誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

KY

 もうはてなのキーワードにもちゃんと項目があるんですね。
 まあいわゆる若者言葉(この表現も古い?)ですよね。現象としては次のような感じです。

  • KY: 空気読めない:Kuuki Yomenai
  • KYR:空気読める:Kuuki YomeRu

 "KY 空気読めない"なんかでググるとブログの記事もたくさん出てきます。
 僕は語形成なんてやってるので、若者言葉はいつも興味深く観察しています。ある観点から見ると一見とんでもないような表現も、きちんとした規則に従っていて面白いのですよね。
 さて、この表現の対が面白いと思ったのは、「否定の方が無標(unmarked)」だからです。基本的に自然言語では否定形式というのは有標(marked)であるのが一般的です*1。ごく簡単に言うと、肯定表現の方は特にそれを表す形が現れず、否定表現の方にそれを表す形が現れるということです。日本語だと"ない"、英語だと"not"などですね。
 ブログの記事なんかを読んで見ると、「空気読めない」だったら"Kuuki YomeNai"だからKYNじゃねーか、とか、"NOT Kuuki Yomeru"でNKYの方が…なんて意見が散見されますが、僕はむしろそういった表現形式にならなかったところに、結構若い人たちの言語に関する(無意識の)センスや面白さを感じます。
 この表現はたぶんKYの方からできたのでしょう。そこで次に「空気読める」をどうしようかという段階になった。そこで何をやったかというと、最初にあったKYを無標の表現形式として、それの「肯定の意味を持つ対応形式である」という有標のマーカーとして"R"をくっつけたのではないでしょうか。これは真偽値が反転しているだけで、言語の形態論のパラダイム形成としては非常に一般的な方法です。しかもその有標のマーカーは、きちんと否定/肯定の対立を成している部分である、"Ru"の頭子音を選択している。
 つまり、この表現を作り上げたプロセスは、言語の有標/無標や形態的対立という視点から見ると、そんなにおかしなものではないわけです。むしろ、今までの日常言語の直接的翻訳(じゃあやっぱり"Kuuki YomeNai"だからKYNで、って方向)に走らず、新しいパラダイム(対)を生み出してしまったところにある種の創造性というか、自由さを感じますね*2
 どうでしょうか。僕は大体若者言葉なんかに対してもこういったスタンスで接しています。乱れた表現を擁護しすぎ?屁理屈?専門家がそんなんだから美しい日本語が…とか言われちゃいますかねえ。この記事自体が空気読めてないかな(^^;
 しかし僕のような輩からすれば、「どんなに頑張って”正しい/普通の/綺麗な”言葉には縛られていないつもりでも、言語そのものに関する様々な原理・規則からはそう簡単には逃げられないんだぜ」ってところです*3

*1:否定形式が無標の自然言語なんてあるのかな…無いとは思いますが、まあ(言語の)世界は広いですから。

*2:まあしかし既存の表現体系からある程度逸脱させるところにジャーゴンの意義というか特徴があるので、むしろ当然かもしれませんが。

*3:まあ、当然それでも「なんじゃそりゃ!?」って表現に出会うこともありますけれども。