誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

「いっちょ有効なニセ科学批判批判論でも考えてみるか→すぐに挫折」から考えたこと

※追記:書いてから気付きましたが、このエントリはある程度ニセ科学を扱っているサイト(とそこでの議論)を色々見てまわっていないとよく理解できないかもしれません。ご了承ください。
※追記2:コメント欄のやりとりは、このエントリやニセ科学批判に関する問題を理解するための大きな助けになると思います。議論の流れを追うのは大変ですが、じっくり一読をオススメします。この記事のコメント欄のまとめもご利用ください。
※追記3:もうこの記事のコメント欄には書き込めないようなので、続きのやりとりをしたい方は追記2で紹介しているコメント欄まとめの記事のコメント欄でどうぞ。

 最近、変なニセ科学批判批判をする人がなんだかぽつぽつ増え始めていて、ニセ科学に言及するサイトでもそういう人たちの言説が話題になることも多くなってきたような印象があります。
 で、僕の不勉強もあるのかもしれませんが、まだ「おっこれは勉強になる!」というニセ科学批判批判論に出会ったことがない気がします。なんてことを考えていたらapj氏のサイトにこんな記事が↓

 以下、重要だと思われる箇所を引用

...これまでのところ、私がニセ科学批判批判から学んだことは「具体例を踏まえないメタな議論はとことん役立たず」という経験だけである。

 役に立つニセ科学批判批判があるとしたら、

  • ニセ科学批判批判の立場から見たとき、現状のニセ科学批判はどういうものであると認識しているのかが明確に述べられている。
  • その認識は、個別のニセ科学批判のあり方をきちんと捉えた上でのものである。
  • 今のニセ科学批判のどれかががまずいと考えるならば、具体的にどうすればいいと考えるのか。個別の例ごとに、「こうあるべきだ、理由は……」と述べる。

といったものになるのではないか。

 で、関連していくつかつらつらと考えたことを。

対象に共通のニックネームがあるからといって、対処法が同じだとは限らない

 なるほど。確かに「ニセ科学」という用語自体には菊地先生による基本となる定義が存在する*1けれども、水伝批判、血液型性格判断批判、ゲーム脳批判、といった個々のニセ科学批判については、問題点や批判の仕方について何かメタな部分で共通点が無ければならないという強制も必要性も批判者自身は意識していないと思います。むしろ思考の方向としては逆で、それぞれのテーマの批判をしっかりやっていって見比べてみると、似たような問題が浮かび上がってきたね、という同意やじゃあ、それについても考えてみようか、というような議論はある程度なされている、というのが僕の印象です。

有効なニセ科学批判批判を生み出すのは相当難しいんじゃないか

 で、僕がapj氏のエントリを読んで最初に思いついたのは、「じゃあ、なんとかニセ科学批判の活動自体にも貢献できるようなニセ科学批判批判論を構成することができないかな?」ということでした。
 apj氏が述べているようにニセ科学批判全体*2への適切な批判はかなり無茶があるとしても、「水伝批判」とか「マイナスイオン批判」ぐらいの括りのレベルではなんとかメタ的な批判も考えられるかもしれないし、と考えたのですが…
 少しメタな視点に立ってみたり、僕自身がある程度内容にもなじみのある水伝や血液型性格判断の批判について具体的に考えてみたりもしたのですが、無理でした…というか、こりゃー僕程度には無理だな…ということに気づいたというか。
 なぜかというと、僕自身が思いつく程度の批判なんて、すでにそれぞれのニセ科学批判の中でかなり議論されているのですよね。どんな批判を考えてみても、すぐに「ああ、そういえばこれはあのサイトであの人が言ってたなあ」ということを思い出して、同時にそれになんらかの有意義な議論を付け加えるのは相当難しいな、と実感、の繰り返しでした。
 第一、ニセ科学批判に携わる人々の間でも、具体的なニセ科学の範囲から始まって*3、どの問題を重視すべきか、どのような批判の仕方が適切かというところまで色々な立場や意見があって、これまで相当な議論がなされてきましたし、今でもなされているのですよね。
 結局、現時点で最も水準の高い、有効な(個々の)ニセ科学批判への批判を提示、議論し続けているのはニセ科学批判に携わっている人々自身なのではないかと思い至りました。

「ニセ科学に分類されてるからやってる」わけじゃない

 poohさんのエントリのコメント欄でも、「僕らはばらばら」なんていうやりとりをしましたが、これはいわゆるニセ科学批判なんて呼ばれている議論のそれぞれをきちんと追っていくと、よくわかります。批判の内容についてはある程度同意があっても、それに対してどう振舞うかとか、問題点の優先順位の付け方では立場が異なったり、トピックが異なると意見が割れたり。
 そもそも、真摯にニセ科学批判をやっている人たちは、それがニセ科学に分類されているからやっているわけではない、と思います。例えば何らかの理由で(想像しにくいですが)水伝問題や血液型性格判断問題やゲーム脳問題をニセ科学に分類するのはやめた方が良い、という合意がなされたとしても、僕は僕自身の水伝批判の内容を取り下げませんし、kikulogでABO FANさんに付き合ってる方々が「じゃあやめた」とは言い出さないでしょうし*4、TAKESANさんがゲーム脳に関するエントリを書かなくなることも無いでしょう。みんな、そこに具体的な、確固たる問題があるからこそ批判をしているわけで、その問題は「ニセ科学」に分類されなくなったとしても消えるわけではないですよね。

そうすると、「ニセ科学批判批判」と呼べるような議論は構成しうるのか

 こう考えてくると、やっぱりapj氏の予想に立ち戻っていくわけで、結局議論がかみ合うニセ科学批判批判をしたいのであれば、「ニセ科学批判への批判」ではなくて、「水のクラスターの測定に関するapj氏の批判への批判」のように、具体的でローカルな言説を提示しなければならないでしょう*5
 そのような議論を提出することは大変だと思いますが*6、非常に有意義なことでしょう。でも、僕から見れば、それはむしろ通常の健全なニセ科学批判の活動の一つです。上でも書いたように、ニセ科学批判(の個々の議論)自体が、自己への批判も含んでいるのですから。
 これはすでに指摘されていることかもしれませんが、結局、「ニセ科学批判を外(上?)から批判してやってる」ということを論者自身が(安心して)納得できるような形でニセ科学批判批判を成り立たせる*7ためには、存在しない敵を作り上げて、それに適当な固有名詞を貼り付けて抽象的なメタ論を展開するしかないのかもしれません(あるいは根拠のない非難/罵倒/誹謗中傷に終始するか)。
 それとも、僕の想像し得ないような、ニセ科学批判批判の存在の仕方があるのでしょうか。

 …あれ、なんでこんなに長くなったんだろう…

*1:もちろん、ニセ科学問題のどの点を重視するかによって、その詳細な定義や適応の範囲はバリエーションがある。

*2:もうこの括りの時点ですでに存在しない仮想敵っぽいけど

*3:温泉の効能書きはニセ科学か、というテーマは結構意見が割れたという覚えが。

*4:別の理由で諦めたり切り上げることはあったとしても

*5:そしてそれは一部の方々からすると全く興味が無い、あるいは魅力が無いものなのかもしれません。

*6:かなりの勉強が必要でしょう

*7:簡単に言うとニセ科学批判批判がニセ科学批判の外(上)に立ち続ける