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歯切れが悪いのは仕様です。

科学哲学:社会化された認識論

やっと読み終わった〜↓

内容的にはかなり興味があって、しかも過去のエントリーでも取り上げたけど、伊勢田哲治さんの本!でも今回は結構専門的…それもそのはず、これ伊勢田さんがMarylandに出したdissetationの日本語版なんですね〜さすがに門外漢が読むにはちょっとしんどかったです。
でも、あまり全部理解しようとすることにこだわらなければ、認識論(科学哲学)、社会学、倫理学およびそれらの関連性などについて幅広い、比較的最近の知識が手に入ります。
特に科学哲学に関しての言語学者の認識ってクーンとかポパー辺りで止まってることが多いような気がしてるし、生成文法だとよく科学のお手本としての物理学との対比が多くイントロ本に出てくるけど、その物理学(的アプローチ)なんかが現在の科学哲学でどのように捉えられてるのかってのは知っておいても良いと思う。
それだと戸田山和久が強力に推している認識論の自然化の話でも間に合うわけだけれども(というかまずそっちが基本になるんだろうけど)、そういったプログラムを具体的に実行する一つの手段として何があるのか、ってところまで進むと社会学的アプローチがその一つとしてあるわけね。


この本が言語学者にとってオススメである理由の一つは、「社会学自体への社会学的 or 科学哲学的アプローチ」が取り上げられているところ。
社会学にも色々な考え方、方法論があると思うけれども、どうしても「人間」が関わってくるものが研究対象になってくる。「人間」が関わってくるとそれを「無味乾燥な(笑)」科学的アプローチで取り扱って良いかどうかという問題が必ず出てくるように思う。言語学にだってそういう対立は今でも明確にある。言語学で問題になるそういう対立や、言語学ではどのようなアプローチが有効で、それらの間にはどのような対立、問題点が出てくるかということを考えると社会学の状況というのはとても他人事、対岸の火事では済まされないだろう。
社会的構造を生み出す原因として遺伝的な要因を重要視する社会生物学とそれの発展形である(と伊勢田さんが言っている)進化心理学のお話なんかも「言語能力」にまつわる問題なんかを思い出さずにはいられない。
全部読むのはさすがに暇人だと思うけれども、ところどころ拾い読みしてみても面白いのではないでしょうか。個人的にはこの本をネタにして言語学者集めて議論したら結構面白いと思うんだけれどもな〜ただ、認識論、科学哲学に関する若干の基礎知識は必要かも。これも個人的には大学の基礎とかで教えるべきだと…まあいいや。
できればもう少し噛み砕いた啓蒙書タイプのものが出てくれると嬉しいです。