)。

もちろん、鈴木氏の文章が「完全に客観的である」というようなことを言いたいわけではありません。そもそもどの資料や事実に言及するかということだけでも何らかの選択はしているわけです。しかし、書かれていることが明瞭で具体的な分、その選択自体に問題がある場合も指摘はしやすいはずです(本書に示されていることがクリアなので、示されていないこともクリア)。

スルーされるのではという心配

上に書いたような特徴から、統一教会に関する問題に興味のある人は、どのような立場の人でもまずはこの本を出発点(の1つ)にした方が良い議論ややりとりにつながると言えそうです。

一方で、本書はその特徴からかえって多くの人からは言及・参照がされにくいというようなことがあるかもしれないという感想も持ちました(杞憂であることを祈っています)。

まず、自民党(に関連のある政治家)を擁護したい人たちにとっては、内容が具体的で分かりやすいこの本は「スルーする」という選択肢を取るのが楽そうです(言及しないとか、あるいはそもそも読まない)。上に書いたような具体的な反論をする人が多いと良いのですけれど。

この文章を「分かりにくい」「(表現が理由で)読みにくい」とするのはけっこう難しいと思いますので、あとは分量がけっこうあることをもって「長い」と切り捨てるとかでしょうか。自分に都合が悪い文章は1,000字どころか3行でも読まない人はいますからね。ただ、確かに事実の記述が続きますので、慣れてない人はさっと読む、一気に読むのが難しいということがあるかもしれません。

一方、自民党(に関連のある政治家)に反対の立場の人やこの問題に関しては自民党に問題があると思っている人ももしかしたら不満を持つことがあるのではないかという可能性も頭をかすめました。自民党と統一教会の繋がりについては具体的な問題点の指摘がたくさん書かれているわけですが、割合としては事実の提示と記述に比重があるために、自民党への追及が物足りないと感じる人がいても不思議ではありません。また、様々な問題に触れているので、個々の問題については言及が少ないと感じることも人によってはありそうです。

もうちょっと違う言い方をすると、(もっと)分かりやすい「ストーリー」が提示されていた方がどのような立場の人にとっても向かい合いやすく取り上げやすい(共感も反発もしやすい)という感じでしょうか。でも、実際の物事はそんなに分かりやすくはないですよね。

ただ、最後に強調しておきますと、統一教会とのつながりに関する自民党の問題点については、十分に示されています。この問題に興味があっても食傷気味になるほどです。

本書でも自民党の組織的関与があったという具体的な指摘がありますが、これで「組織的関与がない」と言えるのであればそれはもう専門用語の類だと思いますので(政治家ではなく)専門家の方の丁寧な説明がほしいところです(あるいはまた閣議決定辞書の項目が増えるのでしょうか)。また、本当に組織的関与はなかった(かなり薄かった)としたら、それにも関わらずこれだけ多くの政治家が(積極的に)関わっているということで、それはそれでまた大きな問題ではないかという気がします。

鈴木氏の姿勢と社会への投げかけ

鈴木氏の姿勢で紹介しておきたいものがあります。

私は照会があった各メディアへは惜しみもなく資料を提供した。私には情報を出し惜しみして疑惑の追及を独占しようなどという意図は全くない。私自身が調査しきれていないことが多々あり、穴だらけだったパズルのピースが各メディアの調査取材によって徐々に埋まっていく様子を興味深く見ていた。
(「第十九章 2022年参院選、安倍晋三暗殺」)

この少し前に、さいきんの各メディアによる報道や記事が具体的に列挙されています。また一方で、安倍氏の事件の前は、各メディアによるこの問題の取り上げ方は(それは無理もないとはしながらも)少なすぎたという指摘もあります。

鈴木氏はメディアや国民、すなわち社会が能動的にこの問題に関わることが重要であるとしています。気になる方はこの章だけでも読んでみてください。我々は今後(どれだけ)鈴木氏の期待に応えることができるでしょうか。

おわりに

当初はいろいろ引用もしながら各論についても少し触れようかと思っていたのですが、ここまでで十分に長いですし、各論についてはもっと詳しい人が書いた方が良い(というか私が読みたい)ので、この記事はここでひとまず切ることにします。

個人的に特に面白かったのは学生が関連する「UNITE(ユナイト)」問題や沖縄における活動の具体的な記録でしょうか。アメリカ大統領の関与をはじめ、海外に関する記述も思ったよりあったのも印象的でした。また、中心は自民党ですが、具体的な関与があった政治家は他党や無所属の人でも言及があったりします。

繰り返しになりますが、少し上に書いたような私の心配は杞憂であり、本書が今後の統一教会に関する問題を考える上でベースになる1冊として社会に位置付けられると良いなと思います。紙媒体でももっと手に入れやすくなると良いですね。

沖縄への帰省を取り止めました

もともとの予定では今日8月10日から一週間くらい沖縄の実家へ家族で帰省する予定だったのですが、さいきん(特に沖縄の)新型コロナウイルス感染症の状況が厳しいので、取り止めにしました。

コロナ禍が本格化してから何回か沖縄への帰省は検討したのですけれども、航空券を予約する段階まで具体的になったのは今回がはじめてだったので、たいへん残念です。

また、スケジュール的にも、今回はかなり久しぶりに沖縄のお盆に合わせた帰省になるはずでした。沖縄のお盆は旧暦(太陰暦)でやるため、毎年どの日かが変わるのですね。今年は今日8月10日から8月12日の日程。

大学教員なので比較的夏休みの融通はきく方だと思うのですが、それでもなんだかんだ身体が拘束される仕事はいろいろあり(オープンキャンパスとか大学院説明会とか)、子供(現在小学校1年生)が生まれてからはまだ1回しか沖縄のお盆に連れて帰れていません。しかもその時は物心つく前だったので、お盆のあれこれとか、エイサーも見せられず終いだったのです。私もエイサーを生で見られるのはその時ぶりですごく楽しみにしていたのですが残念です。

いや、お盆関係だけでなく、いろんなことが残念です。

この状況で東京から沖縄へ行くかどうかというのは状況や環境にもよるでしょうから、行ける人もいるでしょう。うらやましいです。私の判断材料の一つに、春先に家族に陽性者が出たときの経験があります。症状としてはいわゆる「軽症」だったのですが、移動や外出はもちろん、通常の生活もかなりつらい感じでした。帰省先で家族の誰かがああいう状態になってしまうとかなり難しいだろうなと。自宅ですらいろいろ難しかったですからね。沖縄の話を聞くと、今は症状が出てしまいかなり悪い状態になったとしても医療機関にかかるのは難しいんじゃないかという話でしたし。

コロナ禍が本格化してから、帰省が検討できるどのタイミングでもだいたい東京か沖縄、あるいは両方の状況が悪いので判断が難しいです。

2022年7月8日午前8時40分頃、参院選の期日前投票をした

安倍晋三氏への銃撃事件とその後の訃報を受けて大変気が重いが、少なくとも私にとってブログとはまさにこのような時のためにあるのではないかと思うので少し記録しておく。ただしみながこのようにすぐに記録を残しておくべきだとは思わない。時間をかけてから何か書くのも、何も書かないのも良いだろうし、まったく別のことについて書くのも良いかもしれない。迷う人はまず長めの下書きを書いてみることを個人的にはおすすめする。書いているうちに気持ちが落ち着いてきたり、自分の状態を客観的に見ることにつながったりするからだ。

さて、タイトルにも記したように、7月8日(金)の朝一番で参議院選挙の期日前投票をしてきた。つまり、投票は安倍晋三氏への襲撃事件が起きる前だった。答えを出すのが難しい問いだが、もし投票がこの事件の後だったら自分の投票行動への影響はどれくらいあったのだろうかということを考えてしまう(結局投票先が変わらなかったとしてもそこへ至るまでの思考に影響がないということはないだろう)。

topisyuさんのように選挙や投票に関する個人の考え方を書いておくのはとても良いことだと思う。

topisyu.hatenablog.com

私が選挙権を得てからこれまで続けてきてこれはけっこう良いんじゃないかと思うのは、何があっても投票には必ず行くと決めてしまうことだ。なんだ、みんな言ってることじゃないかと思われるかもしれないが、ポイントはその時の状況で投票に行くかどうかを判断しない(ために必ず行く)ということ。めんどくさがりの自分にとってはこの方がずっと気が楽だ。どれくらい選挙や投票に関する情報が得られるか、考える時間が確保できるかというのはその時の状況や自分の状態によって違う。でもそういう条件から投票に行くかどうかを判断することはしない。

ここ数年はずっと期日前投票で投票している。これは思いもよらない予定の変更や交通機関のトラブル等で、何度か締め切り時間ぎりぎりに投票するという経験をしたから。

誰に投票するかの判断についてはある程度の指針はあるものの、そこまではっきりともしていないのでここでは細かく書かない。ただ1つずっとポイントにしているのは、教育を重視している候補を優先するということだ。今はたまたま職業上教育に関わる身になったけれども、これは学部生の頃から持っている信念である。ただ自分の状況によって優先順位が変わることはもちろんあって、子供が生まれてからはやはり子育てに関することがそれまでよりも気になるようになった。

安倍晋三氏が亡くなったことについて考えたこともやはり少し書いておく。

まず、安倍氏が元首相であるとか政治家であるとかということに関わらず、どのような人であってもこのような形で命を奪われる社会は許されない、という世界であってほしい(これも書いてみると当たり前のことのように響くが、webの様子を見ていると実現するのはそれほど簡単ではないのかもと思われてくる)。

次に、選挙活動中に起こった事件ということ、犠牲者が安倍氏だったということなどから、銃撃した者の動機や思考に関わらず、民主主義への脅威と捉えられることは避けられないのではないか(実際にどのような変化があるか、どのような対策が取られるようになるかというのはまた別としても)。今回の事件に対して抗議・反対を表明したり、選挙活動を継続している政治家の方々には敬意を表する。一方、自身の身の安全を優先して慎重に行動した人がいたとしてもしかたないのではないかとも思う。この辺りのことは専門の人たちがいろいろ整理してくれたり分析してくれたりするだろう。ただ、今は情報もあまり多くない中、推測や想像を元にした「分析」も多いように見えてやや気が滅入る。

長期間首相を務めた人が、インタビューや本、あるいは短い文章、どのような形でも何かの記録を残す道がこの先なくなってしまったというのは、日本に住んでいる人たち、あるいは日本に何らかの形で関わる人たちにとって大きなダメージではないかと思う(公開されていない文章や資料が見つかるということはあるかもしれない)。政治的な立ち位置や信条に関わらず、である。安倍氏に対して否定的な人にとっても肯定的な人にとっても(さらに自分にはあまり関係ないと思っている人にとってさえ)大きなダメージかもしれないというのがこの問題の深刻なポイントの1つなのではないか。