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【解説編】「理系」「文系」撲滅運動

 以前書いた以下のエントリの評判が微妙でしたので解説編を書くことにしました。

こういうネタっぽくするレトリックには憧れているのですがどうもうまくできません。というわけで、今回は真面目に考えていることに絞って書きます。

おさらい

 基本的には、前回のエントリで書いた主張自体はネタではありません(ネタなのは具体例とか文体とかそういう部分)。簡単にまとめます。

 「理系」「文系」という語には、

  1. 定義が曖昧で何を指して「理系」「文系」と言っているのかあやふやだったり人によってずれがあることが多い
  2. 実際は特定の領域(哲学とか物理学とか)の話をしているのに「理系」「文系」を使うことで他領域まで巻き込んでしまう

というような問題点があるのでいっそのことを使うのをやめてはどうか。

定義が曖昧なことは問題なのか

 さて、もちろん定義が曖昧なまま用いられている言葉なんてたくさんありますし、それだけでは問題になりません。
 僕が嫌なのは、曖昧なカテゴリーと曖昧な特徴付けが簡単にセットにされてしまうという点です(例:文系は非論理的*1)。
 前のエントリでも書きましたが、個人的に、これは血液型性格判断に近い気持ち悪さがあります。ただ個別には血液型性格判断よりはありそうな話もあるかもなーと思うので、血液型性格判断の話より共感は得られないだろうなあ、と考えています。

分類したいなら代案もあるよ

 さて、以下のような反応をいただきました。

「多少の不正確はあっても、大掴みで捉えることに、より大きなメリットがある」状況は珍しくない。大きなところから話を始めて、次第に微細な議論へ移行する際に、一定のコストを支払うことになるのは当然ではないだろうか。その手間を惜しむ気持ちはわかるが、解決策として大掴みで捉えること自体を否定するのは乱暴だと思う。
用語「文系」「理系」撲滅試論について

 「大掴みで捉えること自体を否定」なんか全然していないつもりです(ただしその分類が「理系」「文系」である必要ってどれぐらいあるんだろうという思いはあります)。実際、前のエントリですでに代案を提案してあります。

どうしても上位のカテゴリを使用しなければならない場合は「人文(科)(学)(系)」「社会(科)(学)(系)」「自然科学(系)」を使用することを提案する。
用語「理系」「文系」撲滅試論 - 思索の海

 どうしても二分類したいということなら「人文」「理数」辺りですかねえ…個人的には大まかと言っても「人文」「社会」「理」「工」「数」ぐらいにはしたいところなのですけれど。

どうしても分類したいんでしょうか

 さて、こういう話について書くと必ず次のような反応があります。
 まず

  • それじゃある特徴を持つ人(例:数学ができない人)をどう分類すればいいの

といったもの。それはそのまま「数学ができない人(できる人)」で分類すればいいと思いますが…その方がわかりやすくないでしょうか。

  • 新しい分類の提案(例:「理系」「非理系」とかどうですか)

 きちんと定義できてかつ既存の語(「人文」とか)より便利な語を考えるのはなかなかしんどそうな気がします。良いアイディアが出たらそれはそれで面白いと思います。
 というかそもそもこの運動には「そんなに人を分類しなきゃいけない場面て多いかなあ」という問題提起も含めているつもりです。まあただこれは僕の環境とか職業だから言えることであって、もっと必要な人は意外と多いのかもしれません。
 他にも

  • こういうこと考えるのって文系の人が多いよね

という反応も何回かいただきました。そうなんでしょうか。

「撲滅」について

 実は、前のエントリを書いた後は「言語研究者が言葉狩りとか」みたいな批判が来るかと思っていたのですが、今のところ無いですね。
 正直なところ、完全に使用をやめることができるかと言えば、それは難しそうだという気がします。特に受験関係の話題では困ることが出てきそうな。完全にやめるには言葉だけでは無くて教育制度とかそのものの変化が必要でしょうね。
 僕のこの運動における主張(提案)を正確に書くと

  • 「理系」「文系」という言葉を必要ない場面では極力使わないように意識することによって、余計な混乱・齟齬、不必要な対立が避けられるのではないか

という辺りになるでしょうか。

おわりに

 さて、なんか「もっと気をつけて言葉を使ってみない?」というなんともありきたりなところに行き着いてしまいましたが、カテゴリと特徴・性質を乱暴に結びつけてしまうというのは実は差別問題にも関連する結構重要な問題だと思います。もちろん「文系差別」みたいなのがあるとか考えているわけではありませんよ(個別のケースではそれに近いものがあったりして)。
 「文系」だけれども「理系」に興味がある人も「理系」だけれども「文系」に興味がある人も結構いると感じます。それが「理系だから…」「文系だから…」という言い方によって変に分断・対立が出てきてしまうことがあるとすれば、ちょっともったいないかなと。実際には面白い交流をしている人も現時点でたくさん見かけますので、こんな「運動」なんて言わなくてもいいのかもしれませんけどね。
 一方で自分の専門分野に限られるような話なのに「(人)文系は…」みたいにすごく広げて語っている研究者なんかも定期的に見かけますので、なかなか根深くて難しい問題なのかなあとも感じます。

追記(2012/08/04)

 ツイッターなどで何人かの方から「芸術」系が入ってない、という指摘を受けました。確かにこれを書いている時はあまり念頭にありませんでした。偉そうなこと書いておきながら視野の狭いことでお恥ずかしいことです。

*1:もちろんどちらもきちんと定義すること自体はできると思います。

ポスドクのうちに書いておこうシリーズ3:人文と自然科学と

  1. ポスドク?になって院生の頃にやっておけばよかったなーと思ったこと - 思索の海
  2. ポスドクのうちに書いておこうシリーズ2:厳しさとか人とのつながりとか - 思索の海

 以下の本に面白い下りがあったので紹介もかねて。

遺伝子・脳・言語―サイエンス・カフェの愉しみ (中公新書)

遺伝子・脳・言語―サイエンス・カフェの愉しみ (中公新書)

Y「大学時代、授業で習ったチョムスキーの言語学に衝撃を受けましたが、この頃の私にとっては言葉に関する学問というのは、人文科学の領域に存在するものでした。つまり言語学は文系の学問でしかありえない、と。しかし、酒井先生の『言語の脳科学』を読んで、言葉の核にある文法というものが今や科学の世界では遺伝子や脳のレヴェルで解明されようとしていることに、非常に衝撃を受けました。このような自然科学の精密なアプローチによって言語が解き明かされていくならば、いわゆる人文科学的な方法論による言語学というものに、今後まだ、出る幕はあるのでしょうか。」
酒井「チョムスキーは、言語学を自然科学にしたかったので、モデルとして使っているのは物理学の原理です。私がMITで言語学に接したとき、これはまさに物理そのものだと思って感動しました。言語学がこうした理科系のアプローチによってますます発展していくということを確信したのです。
 その一方で、人文系のアプローチの良いところは、理科系のような正攻法で進めず、論理的に進めないところを飛躍してしまうところです。たとえば、この文章はうまいとか、人を酔わせるとか、感動させるとか、そういう主観的なものを科学的に解明するのはまだ難しいわけです。人文系の方が、複雑なシステムの本質を、軽やかに見抜いているところがある。心理的な問題だってそうです。脳科学が対象にする精神現象は、精神分析との間にかなりのギャップがあります。私たちは、その溝を埋めていこうと努力をしているところです。ですから、人文系の人たちも、自然科学をあまり毛嫌いしないで応援してくれると、いろいろな新しい可能性が生まれてくると思います。」
堀田「僕も、人文科学的なアプローチがなくなっていくとは思っていません。ただ、強いて言わせてもらえば、人文科学の方は、必死で努力しているのでしょうか。理系の科学者の方は、本当に必死で努力している。そうしなければこの世界で生きていけない。人文系でも命をかけて努力する人は、確実に人文系を開拓していくはずです。自然科学だけではできないことはたくさんあるわけですからね。だから、彼らは本当に勝負しているんだろうかと、正直に言って不満に思うことはあります。勝負していない人たちが行き詰まるのは当たり前。そういうことです。」
(同書, pp.81-83)

 Yさんはサイエンスカフェの参加者ですかね。結構厳しいことも言われていますね(^^;
 従来の人文(科)学のアプローチ(の延長)でやれることはたくさんあると思います。言語の記述に限っても、できることは色々残されてるんじゃないかな。
 ただ、自然科学や工学の人たちと、もっともっと交流を深めてもいいんじゃないかなあ、というのがここ数年の実感。言語学・自然言語処理合同勉強会での体験も大きいのですが、その他でも、他領域の人たちと話していると言語学/言語研究の知見や知識って気にされていたり期待されていたり興味を持たれたりしていることって意外と多かったのですよね。もちろん逆に、言語学の方で自然科学/工学の成果や知識を知っておいたほうがいいだろう、と感じることも多いです。
 院生の頃の話に引きつけて言うと、まあこれは別に自然科学に限らないのですが、他の研究分野の院生がどれぐらい勉強/研究しているのか知るってのはとてもいい刺激になるんじゃないかと思います。僕が未だに覚えているのは、理論物理の院生と話をしていて、彼らのゼミの長さとか勉強量とか、何よりそれらが普通だという感覚に衝撃を受けた体験ですね。単純に量とかで比較して勝ち負けとか言えないかもしれませんが、「負けてられない!」と強烈に思いました。今でも思い出せますし、また忘れないようにしています。似たようなことは哲学の院生とか他大の言語学の院生とかと話して感じたこともあるので、別に人文/自然科学っていうような話でもないんですけどね。あと実験系の人たちが実験にかける手間や実験のデザイン/手順の話を聞くと、「事実/現象が何かを明確にすること」がいかに重要で大変なことなのかが再確認できて良かったり。
 結局これも人とのつながりって大事だよ、っていう前のエントリの話につながっていきそうですね。自分は院生の頃、本当に良い出会いに恵まれたし、今でも恵まれているなと思います。
 ちなみにこの話は2回のまとめの最後に出てきて、これから読む3回のテーマが「手話の脳科学」なのでこれまた楽しみです。

量化キャンペーン

 さて、「「理系」「文系」撲滅運動委員会」も無事立ち上がったわけですが(参考:用語「理系」「文系」撲滅試論 - 思索の海)、今日は関連するキャンペーンを一つ紹介しておきます。ちなみに、「量化キャンペーン」という名前はid:contractioさんが付けてくださいました

「理系」「文系」という言葉の撲滅キャンペーンより先に、「理系」「文系」「専門家」「学者」「〜派」「男」「女」「日本人/外国人」など属性や集合を表す名詞の前に「ほとんどの」「多くの」「一部の」「ある」などの表現を付けることを推進するキャンペーンを打ち出すべきだったかと後悔している。less than a minute ago via Tween Favorite Retweet Reply

こういった量化表現にちょっと気を付けるだけでも、色んな(不必要な)争いが回避されて、世界はだいぶ平和になると思います!

用語「理系」「文系」撲滅試論

そろそろ「理系」「文系」という言葉の使用を禁止してはどうか。less than a minute ago via Tween

※注意点:私は理系文系学の専門家ではありません。

はじめに

 「理系」「文系」という言葉を使い続けるにはデメリットが多く、特に使い続ける必然性も特に思いつかないので、いっそのこと使用を一切やめることを提言する。
 なお、本稿では言葉の使用のみに焦点を当て、教育システムの問題は取り扱わない。

「理系」「文系」という言葉の問題点

1. 定義が曖昧である

つまるところ、まともな議論がしたい場合には、「文系/理系」を

  • 高校での所属科、入試に必要な科目、大学での学部/学科などの被教育歴
  • 大学やその後携わっている専門分野の性質
  • 職種

などで区別するのか、それとも

  • 文章の書き方や論の進め方における特徴、あるいは得意な技術
  • 「理屈っぽい」とか「感情的になりやすい」とかいう漠然とした性質

に対する手近で適当なレッテルとして用いるのかぐらいは意識しないと、大分すれ違いが起こりそうだよなあ、という気がします。
理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ - 思索の海

 定義をすりあわせてから議論を始めること自体が困難である場合も少なくない。また、この曖昧さの危険性は、そこに起因する誤解やすれ違いが罵倒や殴り合いまで発展することがあるというだけではない。定義が曖昧なために、「これだから理系/文系は…」という新たな偏見が生まれ、固定化されるのを防ぐことができない。

2. 特定の領域の代わりに使用されてしまうことがある
 実際には「理系」「文系」という言葉を用いていても、「物理学」や「文学」といった非常に特定の分野のことしか指していないケースがしばしば見受けられる*1
 このため、「文系には実証という過程が無い」などといったトンデモな発言さえ割とさらっと出てきてしまう。恐るべきことに、これはアカデミックな世界に職を持つ専門家から発せられることもあり、げに恐ろしきは「理系」「文系」という用語の魔力、といったところであろうか。この用語を使わなければ、たとえば上の発言は「哲学には実証という過程が無い」といったものになるので、後は哲学者にフルボッコにしてもらえばよい*2

3. 雑な一般化を誘発する
 1および2にも通底する問題である。この言葉が存在するために、「理系は〜」「文系は〜」という「理系文系性格判断」とでも呼ぶべき大変雑な一般化をしてしまうのではないかと推察される。
 自分の体験談や伝聞を含むごく少数の例からの一般化など厳に戒められているはずの大学院生やプロの研究者にもこの魔境に絡め取られてしまうものは少なくないという頭の痛い事実を考慮すると、血液型性格判断のケースのような啓蒙をするよりも、用語の使用を辞めてしまった方が効率的であると考える。

4. 他の「〜系」が新設し難いために、二分法に陥りやすい
 すなわち、理系=非文系、文系=非理系という意味で用いられてしまい、さらに話がややこしくなる危険性がある*3。1で述べた「定義が曖昧である」という特徴とコンボになることにより、実際にそれを見抜き指摘するのは案外難しいようである。
 なお、第三(以降)の勢力として有力なものにはすでに「体育会系」があるが、「理系」「文系」と同じく定義が曖昧であり、さらに「理系」「文系」と必ずしも排他的関係に無く*4、「体育会系」という用語使用の強化が新たな混乱を招く危険性もある。
 第三、第四、第五の「〜系」を作り出すことができればこの問題は回避できるかもしれないが、それならば既存の「理学部」「文学部」「経済学部」などを使用すればよい。

 以上の問題は、「理系」「文系」という用語を速やかに廃止することによって簡単に克服されるものと考えられる。

代案

 通常は「理学部」「工学部」「文学部」「物理学」「文学」「経済学」「心理学」などを使用すればよい。どうしても上位のカテゴリを使用しなければならない場合は「人文(科)(学)(系)」「社会(科)(学)(系)」「自然科学(系)」を使用することを提案する*5。実際、筆者はここ数年理系文系問題に言及する場合以外はそのようにしているが、特に支障は無い。
 筆者の私的体験という確たる証拠を示したが、不安な方のために具体的な会話例も示しておこう。

Before
A: B君の進路は理系?それとも文系?
B: 理系
A: へー数学大変だね!

After
A: B君の進路は理学部?それとも文学部?
B: 理学部
A: へー数学大変だね!

全く問題無いのが明らかだろう。さらに蛇足ではあろうが、「理学部と理系ってどう違うの?」「しっ!「理系」って言葉は使用禁止だろ!誰かに聞かれたらどうするんだ...」「ごめん、でも「理学部」ってよくわからなくて...」「しょうがないなあ」...のように、会話が発展していく希望も見込まれるという点についても触れておきたい。

さらなるメリット

 「理系」「文系」という言葉の上での単純な二分法を無くしてしまうことは、どちらかと聞かれると困ってしまう分野(心理学など)の人々や、「数学の必要性」が大変重要なファクターであるにも関わらず、「理系」じゃなくて「理数系」だろ!と主張することの無い*6奥ゆかしい数学徒諸氏にも、眉をひそめる機会の少ない社会を提供できるものと信ずる。

考えられうるデメリット

 用語「理系」「文系」を使用しないことによるデメリットはあまり思いつかないが、唯一「理系の人々」シリーズ

理系の人々

理系の人々

などのタイトルを今後どうすればよいのかというのは頭が痛い問題である。

おわりに

 本稿では、数学が苦手で理学部・工学部以外を選択→卒論で突然統計が必要に→学生「えっ」教員「えっ」というような問題には踏み込むことができなかった。これは教育システム上の問題とも深く関係するので、理系文系学自体の発展とともに今後の研究の進展を望むものである。

*1:単に他分野のことまで考えが至らないのか、戦略的に行っているのか、というのは興味深い論点であるが、稿を改め論じることとしたい。

*2:哲学者の食指が動くかどうかは別の問題である。

*3:筆者の体験では、後者の方が多く観察された。

*4:ガチ人文系学部の学生でありながら、体育会系の部活に所属してジャージで授業に来たりしていたために、当初一部から「女子学生目当てに授業に来てる体育専門学部の人」という疑惑さえかけられていた私のようなケースを考えてもらえばよい。

*5:どうしても必要な場合は「いわゆる」付きで「理系」「文系」の限定的使用を許可する、という案も考えられる。

*6:少なくとも筆者は見たことが無い。

理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ

 ニセ科学問題について論じる場で結構話題になることが多い「理系/文系」、僕も少し書いたことがあるのですけれど↓

今回は自分がこの話題について考えたり、何か発言しようとする時に感じるもどかしさについて書いてみます。「整理」という段階までも行けるかどうか…
※案の定、非常に長い上にまとまってないです。現時点で書き出せるのはこの辺りまでかなあ…あまり期待せず読んでください(^^;

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