y4su0さんに教えてもらったのですが、金谷氏のブログ*1のある記事のはてなブックマークの数がえらい勢いで伸びてます。
y4su0さんがここに僕のブログの記事へのリンクをはってくれたので、今日は結構ここから訪問者が来ました。このシリーズはできるだけ金谷氏(の著作)に興味のある方に読んでいただきたいので、嬉しい限りです。しかしブクマの数の割にはコメントが少ないのが残念ですね…色々反応を期待してたのですが。これから増えるかな?
さて、今回はその記事の中に気になる表現が出てきたので取り上げてみます。はてブコメントの方にも気になった方がいらっしゃったようですし。
その表現とはこれ↓(今回は突っ込みというよりは注釈を加えておく、という感じです。この記事の内容は日本語教育の現場での学習者への説明ですし、その目的を考えると特に問題ではないと思います。むしろ最初からややこしい説明をしてしまうのは教育としては良くないのかもしれませんし。)
※あと、コメント欄のkillhiguchiさんとのやり取りも合わせて読むことを強くオススメします。
「日本語には動詞の活用がない!」
えっと…僕の専門は日本語の動詞の活用ですが…というのは半分冗談で。なぜかというと僕の研究対象の「活用」はいわゆる学校文法で取り扱うところの「活用」なんですね。ちょうど良い記事がWikipediaにあったのでリンクしておきます。
で、ブログのエントリを呼んでいくと、最後の方に次のような表現があります。
「主語によって、動詞の形が決まる」ことを「動詞の活用(人称変化)」という。
なるほど。確かにこういった形での活用は日本語にはありません。ただ、主語が持っている性質で動詞の形を決める要素には人称(person)の他にも数(number)、性(gender)があるので、”動詞の活用(人称変化)”っていう表現は不正確ですかね。
で、この事実を指して「日本語には活用が無い!」というのも言語論としてはちょっと乱暴です*2。Wikipediaから活用の説明を引用してみましょう*3。
活用:動詞などが人称、数、性、時制、法、態、相など文法的意味の違いによって規則的な変化を生じさせること
日本語には確かに人称、数、性に関する語形変化はありません。では、他の文法的要素は?というと、ここで色々論争が出てくるのです。一応、日本語には動詞にくっつく、次のような非自立的な要素は存在します。
- 時制(tense):「る/た」
- 法(modal):命令形、推量、意志の「(よ)う」
- 態(voice):使役の「させ」、受身の「られ」
- 相(aspect):進行/結果/完了などの「ている」
※この表は非常に乱暴なまとめですので、さらに細かいことが気になる方などのために、以下にもう少し詳細なまとめを載せておきます。色々裏事情などもありますので、コメント欄のやりとりも参照してください。
- 時制(非過去): (r)u
- 時制(過去): ta
- 法(命令): e/ro
- 法(意志、推量): (y)o
- 態(受動): (r)are
- 態(使役): (s)ase
- 相(進行/結果/完了): te-i
「る(つまり終止形)」、命令形についてはほぼ問題なく、「語形変化」ということになるかと思います*4。なので少なくとも一般言語学的に考えても「日本語には動詞の活用が無い」とは言い切れないのですね。
やっかいなのが残ってるやつで、いわゆる「助動詞」に関連する要素たちです。「助動詞」というのは非自立的である(=何かにくっつく)にも関わらず、それ自身も活用(語形変化)するという要素ですね。まあ、少なくとも現代語では「た」とか「(よ)う」は変化しませんが。
で、この助動詞が「語」なのかそれとも「語の一部」なのかについて、色々議論があるわけです。ここでは厄介すぎて踏み込めませんが、最近でも決着がついたわけではなく、論文も出てます。で、次のような可能性があるわけです。
- 助動詞がそれ単独で「語」→「動詞+助動詞」は二語であり、助動詞の部分は語形変化ではない
- 助動詞は「語の一部」→「動詞+助動詞」は一語であり、助動詞の部分は語幹である動詞の語形変化の部分
すなわち、日本語の動詞にごちゃごちゃくっついている要素のどこまでの範囲を活用と見るか、というのは「語」という概念、単位の認定に依存しているわけですね。で、実はこれがものすごく難しい問題で、言語学の未解決問題の一つです。もしかしたら完全には解決不可能な問題なのかもしれません。ということはつまり、日本語の活用の問題もかなり解決が難しい問題だということです。
で、確実に言えることを二つばかり。
二つ目の音韻的な点に関する議論や、一般言語学的な観点からの「語」の問題に関しては、以下の本が面白いので、興味がある方にはオススメ。僕はこの本は日本語やるなら必読の一冊だと思っています。こういう本こそ「目から鱗を落としてくれる」という評価がふさわしいと思うのですけど…
- 作者: 宮岡伯人
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- 形態論という特別の部門は設けない*7=統語論など他の部門に還元
- (統語論においては)「語」という概念、単位は必要無い
つまり、乱暴に言うと、(未解決)問題を問題として捉えるのはやめよう、という立場になると思います*8。
おっと、寄り道の中でさらに脇にそれてしまいました。まとめておきましょう。
Q: 日本語には「動詞の活用」は”全く”無いか?
A: ロマンス語などとは体系が異なるが、動詞の活用はある。ただ、どの要素が(どこまで)が活用か決定するのは非常に難しい。あるいは解決不可能な問題でさえある可能性がある。
*1:正確には、管理人は金谷氏ではないようですが
*2:何回も言うように言語教育の現場(しかも一回目の授業)としてはアリです。
*3:専門家なのにwikipedia...?とか言わないでください(^^;ここでの議論にとっては十分な内容が書かれています。
*4:ここでは終止形って名前で良いの?、とか「る」は時制に関係する、とか命令形を立てる必要がある、とかっていう個々の議論は割愛します。
*5:少なくとも一般言語学的には。特にpolysintheticな言語なんかを見ると明らか。
*6:音韻論のほうでは、Phonological/Prosodic Wordという概念、単位を考えますが、まあここでは詳しい話は省略。
*7:Distribute Morphologyの"Morphology"はここで問題にしている形での「形態論」とは異なります。
*8:ちなみに、この話は屈折語、膠着語、孤立語…などの区別も”理論的には”無くしてしまおう、というところにもつながっていきますが、それはまあまたの機会に。