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歯切れが悪いのは仕様です。

金谷武洋『日本語に主語はいらない』に突っ込んでみます:イントロ

 色々迷ったのですが、やっぱり書いておくことにします。
 ※具体的な突っ込みは次回のエントリからで、ここから下はただの愚痴の羅列です。飛ばしていただいて問題ありませんが、下の方に有益なリンクをいくつか貼ってありますのでそちらは参考になると思います。僕自身の各論、詳論は上の記事一覧からご覧ください。まだまだ書き足していくつもりです。
 これから取り上げていくことになるのはこの本です↓

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)

 本当はこんな本読んでる暇も無いし、ましてや批判記事なんか書いてる場合じゃないような気もしますけど…我慢したり鼻で笑って終わりにするには僕も少々若過ぎるようで(笑)
 またそして、これがなんと結構売れている…ようです。日本語系のしかも文法についての本としては結構色んなところで名前を見かけるような気がします。そして、killhiguchiさんもお書きになってますが、これがweb上ではやたら賞賛の声が多いのです。つまり、スルーするにはちょっと影響力が大きいかな、という気が。実際、研究生でこの本の主張をそのまま引っ張ってきて発表しちゃった人とかいましたし。
 日本語学、日本語文法の関係者はタイトルを見ただけで「ちょっと怪しい香りがするぞ…」と思うのではないかと思いますが、曲がりなりにも日本語学と生成文法に携わっている者としての率直は感想は「ひどい…」です。というか、これこそまさに噴飯モノです。日本語学、日本語教育、生成文法の分野のどれかに関わっている人ならば、間違いなく読んでいるうちに何回も神経を逆撫でされることと思います*1
 ただ、この本自体が間違いないトンデモだというわけではないとも思います(弱気過ぎるかしら…)。一応、部分的には検討しても良いかな、という箇所もあるような気もします。が、あまりにも

  1. 先行研究や現在の各学界の研究の状況を踏まえなさ過ぎ(ちゃんと勉強しててこれならなおさら悪いです)。
  2. 言語に関する議論と文化論と個人的な怨みつらみや不満を混ぜて議論し過ぎ。

です。こんな駆け出しで若輩者の僕が言うのはおこがましいのですが、どう読んでも「勉強しな過ぎ」あるいは「配慮しな過ぎ」だと思うのです。金谷氏は博士号(言語学)を持っているということですが、言語学でも自分の専門分野以外のことには素人に近い、ということは往々にしてありえますので専門の方では素晴らしい研究者なのかもしれませんが…
 というわけで突っ込み記事を書くことを考え始めたのですが、突っ込みどころが有り過ぎなんですよね…いちいちやっていくと、本文のほとんどを一段落ずつ引用して突っ込んでいかなければならないかもしれません。それも面倒なので、最初は

  • この本の記述を通して、生成文法に関するたまにある誤解やよくある批判なんかについて考える。

というようなところから始めてみようと思います。どれぐらい長く続くことになるのかわかりませんが、ちょっとずつ書き溜めていけたら、と思います。

※ある程度書き続けてきて、最近方針が固まってきました。それは、この本に突っ込むことによって、生成文法やそれにまつわる誤解、あるいは言語研究に関する色々な問題点について考えてみよう、というものです。というわけで、実際の主語論には立ち入っていない記事がほとんどです。この辺りは僕ももっときちんと調査してから書かなければ、と思いますし。ただ細かいローカルな議論についてはこれから言及するかもしれません。

 web上でまとまった形で読める批判はあまり無いと思うのですが、上でも挙げた以下のkillhiguchiさんの記事は参考になると思います。

 ちなみに、これから僕が書こうと思っている内容の多くは、2chの以下のスレですでに議論されていたりします。2chの議論を読むことが苦ではない方はご参考に(過去ログ倉庫に入ってしまいました)。

※パート2を見つけたのではっておきます。まだ読めます。

 さて、どうなることやら。

*1:僕は途中であまりにも腹が立ってくるので、ちょっとずつ読んでは本を置き、また我慢して読み始める、の繰り返しでした。