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歯切れが悪いのは仕様です。

接頭辞「エア-」についてもう少し:「エア御用」とcranberry morpheme

 前回のエントリに対してid:Cunliffeさんから興味深いコメントをいただいたのでもう少し補足。

エア-という形態素の成り立ちは、「バーガー」なんかと同じ、いわゆるcranberry morphemeじゃないかなーと/まあ語源的な意味から分析的に足し算で全体の意味が出てくるとは限らないことも多いのではないでしょうか。
はてなブックマーク - Cunliffeのブックマーク / 2012年12月2日

どちらかというとせっかく形態論関係の用語が出たのでこれに乗じて紹介しておこうというのが目的です。

cranberry morphemeとは

 れっきとした言語学(主に形態論)の専門用語です。一般的には"cranberry"という語の"cran"の部分のようにそれだけでは何をやっているか/どういう意味を持っているかわからない形態素(っぽい)もののことを言います。
 なぜ「っぽい」と付けたかというと、形態素の一般的な定義は「意味を持つ最小の言語単位」なので、それ単独では意味が確定できないものは形態素とは言えなくなってしまうのですよね。でも"strawberry"や"blueberry"との関係を考えると、"cran"と"berry"は切り離して考えなくてはいけない、さあ困った、というわけで昔から問題にされてきたというわけです。
 日本語では

  • 宮島達夫(1973)「無意味形態素」『国立国語研究所論集4 ことばの研究4』

で考察されている「無意味形態素」が一番近いのですが(実際宮島もcranberryを引き合いに出して概念の説明をしています)、個人的には宮島が取り扱っている現象の方がcranberry morphemeより範囲が広いように見えます。まあ宮島自身も述べているようにcranberry morphemeも定義や範囲の確定が難しいのでこだわっても仕方ないのかもしれませんが、僕は一応この二つの用語は分けて使っています。
 なおこの論文は以下の本に再録されているので比較的手に入りやすくなっています。具体例がたくさん挙げられていてそれを眺めるだけでも楽しいですよ。

語構成 (日本語研究資料集 (第1期第13巻))

語構成 (日本語研究資料集 (第1期第13巻))

 ちなみにWikipediaにも項目はありますが、これだけではわかりにくいですね…

 日本語だと宮島が挙げている「ビー玉」の「ビー」がわかりやすいですね。「あめ玉」などとの対比や連濁を考えると「ビー」と「玉」は分けざるを得ないですし、かつてガラスを意味していた「ビードロ」から来ているのも確からしいのですが、現代語では「ビー」単独で<ガラス>という意味を持っているとは分析するのが難しいわけです(「ガラス戸」を「ビー戸」などとは言えない)。

cranberry morphemeとしての「エア-」

 あ、ちなみに「エア」の後に付いているハイフンは長音ではなく接頭辞である(後ろに何か要素を必要とする)ことを表しています。
 Cunliffeさんのコメントにはいくつか関連して補足しておきたい点があります。ただ必ずしもCunliffeさんがこう考えているだろうということではなく、良い機会なので補足しているということにご注意ください。
 まず、

  • (1)僕は他の「エア-(X)」との語源的な関連から「エア御用」の意味を考えているわけではありません。

むしろ逆?で、これまでに見てきた「エア御用」の意味・解説*1や実際の使用例から考えると、他の「エア-X」タイプの語に出てくる「エア-」と同じ、あるいはそこからの派生で捉えられるのではないかと考えています。

  • (2)分析的に足し算で全体の意味が出てこない場合に常にcranberry morphemeが関係しているとは限らない

 要素の意味から「分析的に足し算で全体の意味が出てこない」というのは言語では、特に語構成・語形成ではよくあります(いわゆる「構成性(compositionality)」の問題)。
 僕は、cranberry morphemeが含まれる場合は常に「分析的に足し算で全体の意味が出てこない」と言えるが、「分析的に足し算で全体の意味が出てこない」場合に常にcranberry morphemeが含まれるとは言えないと考えています。
 たとえば、「殴り書き」の意味は単純に「殴り」と「書き」を合成しても出てきません(何かを殴りながら書くわけではない)が、この場合たとえば「殴り」をcranberry morpheme/無意味形態素だとは通常考えず、意味の派生やメタファーによって分析することが多いでしょう。実際には意味をどう考えるかとか分析のモデルや概念の規定に依存する話なので、あくまでも僕の立場からすればということですけれど。「構文」の話なんかは詳しくないので割愛。
 あとものすごく細かいことなんですが「バーガー」はある特定の食べ物を指す意味・用法をすでに持っているように思えますので、cranberry morphemeなのはむしろ「チーズバーガー」などと対比したときの「ハンバーガー」の「ハン」の部分ではないでしょうか。
 さらに余談ですが、典型的なcranberry morpheme(それこそ"cran"とか)も商品名などで出てくることがあるそうです。
 ただ、Cunliffeさんの指摘、

  • 「エア御用」という語は「エア-」と「御用」の意味の(単純な)足し算からは出てこないような意味を持っている・含んでいる

というようなことが事実としてあるのなら、それはとても重要だし面白いことだと思います。この語をめぐるやりとりの難しさに関係している可能性もあるのではないでしょうか。もしそれが一種の「ニュアンス」のようなものだとしても、誰かが丁寧に記述・説明してくれると助かるのですけれど(僕はあまりそこまで詳しくないので無理です)。

追記

 余談

はがないがヒットして「エア友達」という言葉も広まったことだし,この用法をめぐって論文を書いてくださらないだろうか(ぉ/いや実際読みたいです,「言語学からみたエアギターとエア友達」とかそんな感じの論文。

もうちょい例が集められたら研究ノートっていうかコラム的なものぐらいにはできるかもです。用例収集と記述は楽しそう。

接頭辞(?)「エア-」に関する覚え書き

 以下の記事を読んだのをきっかけに今まで気になってたことを書き連ねてみる。エア御用については最後にちょっとだけ触れる。

※具体例はややネタっぽくした部分もありますが分析は真面目にやってます。

接頭辞(?)「エア-」の基本的な意味

 これは上にも紹介したMukkeさんの記事に上げられている例が有名なところだろう。

実際にはそこにギターがないのにギターがあるかのように振る舞うことをエアギターといったり実際には友達がいないのにいるかのように振る舞うことをエア友達といったり実際には彼女がいないのに彼女がいるかのように振る舞うことをエア彼女といったりするのと同様の造語法
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20121129/1354206616

 なお、接頭辞としてよいかどうかにも議論の余地はあるが、ここでは「以下に示す意味を持つ限りにおいて他の形態素に依存する」というぐらいの気持ちで「接頭辞」としている。たとえば「あいつの言ってた彼女ってもしかしたらエアじゃね?」のような用法が許容される場合、自立形態素とての性質についても考えなければならない。
 まず、接頭辞「エア-」の意味を暫定的に次のようにしておく。

  • (A) 接頭辞「エア-(X)」の意味
    • Xが存在しないのにXがあるかのように振る舞うこと

この接頭辞はすでにこの時点でややこしい。「ギター」などモノ名詞*1に付いた場合、「エアギター」のように見かけはモノ名詞的なままであるが、意味的には「振る舞う」という行為が含まれてくる。ただしこれは無いものをあるかのようにする場合、行為によって示すぐらいしか手段が無いと考えられるので、自然なことではある。
 また、いわゆる語彙化された意味を持っているものもあるようである。たとえば、「エアギター」はどんな振る舞いでも良いわけではなく「演奏」してその存在感を出さなければならないように思える。つまり「部屋の片隅にギターが飾ってあるかのように振る舞う」ことを「エアギター」とは呼べないのではないか。これはフレーム意味論やクオリア構造*2などと関連するのではないかと考えられるが、あまり詳しくないので踏み込まない。

何が無いのか:「エア参拝」を例に

 さて、この接頭辞もそこそこの生産性を持つようであるが、ここではその意味の難しさを考えるにあたって、「エア参拝」という例を考えたい。

実際に存在する神社仏閣をwebサイト上で仮想参拝する行為。また、そのサービスの総称。

 ここで重要な点は

  • 前述の例と違って「エア-」が「参拝」という行為を表す語に付いている

ということである。
 そのため、上で提案した(A)の意味をそっくりそのまま当てはめてその意味を考えると「参拝が存在しないのに存在するかのように振る舞うこと」となって少し不自然に響く。書き換えるなら「参拝しないのにするかのように振る舞うこと」となるだろうか。
 しかしここで「無い」行為はかなり特定されている。それは「参拝:(1)お参りして(2)拝む」の(1)の部分のみである。「お参りするだけ」を「エア参拝」とは呼ばないであろう。
 このように、「エア-」が付く要素の意味内容が(「参拝」のような行為のように)複雑な意味を持っている*3と、何が「無い(のに)」とされるのかという点において幅が出てくる。これが接頭辞「エア-」の意味が場合によっては捉えにくくなってしまう原因ではないかと考えている。しかしこの点こそがこの接頭辞の生産性を支えているのかもしれない。

「バーチャル」との関係

 ただし、「エア参拝」のような例を考えるには「バーチャル」という意味で用いられている点についても留意しなければならない。実際、「エア参拝」の対義語は「リアル参拝」のようである。
 また、以下の「エア充」という例ではさらに「リアル」との対比が強い。

現実生活(リアル)が充実している「リア充」に対し、仮想世界(エア)で充実している人々を指した言葉。
エア充とは - はてなキーワード

ここで「実際は充実していないのに充実しているかのように振る舞うこと」という意味にはなっていない点に注意されたい。 

「エア-」の意味の広がり(の可能性)

 上の「エア充」例も(A)の「エア-」からの派生として考えることもできるかもしれないのだが、「エア-」の意味自体が次のように拡張されていく可能性も考えられる。

  • (B) 接頭辞「エア-(X)」の拡張された意味
    • ある一部において欠落があり本来のXではないが、Xであるかのような行為・状態・物体

ただし、ここまで意味が広がってしまうと「準-」「疑似-」「-もどき」といった接辞群と変わらなくなってきてしまうので、(A)あるいはそれに近い意味が保持されていく可能性も十分に考えられる。特に「振る舞い/行為」であるという点は重要なのではないだろうか。

「エア御用」についてちょっとだけ

 さて、この語についてはこれまでも多くの議論がされてきたと思うので新たに付け加えることは特に無く、以下は個人的な感想に過ぎない。そもそもこの語、未だによくわかってないので…*4
 「エア参拝」のところで指摘したように、「エア-」が付く要素が複雑な意味を持っていると「エア-X」自体の意味もややこしくなってしまうと考えている(=何が欠けているのかという点について可能性が色々出てきてしまう)。つまり「御用」という語の意味・概念が(「ギター」などに比べて)複雑なことが「エア御用」の意味・用法の把握の難しさにつながっているのではないかと思う。ただし、この複雑さというか曖昧さが(その使用に抵抗感の無い人にとっては)使いやすいのかもしれない。
 Mukkeさんの記事でも言及されていたように、「政府(などの組織)に味方する/おもねる/こびる意図」があるかどうかも争点の一つに思うのだけれど、僕の観測班以内 観測範囲内で一番広いものでは「本人に全くそういう意図が無くても結果として政府(などの組織)を利してしまっている」という用法までありそうだ。
 僕の個人的な感覚だと少なくとも科学者・研究者、あるいは懐疑主義を標榜する人たちには「結果として政府(などの組織)を利してしまっている」と言っても「それは議論や考察の結果たまたま一致したんですね」と言われてしまいそう*5なのであまり効果的には思えない(ただし挑発としては機能するかも)。そもそも科学者や研究者向けの批判というよりは第三者へのアピールという意味合いが(も)強いのかな。

*1:「ギター」は演奏行為と結びつきやすい名詞であろうが、「ギター(を)する」がかなり許容できないことからもそれ自体が行為の意味を持つとは考えにくい

*2:哲学の方の用語ではなくてPustejovskyのアレ

*3:行為であれば全て複雑な意味を持っているとは言い切れない。

*4:こんな語について詳しく考えても仕方ないと思う人も多いかもしれないけれど、どんな表現、それこそ罵倒語や差別語でも一応考えてしまうのが癖みたいなものなので。

*5:ただしその指摘を受けて(即逆の結論に行くのではなく)検討し直すという可能性はありそう。

危険を語り継いでいくこと

 次の記事を読んで。

フランス東部の地下奥深くに有害な放射性廃棄物が埋まっていることを、人類はどのようにして何千年、何万年も後に生きる人々に伝え続けられるだろうか?
http://www.jiji.com/jc/rt?k=2011110900372r

 記事中にはいくつかの試みが紹介されていますが、ここでは言葉/記号関係について少しだけ。おそらく当たり前のことを書いていきます。

難しさ

また、埋められた地下トンネルに銅板に刻んだ警告をつける案もあるという。
 これはアンドラの取り組む別の研究分野につながっている。それは言葉やシンボルの研究で、将来の世代の人々が「警告メッセージ」と確実に理解できるような言葉やシンボルだ。同氏は「フランス語が消滅したら、何が起こるだろうか。またシンボルの意味は時を超えて同じだろうか」と問い掛けた。
http://www.jiji.com/jc/rt?k=2011110900372r

 端的に言うと、「将来の世代の人々が「警告メッセージ」と確実に理解できるような言葉やシンボル」というのは(「確実」の精度にもよりますが)無理ではないかと思います。
 言葉/シンボル/記号と意味の結び付きには様々な要因(文化的背景など)が介在してくる可能性がありますし、将来どのように変化するのかということを予測するのも、大雑把な傾向については可能かもしれませんが*1、こういうかなり特定的なところについてはかなり厳しいのではないかと考えられます。 もちろん、完璧は無理だとしてもできるだけ精度を上げることには意味があるでしょう*2
 文献学/言語学のこれまでの成果に断片的にでも触れていると大きな期待も抱いてしまうのですが、このようなケースで求められている精度とリスクの大きさを考えると、やはり不安ですよね。あまり詳しくないのですが、(認知)心理学や神経科学の知見を生かせば「人間であれば危険であると察知できるシンボル(や装置)」というのは作れる可能性があるのでしょうか。

どのように保険をかけるか

 さて、上の記事でも紹介されているように、「危険(性)を伝える」という目的を達成するためには、まず様々な対策をして多方面から保険をかけまくっておくのが良いのでしょう。
 言葉/シンボル問題については、様々な場所で、様々な言語によってその危険(性)に関わる情報を保存しておくのが保険になるのではないでしょうか。僕自身は自分の研究でそういう作業はほとんどしないのですが、昔の言葉を読む/解読する際には、色々な種類の関係史料があればあるほど可能性も精度も上がるように思います*3

語り継いでいくこと

 おそらくやはり「保険」の一つとして「普遍性を持った言葉やシンボル」に言及しているのではないかと推測しますが、現実的には「絶えず語り継いでいくこと」が一番重要なんだろうと思います。
 これも断言はできませんが、(何百年・何千年後の人々とは言葉を用いた直接のやりとりが厳しいとしても)よほどの外的要因が無ければ一世代後の人々との言葉を用いたやりとりは可能なので、それを延々と続けていき、危険(性)の伝達を途切れさせないのが不安定なようで確実なのではないでしょうか。
 色々考えてみたのですが、結局、「他の地域や集団と、あるいは次の世代と断絶しないこと*4」がよい対策に(も)なるというところまでしかたどり着けませんでした。もちろん、断絶してしまっても機能するような保険を考えておくのも同時に重要でしょうね。

余談

 「人類がほとんど全滅しかけた後の世界」設定の物語で時々「その世界の人々には放射性/放射能標識*5などのシンボルの意味がわからない」という展開が出てきますが*6、あれの原型ってどの辺りにあるんでしょうね。おそらくSFなのではないかと推察しますが、SFにはあまり詳しくないもので…

追記(2011/11/15)

 とっくに専門分野では考えられているのかもしれないのですが、こういうところの対策にかかるコストも含めて考えると、やはり放射性廃棄物管理のコストは膨大なものに思えますね…

*1:それでも様々な“例外的”なケースがありうるでしょう。

*2:それを達成するためのコストとの兼ね合いもあるでしょうけれど。

*3:そのことにより生ずる困難も色々あるのかもしれませんけれど。

*4:こういうのも「持続可能性」の問題に入ってくるのでしょうか。

*5:ハザードシンボル - Wikipedia

*6:最近だと貴志祐介『新世界より』にそのような下りがありました。