◆「第4章 4 理解しにくい生成文法学者の分析」から
今回取り上げられるのは、よく生成文法に対して向けられる次のような批判です。
- 用語が難解、特殊すぎて生成文法に詳しくない「外の」者にとっては、主張や議論を理解することができない。
僕にはこれについて以前から、気持ちはなんとなくわかるなーと思いつつも、声高に「批判」として主張されることがあるということ自体が不思議でしたが…ちょうど良い機会なので、この問題について色々書いておきます。
※今回の記事は僕の言語理論および言語研究に対する考え方が強く出ています。なので、他の言語研究者や生成文法研究者からは異なった意見が出される可能性があります。今回は特に「日本語生成文法研究者の一般的な見解」として受け取らないようにしてください。
さて、金谷氏の論から引用です。
一体どういう言葉で研究がなされているのか、その一端をご紹介してみよう。
<ここで『月間言語』の加藤泰彦氏の記事を引用して紹介(長いので省略します)>
いかがだろう。チョムスキー学派の研究者以外で、これが難なく理解できる読者がいたら脱帽したい。典型的な通語(ジャーゴン)、つまり仲間内にしか通じない言葉と言うべきだろう。(金谷武洋『日本語に主語はいらない』p.145-6)
色々論点がありますので、なんとか一つずつまとめてみます。
◆理論の妥当性とは関係無い
大体、用語の難解さ、独特さなどとその理論自体の妥当性は関係ありませんよね。
もちろん生成文法に対して上のような批判をする人たちもそんなことぐらいわかっています(多分…)。その他の論点について考えてみます。
◆仕方ないが、勉強してもらうしかない
さて、僕の知り合いには生成文法の枠組みは採用してなくても、そこの引用の記事についておおよそのことは理解できるであろう研究者の顔はすぐに何人か思いつきますが…ちなみに、僕は生成文法の用語は実はわかりやすい、などと言うつもりはありません。
ここで気になる表現は「仲間内にしか通じない言葉」という表現です。僕はこれは「きちんと勉強した人にしか通じない言葉」と言うべきだと思います。前に生成文法はオカルトではない、と書きましたが、「宗教でもありません」。別に洗礼を受けたり、仲間になったという儀式を経なくても、勉強すれば用語や概念については理解できるはずです*1。
日本語できちんと読める良い教科書はあまり無い、と言われていますが、日本語で調べられる用語辞典もありますし、頑張れば色々調べられるはずです。専門で無い方ならともかく、言語研究者なら…ちなみに個人的な見解ですが、町田健氏の生成文法についての著作はあまりおすすめしません。特にあれだけを読んで、生成文法について考えたり言及したりするのは非常に危険だと思います。これについても落ち着いたら書いてみるかもしれません。
で、金谷氏はこのような議論を持って何が批判したいのかというと、次のようなことらしいです。
…平均的知識人にさえ手の届かない、悪しき専門主義に陥った象牙の塔の住人の言説である。(同書 p.147)
平均的な知識人であればそんなに勉強もせず軽く口出ししてしまえる専門分野ってどうなのかと思いますが…
研究で得られた知識を専門でない人たちにもわかりやすく広める、というのは大事だと思いますが、専門でない方がもし実際の研究に口を出すというのであれば、やはり色々勉強してもらうしかありません。これは生成文法に限った話題ではないはずです。
そもそも、なんだか言語に関しては多くの人が特に勉強もせず面白い発想を提案したり、独自の分析ができると思っているような気がしますが、全くそんなことはありません。身近な問題なので、色々考えるのは自由ですが、学問として、特に科学的手法を用いて言語を分析するには、質、量ともにそれなりのトレーニングと、先行研究などに関する多くの勉強が必要です。生成文法について云々する前に、言語学は、方法論にしても実際のさまざまな現象についても、豊富な蓄積がある分野なのです。
ちなみに僕は生成文法についてはほぼ独学です。まあもちろん僕の場合は自分の分析に使いたいっていう勉強のための強い動機があったというのもありますが、それなりに腹をくくってやれば、そんなに難しくないと思うんだけどなあ…
◆生成文法以外も
そもそも、生成文法以外でも独自の概念や用語なんて色々出てきますし、発表や議論の中で非専門の人たちについて説明無く使用されることも結構あると思いますが。そんな、いきなり「FTAが…」って言われても*2…とか。そういう場合どうするのか。調べればいいのです。あるいは詳しそうな人に聞いてみる。こういった「用語の難しさ」にいちいち目くじら立ててたら、言語研究なんてできないと思いますけどねえ…
あとは、たとえば「単語」、「文」、「活用」なんていう、かなり一般的によく知られている用語、概念も実際にはかなり理論的なもので、そんなに内容や定義が自明なものではなく、研究の世界では今でも色々論争があるのです。もちろん、単なる便宜上のラベルとして使用されることもありますが。
こういった「なんとなく知っているような、なんとなく共通認識のあるような用語、概念」を使用していればいい(そして難しい用語を用いているのはダメ)というのは、非常に安易かつ危険な考え方です。また、そういった単語なら「わかりやすい」というのもあまりにも短絡的です。かなり生意気なことを承知で書くと、こういう人は「言語学」を、「研究」をなめてるとしか思えません*3。
結局、それなりに差はあると思いますが、真摯に言語学に向き合うのであれば勉強が少なくて良い道というのは無いはずです。もし生成文法について知りたい、批判したいのであれば勉強してもらうしかありません。そしてそのための勉強量は言語学の他の分野についてかけなければならない労力と(実は)そこまで大きな差があるとは思えません。
◆まとめ
ここでの問題については、まだまだ言いたいことも言っておくこともあるような気がしますが(「記号アレルギー」の話とか)、簡単な例を挙げてまとめておきます。
結局、「生成文法の用語は難解すぎて…」という批判?は、たとえばトポロジー(位相幾何学)なんかの研究に対して、「われわれの身近にある「図形」に関しての研究なんだから、もっとわかりやすい用語を使え」と言ってるようなものだと思います*4。もちろん生成文法に対しては、「勉強したけどやっぱり難しかった」という意見もあるでしょう。でも僕はトポロジーを独学で学ぼうとして途中で難しくなってきてやめちゃいましたけど、「やっぱり数学の基礎をもっとやらなきゃなあ」とか思うことはあっても、「難しいからこの分野はダメだ」なんてことは思いもしませんでしたよ。
長々と今回は色々愚痴のようなものも交えつつ(笑)書きましたが、結局、言いたいことは次のような感じです。
- 用語が難しく特殊というのは、勉強しないとわからない分野なのに勉強しないから。
- 勉強しても難しいということは、それだけその分野が扱っている問題が難しいということ*5。
- 上の二点は生成文法以外の分野にも実は当てはまると思う。
まあ、二つ目の点なんかについては悪い教科書に当たってしまったという可能性もありますし、生成文法は言語学の色々ある分野の中でも好き嫌いの分かれる、一部の人にとってはとっつきにくい分野だ、というのもわかるんですけどね。
もし生成文法に意味が無いと考えるのであれば、勉強しないかわりに、言及もしなければよいのです。ただ、ある程度きちんと勉強しないと、本当に意味が無いかどうかもわからないと思いますけどね。
どんな分野の人だって、「量子力学は面倒だから勉強しない。でもなんだか難しいからダメな分野だよね。やってること意味無いと思うし。」なんて、学問に携わってる者が言っていいのか?出版物に書いていいのか?ましてや自分の携わっている専門分野の一理論に対して堂々と「勉強してませんor難しくてわかりません」と宣言するなんて…僕にはできませんね。
*1:ただ、確かに略語や記号の読み方などについてはあまり論文や教科書では調べられないものもありますね。そういうのは勉強会や学会などに参加して覚えるか、知り合いの研究者に聞くしかないかもしれません。
*2:言語学専門じゃなくてこれだけで分野がわかった人はかなりすごいと思います。
*3:専門家はそこに潜む色々な難しさや問題はわかった上で、そこにこだわっていては議論が進められない場合、特にそこまで立ち入った議論をしなくても大きな支障が出ない場合などには取りあえず一般的な見解を選択するということは比較的よくやります。
*4:数学の分野を例にするってのはちょっと微妙かなあ…
*5:もちろん余計な難しさがあるといのはどの理論にもついて回る問題でしょうが。