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歯切れが悪いのは仕様です。

平井堅と文法--LIFE is...から(1)--

平井堅、大ファンです。
曲を聞いてる間は浸っているのですが、それでも時々”言語学(文法)から見て”はっとさせられるような歌詞があります。もはや職業病としか言えないのですが、そんな歌詞についてちらっと。ちなみに、

「音楽は感じるものであって、分析なんかするんじゃない!」とか思っちゃいそうな方は読まれない方が良いのかも。それと、以下は「〜だから好き/良い」という評価ではありません*1。僕が平井堅を好きな理由は他のいくつかの点によるものです。

"LIFE is..."名曲だと思います。歌詞全部載せたいところですが、色々と問題あるそうなので、必要最小限を引用します。こういう目的でごく一部なら大丈夫…なはず。

まず、今回はウォームアップ。歌いだしの次の2フレーズを比較します。

  1. 自分を強く見せたり
  2. 自分を上手く見せたり

1については問題ないですよね。「(本当は弱いのに)自分が強いように見せる(振舞う)」って感じです。この場合「自分=強い」という関係が成り立っています。専門用語で"predication"と言ったりしますが、まあ学校英文法五文型で言う"SVOC"を思い出していただくと良いでしょう。文法に詳しい方は"small clause"とかを思い浮かべるかもしれません。
さて、問題は2。これ、1と同じでしょうか。僕の最初の直感は「違う」というものでしたが、何が「違う/同じ」なのでしょう。
まず「同じ」場合、「強く」と「上手く」の部分だけが*2違っているので、上の言い換え(paraphrase)そのまま当てはめると「(本当は上手くないのに)自分が上手いように見せる(振舞う)」でしょうか。
僕が感じた方のニュアンスは、「自分を見せる(≒アピールする)やり方が上手い」というものでした。「同じ」場合と何が違うのか。その場合は「見せ方の上手さ」については何も言っていません。例えば、「彼は自分が上手いように見せるやり方自体についてはあまり上手くない」とか言っても矛盾ではありません。「違う」場合は、もはや例文をきちんと作ることができませんが、「見せるやり方が上手く、かつ上手くない」となってしまい、矛盾です。

専門用語で言えば、「違う」場合の「上手く」は様態副詞(manner adverb)なのではないかということです。「同じ」場合については難しいですけれど(学校文法だと同格補語とか言うのかな?)、形容詞だと考える立場とかがあります。これは統語論的(品詞論的?)な違いです。意味論的に見た場合、その違いは、「違う」場合は出来事(見せる)の様子(manner)を、「同じ」場合は人(自分)の特徴を詳しく表しているという点です。
さて、「強く」も様態副詞になることはできます。「強く殴る」とか言うときには「殴るやり方(様子)が強い」わけですよね。ただ、「見せる」の場合にはそのやり方(様子)を「強い」と特徴付けるのが困難なので解釈が一つしか出てこないようです*3

僕にとって興味深かったのは、問題の二文が「〜く」という部分しか違わないのに、その統語論的/意味論的性質が異なっているととれる場合があるという点でした。歌詞(もちろん文章もそうだけれども)の解釈が聞き手に委ねられるというのは一般的だと思いますが、それが語の意味とかではなく文法的な曖昧性(ambiguousness)によってもたらされるっていうのはそんなには無い気がします。

…ここまで来るとホントに病気ですかね(笑)しかも、この記事だけやたら丁寧体で書いてるし…なんでspeech levelのシフトが起こ(したか)ったのかっていうのも面白いのかも?

平井堅と文法--LIFE is...から(2)--に続く。

*1:だから"レビュー"のカテゴリにも入らない

*2:この”だけが”という表現が第二回のテーマです(笑)

*3:人によっては「強くアピールする」のように読めるのかもしれませんが