誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

また!?

 なんかそろそろ、別のもやれよ〜って声が聞こえてきそうですが、またまたFairy setです

Fairy Mirage
 以前YJAMでタッチャンに教えてもらって以来、意外と難しくて棚上げにしてたんですが…なんとか。mixiのコミュなんかでも晒しちゃいましたし、早めに公開しようかな〜と。動画では他にやってる人ほとんど見ませんしね〜
 見た目はDODのクロオバがミラになっただけなんですが、個人的にはDODよりかなりきつかったです。DODだとFairyで抜いたボールにそのまま飛びつけるんですが、Mirageだと移動できる範囲が限られてくるし、何より爪先を跳ね上げる時間が必要なので、余裕を持たせなきゃいけないんですよね〜
 もしかしたら爪先跳ね上げではないミラだと楽なのかもしれません。あるいは、Fairyをもっとちゃんと体の中心に向かってできる人も結構楽なのかも。僕は体から離れてやるので…せっかく爪先跳ね上げでやってるので、この後クロアラなんかにつなげると同方向三回転で綺麗な気がします。
 Fairy setはあとFairy ss Leg OverとNallegamができたら打ち止めにしたいんですが…しばらく無理かな〜
 今日は少ないですが、これだけで(>_<)/あ、ホームページにも同じ動画追加しておきました。

「脳死」ってなんだっけ

 突然ですが、「脳死臓器移植とその問題点について簡単に説明してみて」と言われて、さらっとできる人はなかなかいないのではないでしょうか。もしかしたら常識なのかもしれませんが、少なくとも僕はそんな一人です。
 というわけで、今日のレビューは言語学からちょっと離れて↓

 仮に分類するならば、学術書というよりは啓蒙書です。なぜ買ったかというと、直感というしかありません。そのストレートなタイトルに惹かれた、ぐらいでしょうか。後は帯に「臓器移植への反論として、はじめて論理的な問題を明確にした」という評が書かれていたからです。
 読み終えてみてまず感じたのは、その評はおおむね的確である、ということです。
 この問題には医学、社会制度、倫理学などいくつかの観点からの問題が存在しますが、それらがひとまずは独立した問題であるということがはっきりわかるように、またそれぞれの問題に対して誠実に説明が加えられています。
 語り口は辛めですが。
 根拠の怪しいスローガンを繰り返すことも無く、議論の相手陣営を理由もなくこき下ろすこともしません。明確な議論がひたすら連ねられていきます。道徳・倫理観、生死観の違いなどが論点になるところははっきりそう書いてあり、筆者の哲学が明示されています。こういう議論を書くのには勇気と実力が要ります、なぜなら明確な議論は問題点や突っ込みどころも非常に分かりやすいからです。
 筆者の大きな主張の一つには、なんと、「(脳死臓器移植の)ドナーを拒否する人は上品で賢く、ドナーになろうとする人は下品で愚かなのである」というものがあります。
 この文言に反感を抱いた人も、少し気になった人も、本書を読んでみると良いでしょう。結果としてどの論陣に軍配を上げるかはわかりませんが、確実に「どの点について考えて判断すれば良いのか」ということは分かるでしょう。
 僕はそもそも「こう生きるべき」とか「生きることの意味は…」などといった議論は好きではないのですが、この本はそのようなタイプの啓蒙書(啓発書?)とは一線を画すと思います。筆者の議論には結構説得されるところが多かったですが、もちろん、研究者の性として?他の意見も読んでみなければ判断は下せなさそうです。
 そういえば、筆者はただ「ダメ」というだけではなく、具体的な代替案もきちんと提案しています。
 また、巻末の養老孟司の解説も、ただ本書を賞賛するだけではない、一歩違った立場から書かれた一種の補足になっていますので、そちらまで読むことをオススメします。
◆余談1
 かつて友人に「自殺したい人には死なせてやって、臓器移植すれば皆が幸せになるじゃないか」と問われたことがあります。僕はその時、それに付随して発生するであろう様々な犯罪の可能性について述べ、反論しましたが、この本でもそういった社会制度全体から見た時の影響についての全く同じような問題点が指摘してあり、驚きました。また、実際に現状でどのような犯罪が行われているかについても触れています。
◆余談2
 攻殻機動隊(アニメ)のエピソードに確か近未来の臓器売買問題を扱った一話があります。攻殻機動隊にはその社会システム、ネット、心と身体、政治などに関して非常に示唆的なエピソード、シーンが多数登場しますが、この本を読めば「所詮SF」とは笑い飛ばせないところがあるでしょう。さらに余談ですが、2nd GIGの方ではアジアに関する諸問題も一つの大きなターゲットとなっていて、感心と共に、ぞくりとさせられることも何度かありました。