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歯切れが悪いのは仕様です。

Lexicalismについてその2

 最近専門は何ですか、と言われると「morpho(phono)logy-syntax interfaceみたいな感じです。」と答えるようにしている。
 現象としては最近日本語の語形成屋さんととられるかもしれないことを良く発表してるけど、何をやってるかというと、「派生/屈折」「語」「接辞」なんていう概念を理論的に厳密に追いかける(というか全部最終的には破棄したい)ということだったりする。
 で、今日ふと気付いたんだけど、最近発表の質疑なんかでlexicalismに対するかなり強い批判なんかを口にしてる自分がいる。
 最初の頃、Distributed Morphology関連の論文を読んでると不必要だと思えるほどlexicalismを徹底的に攻撃してて、「何もここまでやらなくても十分良く体系付けられた理論なのに」思ったものだった。
 ところが、最近自分でも明確に立場を表明し始めてようやく痛感したんだけど、理論やってるやってないに関わらず、周囲からの「なんでわざわざそう考えなきゃいけないのか根拠を示せ」っていう要請がものすごく強い。
 これに頑張って答えようとしていくと、なんだかlexicalism批判にそこそこの時間やスペースを割くことになってしまうわけだ。
 これは生成文法でのChomsky(1970)"Remarks on Nominalization"(とその後lexicalismを推し進めたたくさんの研究)がものすごく強い影響を持っているというのに加えて、lexicalism(のような)考え方が、生成文法に限らず、言語学者にとってはものすごくなじみやすい考え方だからなんじゃないかと最近思い始めている。
 まあ自分の研究はある程度の信念と情熱とそこそこの自信(見通し)を持ってやっているので今更曲げる気は無いし、むしろぞくぞくしてくるぐらいだけど、これからはその点に注意して発表も論文もやっていかなければ、と感じることが多い。
 …博論はかなり過激になりそうだな…まあ僕を知ってる人は根っからの過激派だって大体分かってると思いますが(笑)