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歯切れが悪いのは仕様です。

韓国語/日本語の形態・構造とhead movement

今日は久しぶりに?お勉強も頑張りました。言語学の論文一本と科学哲学の本を読む。本の方は相変わらず貸し出し禁止中なので、全部は読めず終章はまた明日図書館で読むことにしよう。
論文はこの前にもちょこっと書いたけど、

  • Koopman, Hilda(2005)"Korean (and Japanese) Morphology from a Syntactic Perspective," Linguistic Inquiry 36:4, 601-633.

というもの。実は結構前から論文のarchiveでpreバージョンが出回っていたので一応斜め読みはしていた。その時は結構この論文の意義っていうか利点が良くわからなかったのだけれど、改めて読み直してみると…面白いかも。

  • 注)この後のレビューは非常にマニアックです(笑)

以下、専門的な内容になる前にちょこっと背景を。
この論文はPeter Sellsという人が1995年に同じ雑誌に載せた論文への反論になっている。ちょっと詳しく述べるとSellsはいわゆる"Lexicalistic"な立場。Koopmanは10年経ってSyntacticな立場からの反論を出したというわけ。もちろんというか、未だに現象・理論ともにSellsの論文はその価値を保っていると思うけど。ただ、注意しておくべきなのは、Sellsの論文はほとんど韓国語の分析中心だということ。途中途中に日本語に関する分析も出てくるけど、「ちょうど分析に向いた例だけ挙げた」という感じは否めない。韓国語と日本語は文法が似ていると言われるけど、僕の私見だと、形態論のパラダイムは結構異なっている。どちらかを軸にして両方の形態(統語)論的分析を行うのは危険ですらあると思う。Koopmanの論文も現象や一般化に関してはSellsのものをそのまま持ってきているので、そのあたり特に日本語の研究者からはクレームが出るところだろう。

ここでSells vs Koopmanの議論を紹介することはしないけど、Koopmanの論文の面白いところをちょこっと。
Koopmanはかなり強い主張をしている。一番は、Mirror Principleの否定とKayneのAntisymmetryから韓国語/日本語を分析するという点。詳しく述べると前者は「形態論(線形順序)は統語論の直接的反映ではない」ということであり、後者は「韓国語/日本語も構造的にはhead initial」という主張になる。
これだけ聞くと「ええ〜まじで〜」って感じだけど、実際にその分析がありかどうかは論文を参照(笑)僕の意見を書いておくと、「もしかしたらSellsよりちょっと良い線いってるけど、まあ問題は山積みだね」って感じ。
ただ、発想の転換というか、理論的には非常に興味深い。一番は主要部移動(head movement)に関する議論。Koopmanはhead movementを全てXP移動(phrasal movement)に還元してしまう。head movementはminimalistになってから非常に問題視されていて、最近でもいくつか論争がある。もちろん全然解決していないけど、大雑把にまとめると、「Syntaxでheadがちゃんと動いている vs Syntaxでは動いていない。形態(音韻)論の問題(操作)だ」という議論になっていると思う。
Koopmanはこれに対して「確かに何かが統語論で動いているけど、それはheadではないよ」と言ったということだ。これで、1)動いている派が出している証拠(主にスコープに関する現象)と、2)head movementという存在自体の理論的問題、の両方に対して解決案を出すことに(発想のレベルでは)一応成功している。
しかも、これを仮定すると韓国語/日本語の線形順序(語順)だってhead initialから自動的に出せるというおまけつき(Kaynianが上手くいくことが良いかどうかは別にして)。
もちろん、理論的な冒険はいくつかしていて、特に選択(Selection)の定義とかが問題になるだろう。ただ、この点に関してはDominique Sporticheの研究を下敷きにしているらしいので、結構理論的にも詰めているのかもしれない。

最後に僕の意見を。
SyntaxでやろうというKoopmanの発想には賛成するけど、具体的な日本語の分析を見るとそれほど成功しているとは思えない。そもそもの根本的な問題(現象)が解決されていなかったりするし。もしかしたら韓国語については結構面白いことになっているのかもしれないけど。ただ、Kaynianを採用するかどうかは置いておいて、その発想というか理論の一部は結構吟味する価値があると思う。もしそれで上手くいかなくても、これまでの研究(理論)を見直すという点では役に立つのではないだろうか。というわけで、自分でも枝書いて色々やってみます。

さて、これ最後まで読んでくれた人ってどれぐらいいるのだろうか…