誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

ブログのカテゴリーに「東日本大震災」をつくって過去の記事を入れました

 そんな宣言するほど書いてないんですが、5年ということもありまして。常設カテゴリーにするかはまだ決めてません。

 その記事を読むだけでは震災との関連がよくわからないものもあると思いますが、主観で関係あるかなと思ったものは入れてあります。それでも数はかなり少ないですけどね。言語の研究者としては方言に関するエントリを他にも入れたかったのですが、福島に直接言及している

だけにしました。
 この作業にあたって過去のエントリーをざっと読み返したんですが、リンク切れのリンクがかなり増えましたね(処置がめんどうなのでそのままです)。

「今だから知りたい放射線の話(きくまこ大人かふぇ)」@えるかふぇに参加してきました

 行ってきました。僕にしてはけっこうこまめにメモを取ったんですが、こちらにも簡単に参加記など書いておきます。まとめられる気がしないので書き殴りです。適当に読むことをおすすめします。報告としては断片的すぎると思いますが、きっとどなたかの補足情報があるはず。

 参加の動機などは前に書いたので割愛。

開始まで

 サンパール荒川まで都電荒川線で。都電荒川線はじめてと思い込んでたんですが、よく考えたら前々回の日本語文法学会@早稲田大の時も乗りました。
 順調に行ったので割と早く着いたのですが、開始の20分ぐらい前に受け付けに行ったら、もう数人来てましたね。Twitterの表示名(アカウントの方ではなく)で申し込んでしまったので、ちょっと名前が見つけにくかったような。でもすぐ見つけてもらえました。受付は、スタッフの人数がけっこう多いなというのが印象に残っています。

菊池氏の話

 放射線に関して、自分にとって目新しい話というのはあまりなかったのですが、こうやってまとめて話を聞くと、それぞれの知識やその間のつながりが整理できて良いですね。震災後、放射線に関する情報は色々な難易度で様々な形で世の中に出回って触れやすくなった分、整理・取捨選択が難しくなった印象があります。放射線の測定結果が音で聞けるようにしてある装置から話がはじまったり、図が多かったりという辺りも、話がすんなり頭に入ってくるのを助けてくれる感じでした。
 ただ、たぶんプロジェクターとスクリーンの距離とかの関係でしかたないところだったのかもしれませんが、図が少し小さかったような気がしました。僕は会場真ん中ぐらいに座ってたのですが、後ろの方とか視力良くない人で厳しい人がもしかしたらいたのでは。

気になったところ

 さて、いくつか個人的に気になったところを。
 ただ、後で話を聞いたところでは今回参加した「大人かふぇ」はそもそも(主婦などを対象にしている)通常のえるかふぇとは少し違うイベントのようだったので、下記の話は当然そうということになるのかもしれません。あと別に問題点の指摘というほどのものでもないです。ぼんやり考えたこともかなり含まれているので、特に自分にアイディアや答えがあるというわけでもありません。

けっこうレベル高い

 これはアンケートにも書いたのですが、特に聴衆からの質問、質疑のやりとりはある程度知っている人の確認や発展的な話題のようなものが多く、見当外れ、というのはほとんどなかったように感じました。
 これにはたぶん、そもそもこういうイベントに出るのは興味関心が高い人だからとか、本が出版されているので来る前に勉強しやすかったとか、えるかふぇや関連イベントに継続的に参加しているメンバーは勉強の成果を蓄積して行っている、というような、色んな理由があるのではないでしょうか(もちろんこれらは的外れな推量かもしれません)。
 当日実際にそういう方がいらしたかどうかはわかりませんが、はじめて参加した人でレベルの高さにちょっとびびった人とかいなかったのかな、と。
 ただそういう素人だけどけっこう勉強した人が行ける場所というのも貴重だと思うんですよね。僕はあまりこういうタイプのイベントは主催側になったことがないんですが、その辺りやっぱり難しさとかあるんでしょうか。

記号アレルギー

 そういえば、意外と用語や表記法なんかはそのまま使うんだなあというのも印象的でした。いや、義務教育の教科書レベルなのでおそらく専門家からするとかなり易しくしているのでしょうけれど。
 上に書いたように話自体はすごくすっきり分かりやすく聞けたのですが、そもそも僕自身は高校で理数科だったので物理(化学も生物も地学も)を取ってしかもけっこう好きな分野でした。また、人文系の学部に進学した後も自分で理数系の啓蒙書なんかを広く浅く読んでいたりして(今振り返ると変なのもけっこう読んでましたが)、原子の話とか周期表とか出てきても、あまり身構えないんですよね。
 ところが一方で、いわゆる人文社会系の方になじみのある人(あるいは、理数系が苦手な人)の一部には、「記号アレルギー」「図・式アレルギー」みたいなものを持っている人がいるという実感があります。どういうことかというと、そもそも「137Cs」という略記が出てきただけで苦手なものに感じちゃうとか、何かが"n"や"x"といったものに置き換えられただけでもうダメと思っちゃうとか。あと分野の話につながるかどうかわかりませんが、専門用語が漢語の方が難しく感じる人と外来語の方が難しく感じる人の差なんてのもあるのかも、ってことも考えたり。
 でも、意外とそういう“共通言語”が違う人どうしこそ、同じ場で対面でのやりとりを通して学ぶのが良いのかもしれませんね。
 僕のこの辺りの話については下記のエントリ群にも少し書いています。

 ただ、アレルギーがあっても、専門用語や専門的な表記にはある程度慣れる方が継続的な勉強には良いんですよね。

研究者がどれぐらいこういうことをすべきか&納得の話

 懇親会には出られなかったので、帰る前に少し菊池氏に質問に行ったら、運良く少し話をすることができました。色々聞いてみたいことはあったのですが、今回聞いたのは「若い研究者にこういう活動をやってもらいたいと思うかどうか」。答えは明確なものではなかったと記憶しているのですが、やはり「でも研究しなきゃ生きていけないしねえ」みたいな話になりました。というか今や研究ガンガンやっても生きていけない可能性がありますしね…
 菊池氏の話でも少し「納得という段階にいたるのは難しい」という話が出てきたのですが、「理解」と違って、「納得」の方はけっこう属人的な要因も大きく働くことがあるのではないかと思うのです。そう考えると、色んな人が色んなところで話をする方が、「あの人は嫌いだけど、この人の話ならわかる」というふうに、全体としては良い方向に向かわないかなと以前から考えているのですが…まあでも理想論なんですかねえ。
 菊池氏がこういう活動・場に関わり続けるのは、率直にいってよく持つなあというのが以前からの感想です。僕もwebで少し専門のことを書き散らしたりしますが、今は(簡単な質問などを除いて)ほぼ発信一方通行になってしまいました。そうしないと精神的・時間的に続けられそうにないからなんですね。こういう実際にしゃべる系のイベントはやる方も割と好きなんでそこまで躊躇しているわけではないのですが、僕なんかとは関わる人の数が桁違いだと思うので、やっぱりすごいなと。

納得とwebの話

 あと、話を聞きながら考えたことなんですが、webって記録が残るのが良いところなんですが、だからこそ方向性を変えられないってことがあるんじゃないかと。君子豹変すとも言いますし、webでも色々あるたびに間違ったら訂正した方が良いと言われますが、実際には意外と難しかったり。僕自身も、そんなに即座に訂正できる質ではないです。webだと、考えが同一だからこそできる人間関係みたいなものもあるので、何かを勉強して考えを変えた時に、それを表明するのが意外と難しいことってあるんではないでしょうか。まあこれは人や状況によるかな。

おわりに

 今回は事前にどなたにも連絡を取らなかったのでひっそり参加しようかと思っていたのですが、てつるさん(@tetzl)さんにお声かけいただき、またみつどん(@MITUDON)さんにもご挨拶することができて嬉しかったです。このwebで先に知り合って実際にあいさつ、というのかなり数をこなしてきたと思うのですが、今でもなんとなく照れくさいですね。なんなんでしょう。
 最後に、スタッフの皆様おつかれさまでした&ありがとうございました。今後の活動も楽しみにしています。

「今だから知りたい放射線の話(きくまこ大人かふぇ)」@えるかふぇに参加します

 下記のイベントです。もちろん聴衆。今日申し込んだのですでに締め切られていた懇親会への参加はなしです。

 大学や研究機関ではない場所でのサイエンスカフェ系イベントに参加してみたいと思っていたこと、えるかふぇの活動に以前から興味があった(けどなかなか参加できていなかった)こと、東京住みになってこういうイベントに行きやすくなったこと、そういえば菊池氏を生で見たことないやと思い至ったことなど色々重なって、時間もなんとか都合が付けられたので、当日よほどのことがなければ会場にいると思います。
 参加予定者によくお見かけするアカウントもいくつかあったので、あいさつぐらいできたらいいなと思うんですが、聴衆同士で懇親会参加なしだとなかなか難しいかな。

工事で気付いた、何かが生まれる日常のスペース(たとえばエレベーターホールとか)

 ふだんは人文社会学系棟という建物に常駐してるんですが、数年がかりで耐震改修工事をやってます。大きい建物なのであとしばらくかかりそうです。
 工事の影響は、引越が大変とか工事中の退避場所がなかなかないとか教室の確保が大変(たとえばプロジェクタがある部屋)とかなんだかんだで音や粉塵が出るとか色々あるわけです。僕は最初の工期に当たったのでもう引越の大変さとかはないのですが、やっぱり色々やっかいです(たとえば今は研究室がある階のエレベーターホールが使えないので台車を使う時は…)。
 そういう事前に想像が付いたものとは別に、これはけっこうな損失じゃないかなと、工事が始まった後に気付いたことがあります。それは、多くの人が日常的に集まる場所が使えなくなることで、多くのつながりが生まれる可能性を失っているのではないかということです。
 具体的にこの建物で言うと2階にあるメインの入り口のエレベーターホールです。
 この建物ではここを利用する教職員、学部生、院生はとても多いのです。しかも人文社会系の研究者・研究室がここに集中しているので、ここのエレベーターホールには様々な分野に関するポスター・お知らせが貼られているのですね。ここでエレベーター待ちをしている間にそういう情報を眺めたり、あるいは他の人とお喋りをしたり。あるいは、エレベーターに乗っている間に簡単な情報交換をしたり。自分がエレベーターを使わなくても(実は僕は階段派なので)誰かをつかまえられる可能性がかなり高い場所、という側面もありました。
 そのような時を思い出すと、この場所は、日常の業務やよく行く研究会以外での出会いやコミュニケーションが生まれる(可能性を提供する)場所として重要な機能を担っていたのではないかと感じるようになったのです。もちろん他にコミュニケーション用のスペースとかイベントとかは色々あるのですけれど、こういう日常の中に組み込まれたスペース・時間というのが意外と重要ということもあるのではないでしょうか*1
 僕はこの建物に10年以上出入りしていますが、それを、工事によって初めて実感したのでした。こういうのも損失の一種ではないかと(たとえば1年とか短期間しかいない研究者というのもいるわけです)。
 このスペース自体はもう使えるようになったのですが、エレベーターが従来2基のところ1基しか使えず、まだあまり人が集まる場所というところまでは戻っていません。早く元の状態に戻ると良いなと思っています。

*1:他の場所で言うと、A棟とB棟の連結部分が工事中で、直接行けないなんてのもこれに該当するかもしれません。

地域とことば:福島の方言は東北方言か?に便乗(読書案内付き)

  下記の記事を読んで、方言に関する箇所が気になったので少し調べたことを書いておこうと思います。結論みたいなものはあまりないです。

ちなみに毎度毎度の言い訳ですが、僕は方言研究は専門ではありません。
 おそらく、元記事の感じではそこまで方言について強い主張をしたいわけではないと思うのですが、便乗して日本語(の方言)研究の宣伝もしておきたいなと思って書いてみました。

気になったところ

 この記事は次のように方言の話から始まります。

 福島県で広く話されている方言、いわゆる「福島弁」はアクセントが存在しないという特徴がある。「崩壊アクセント」というやつだ。のっぺりしている話し方なので、標準語に慣れた多くの東京の人は驚いてしまう。
 実はこれは栃木・茨城、埼玉の北部(ちょうど首都圏外に出たあたりの一部)で話されているものとほぼ同じだ。お笑い芸人のU字工事(栃木県)や赤プル(茨城県)のべしゃりを想像していただきたい。あれがそのまま広範囲で話されている。
 東北地方には「奥羽方言」という独自の方言がある。これは、北に行けばいくほど強烈なのでわかるが、標準語とは異なる極めて独特のアクセントがある。東北の特に60代以上の親戚の話は何をいっているのかさっぱりわからないものばかりで、フランス語っぽい印象がある。
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2015/01/02/185750

 この先、ことばだけではなく色々な面で福島は東北ではない(むしろ関東)という話が展開されていくのですが、ブコメでも色々ツッコミが入っていますしここでは方言に焦点を当てます。
 僕個人が上の記事に対して持った違和感は簡単にまとめると次のようなものです。

  1. 方言(しかも一つの「県」という大きな地域と対応させたもの)を「東北方言か、関東方言か」といったようにかっちり分類することは簡単ではない
  2. 方言というのは語彙や文法なども含んだ体系としてある程度のまとまりがあるものなので、その中からアクセントという音の特徴だけを持って、方言の分類を云々するのは偏った見方ではないか
  3. ことばの違いや類似を持って、「AはB地域に属する/属しない」ということもまた難しいのでは(元記事ではことば以外の話も色々あるわけですが)

福島方言はどこにどう分類されるか:東北と関東の境は?

 まず、上記の1について。
 福島方言の区画は東北方言とされていることが多いです。たとえば大西拓一郎 (2008)『現代方言の世界』でも東北方言に分類されていますね。ただ、関東方言との類似ももちろん指摘されていて、たとえば菅野 (1982)は

北の方言が南奥方言的とはいっても会津方言を除けば、全体やはり関東方言的とみられるが、その要因としては、福島県の歴史が考えられる。
(菅野 (1982)「福島県の方言」: 369)

と述べて、歴史的に関東地方からの政治的な影響が強く、それが方言にも影響していると推測しています。
 また、上記の記事では無アクセントという特徴を挙げて茨城などと似ているから関東方言的というわけですが、逆に井上史雄 (2007)『方言クイズ』では

茨城県は北関東に位置し、東北地方に接している。そのため、基本は関東方言だが、ジとズ・チとツの混交、イとエの発音があいまい、カ行・タ行の濁音化など、東北方言の影響が見られる。
(井上 (2007): 40)

と紹介されています。いわゆる“境目”のような地域の方言が、複数の大分類の方言区画の特徴を持つということは珍しくありません。言語研究における方言区画もざっくり分けるとという話であって、厳密な線引きが考えられているわけではないと思います。言語/方言は触れ合うとお互いに影響しちゃったりしますしね。
 ちなみに、「福島方言」「茨城方言」というくくり方もかなりざっくりしています。これは、日常的にも「○○(例:会津、首里、…)のことば」とか「県南の方言」のように言うことがあるところでは実感できると思います。たとえば、前述の菅野 (1982)では福島方言を

  • 相馬方言、磐城方言、信達方言、安達安積方言、田村方言、県南方言、会津平方言、南会津東方言、南会津西方言、檜枝岐方言

の10区画に分けるのが適当であると述べています(菅野 (1982): 367-368)。

無アクセントという特徴

 主に2について。
 「無アクセント(無型アクセント)」というのは単語にアクセントのパターンによる区別がないという特徴を指します。「崩壊アクセント」という呼び方は、今はもうほとんど使われてないんじゃないでしょうか。
 木部暢子(他)(編著) (2013)『方言学入門』37ページの図2「アクセント分布図」ではざっくり分けて、福島の県央-太平洋側は無型アクセント、日本海側は東京式アクセントとなっていますね。
 ここでの「東京式」は広く東北方言なども含んだ分類ですが、個々のアクセントの特徴はまた色々です。たとえば、東京方言では単語のどこで音のピッチが落ちるかで区別がある「下げ核」を持つと言われますが、弘前方言などでは単語のどこで音のピッチが上がるかが区別を担う「昇り核」という特徴を持っているということが知られています(たとえば松森晶子(他)(編著) (2012)『日本語アクセント入門』: 26-27)。
 また、無アクセントの方言は宮崎を中心として九州にも広く分布し、福井の一部の方言でも見られると言われます
 方言の話をすると、一般的にはよく「なまり」が話題になるように、音の印象というのは強いのだなと感じることがけっこうあるのですが、上で述べたように言語・方言というのは音だけでなく語彙、文法、コミュニケーションの手法などにいたるまでの体系としてのまとまりを持ちます。もちろん、それらが常に一致しているわけでもありません。福島の方言は確かに無アクセントという特徴では茨城方言に似ていますが*1、それだけで「東北(の方言)ではない」と言ってしまって良いのでしょうか。
 本当は東部方言に限っても、活用とか自他、ヴォイスの話など形態論、文法の面から見て面白いことが色々あるのですが、割愛…

福島方言の研究

 3について詳しい話は特にないです。
 ところで、福島の方言の話って、方言研究の入門書や概説書ではあまり触れられていなかったり簡素な記述だったりが多いのですよね。
 最近、福島方言の調査・研究を精力的に行っている白岩氏の論文の冒頭から少し長めですが引用しておきます。

 はじめに個人的な追憶を書くことをお許しいただきたい。筆者は福島県の出身だが、方言研究に興味を持ったとき、自身の方言が「無アクセント」「崩壊アクセント」などと呼ばれていることに驚いた。ほかの方言についてはアクセント面の規則が事細かに記されているのに、自らの母方言については、特定の規則がないというだけの簡素な記述で終わっているのである。
 たしかに、筆者自身の内省でも、単語単位のアクセントという点で、福島方言に特段の規則はないように思われる。しかし、音の高低には何らかの規則があるはずで、実際、他地域の出身者がでたらめにアクセントを崩して「無アクセント」をまねるのを聞いても違和感がある。つまり、各単語に固定されたアクセントではなく、文脈などに応じたイントネーションのレベルでは何らかの規則があり、それが「無アクセント」らしい音の高低を生み出しているものと考えられる。
(白岩広行 (2014)「イントネーションの意味記述―福島方言における試み―」: 53、強調はdlit)

「崩壊アクセント」と呼ばなくなったのは、ここに書かれているように単にめちゃくちゃというわけではない、という理由もあったように記憶しています。
 ちなみに、菅野 (1982)も

 福島県方言の研究の歩みは遅かった。
(菅野 (1982): 365)

という一文から始まります。実際にフィールドで調査をしている方からは福島方言が衰退していっているという実感があるという話も聞きますので、調査の進展を応援しています(ちなみにこれは福島だけでなく、東北方言をはじめ、他の様々な諸方言に当てはまります)。

この記事を書いた動機

 最近、アイヌ語や琉球語の話を以前よりよく聞くようになったなと思いますが、方言も含めて、ことば・言語にさまざまなバリエーションがあるということを知るのは、色々な点で重要なのではないかと考えています。方言の話ではありませんが、以前にも下記のエントリを書いた時にそう感じました。

このエントリをきっかけに、方言に興味を持ってくれる人が少しでも出てくれると、言語研究者としては嬉しいなと思います

参考文献

  • 井上史雄 (2007)『方言クイズ』講談社.
  • 木部暢子(他)(編著) (2013)『方言学入門』三省堂.
  • 松森晶子(他)(編著) (2012)『日本語アクセント入門』三省堂.
  • 大西拓一郎 (2008)『現代方言の世界』朝倉書店.
  • 白岩広行 (2014)「イントネーションの意味記述―福島方言における試み―」『日本語学』33(7): 53-64.
  • 菅野宏 (1982)「福島県の方言」飯野毅一(他)(編)『講座方言学4 北海道・東北地方の方言』, 363-397, 国書刊行会.

(やや専門的な)読書案内

 上述の

方言クイズ

方言クイズ

は、個々の方言に関する記述は短いですが、気軽に全国の方言に触れられます。井上史雄氏で方言というと
日本語は年速一キロで動く (講談社現代新書)

日本語は年速一キロで動く (講談社現代新書)

変わる方言 動く標準語 (ちくま新書)

変わる方言 動く標準語 (ちくま新書)

などの方が有名でしょうか。
 概説書・入門書としては上で紹介した二冊、
現代方言の世界 (シリーズ“現代日本語の世界”)

現代方言の世界 (シリーズ“現代日本語の世界”)

方言学入門

方言学入門

はどちらも簡潔ながら様々なトピックをカバーしていて良いと思います。大西 (2008)の方は言語地理学にかなり詳しく、木部暢子(他)(編著) (2013)の方はコミュニケーションに関する方言や、いわゆるヴァーチャル方言にもかなり力を入れているのが特徴的でしょうか。
 日本語のアクセントについてがっつり入門したいという人はこれもやはり上述の
日本語アクセント入門

日本語アクセント入門

が網羅的かつ例も多いです。かなり専門的な話題も多いですけど、具体例やコラムを眺めるだけでも楽しいのではないでしょうか。アクセントに特化した入門書なので、残念ながら無アクセントの話はほぼ出てきません。
 メディアと方言の関係、方言のステレオタイプについては
「方言コスプレ」の時代――ニセ関西弁から龍馬語まで

「方言コスプレ」の時代――ニセ関西弁から龍馬語まで

が面白いです。田中ゆかり氏は最近「打ちことば」研究でも注目を集めている研究者ですね。
 もっと専門的になりますが、
21世紀の方言学

21世紀の方言学

もかなり多くの話題をカバーしています。方言研究史、教育や政策との関係についての解説もあります。
 内容が豊かな分、お値段もそれなりにするのが多いですけどね…

*1:もちろん、語彙や文法でも似たところはあるようです。