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歯切れが悪いのは仕様です。

(学術的な)面白さについて、と卒論話へのいくつかの補足

 先日書いた卒論についてのエントリが、驚くほど多くの方に読んでいただいたようで、かなり面食らっています*1(^^;
 おかげさまで、色々興味深いコメントや反応をいただきましたので、勝手に反応してみます。また、こないだのエントリは色々と茫漠としたところもあるものだったので、ここで少し補足をしておきます。考察が足りない部分も、理解が至らない点も多々あると思いますが、皆さんの思考の何らかの足しになれば幸いです。
※はてブコメントはどうしても端的なものなので、見当違いな理解の仕方をしていたら申し訳無いです。
※少しと言いつつ、トピックが色々あるので長いです。

「面白さ」の内容とその必要性

 当該エントリのkillhiguchiさんのコメントへの応答でも書いたのですが、学術論文で最低限説明が必要とされるのは、「学術的に面白いかどうか」よりもう少しハードルが低くて、「学術的にそのテーマを取り扱う意義があるかどうか」というところでしょう。
 この「意義」というのは何も必ずその研究領域における深遠で本質的な問題につながっていかなければいけない、というようなものではなくて、場合によっては「まだ誰もやってないから」というのも立派な意義になるでしょう。ただ、「誰もやってない」からといって必ずどんなテーマでも認められるかといえばそれは微妙なところです。
 なぜかというと、「〜学」という名前を冠した「学位をもらう」には、やはりその研究領域における知の蓄積や活動に関して何らかの貢献をする必要があると考えられるからです*2。この「貢献」という言葉も重く感じられるかもしれませんが、次のように考えてみてください。
 たとえば、言語学というのはどういう知的営みなのかということを非常にラフに表現すると、「言語(の仕組み)を理解する試み」と言えるでしょう。さて、ここで「誰もやってないからとりあえず市内にあるアパートの名前を調査してみます」という学生がいたとします*3。ここで指導教官は必ず「その学術的/研究上の意義は?」と聞くと思います。これは、こういう言い方をするとなんだか「俺らの趣味/やり方に合わせてやれよ」という、アカデミズム絶対主義のように感じられる方ももしかしたらいるのかもしれませんが、つまりは次のように言っているのです。「それをやることで、僕らが持っている言語についての理解に何が付け加えられるの*4?」
 逆に言えば、それさえ説明できれば、一見すると奇妙に感じられるテーマでも、研究としては認められるはずです*5。「学問」、そしてその領域において「学位をもらう」というのはそういう営みのことなのだと僕は思います。
 ということで、nishizuruさんのはてブコメント、

nishizuru
学術的な面白さを説明しなければならない理由を説明してほしい。

 への一応のお答えにもなっているでしょうか。

学術的「面白さ」と大学における研究活動

 tiharaさんが僕のエントリに言及してくださった上で、興味深い問題提起をしているエントリについて少し思うところを書いておきます。以下エントリへのリンクとそこからの引用。

(ただし)、「研究は学術的に面白いことをしなければならないのか」ともし問われたら、「そんなことはない」と私は答えてしまうだろう。世の中には、学術的に面白くないけど、非学術的に面白い研究だって存在する。「圧縮新聞」はその身近な例だと思う。

※中略。圧縮新聞についての具体例などは元エントリを参照ください。

「圧縮新聞」のようなおもしろおかしい研究は、学者に見せたら鼻で笑われることだろう。もしかしたら、「で、学術的にはどこが面白いんですか」と尋ねる学者だっているかもしれない。

 そんな学者に私は問いたい。

「あなたの研究は、学術的に面白いだけなんじゃないですか?」

 tiharaさんの研究活動上で色々思うことがあるんだろうなあ、と感じたので、研究領域がほとんど重なっていない僕が簡単に口出しして良いものなのか少し戸惑いつつではあるのですけれど、tiharaさんのその「そんなことはない」という思いに僕は同意しますし、もしそういう「鼻で笑う」ような学者がいたとすれば、それは「研究者」、あるいは「学問に携わる者」としてはどうかなあ、と思います。というか、それはその学者自身の研究者としての引き出しの少なさを表してしまっていると言っても過言ではないんじゃないか、とすら感じます。
 なぜかというと、上のやりとりはつまり、その人の知識内では、自分の(知っている)研究領域と提示されたものを関連付けることができなかったということを示しているとも考えられるからです。個人的には、(学界というものをどう考えるかを別にして)学問というもの自体はそういった学者が簡単には捉えられないほど懐の深いものだと信じています。
 もちろん研究テーマにはどうしても広がりがあるものと広がりにくいものの差はあるので、一人一人の研究者が追いかけるテーマに優先順位を付けるのは当然だと思いますが、新しい研究や理論の登場によって、過疎っていた領域が爆発的に伸びるというのも結構あることなので、それすら簡単には決め付けられないですよね。まあ、他領域なら面白くなりそうだけど、うちの領域では今のところ手の出しようがないようなあ、ということはあるでしょうけど*6

 感覚的には「学術的な面白さ」の必要性は理解できるし、「学術的に面白い研究」は面白いと感じる。でも、「学術的に面白い研究」のみが大学で追究されることの妥当性について、論理的に説明することは私にはできない。

 これは、学問領域内だけの知見では簡単に決められないことなんじゃないかなあ、というのが僕の感想です。むしろ所属している機関の性質に大分依存しそうですよね。完全な私立の大学や、私的財団から補助を受けた研究(機関)においては、スポンサーが納得すれば良いんじゃないかと思いますし、政府からお金が出ている大学や、CEO、科研費での研究などに関しては、税金や公的リソースを何に費やすべきか、という政策面での決定が関わってくるものだと思います。
 僕は最近この国は知的活動における先進国としての立場をどうしても降りたいように見えてならないのですけれど*7

面白いテーマを見つけること+色々=面白い研究を作り上げること

 また、上のエントリでtiharaさんに僕のエントリの内容を

要約してしまえば、「言語学的に面白い論文を書くための近道は論文をたくさん読むことである」という記事である。

 と要約していただいたのですけれど、これは僕の書き方が曖昧だったということもありますが、僕が言いたかったことよりいくらか強い主張になっていると思います。僕があのエントリで強調したかったのは、

  • まず”面白いテーマを見つける”には、たくさん論文を読むのが実は近道だと思うよ。

ということでした。面白いテーマを見つけただけで面白い研究ができあがることが確実に約束されるわけではありませんので…これは学部生の皆さんにとっては残念なお知らせかもしれませんね(^^; ただ、それが面白い論文/研究への「第一歩」であることはほぼ間違いないかな、と思いますけれど。
 実際には、面白そうなテーマを見つけて、そこからそのテーマについて具体的な「扱われるべき問題」をきちんと構成する時点でもう結構大変な作業だったりしますから。良い問題を構成できたからといって、それに良い分析が与えられるかどうか、ってのもまた一応独立した問題ですしね。やれやれ。
 yumizouさんのはてブコメント、

yumizou
「面白い現象やテーマは、すでにあなたの周りにごろごろ転がっています。後は、それが面白いということに気付き、それが面白いと示せるだけの知識を手に入れるだけです。」だけ!

 というのもこの辺りの話に関係しているのかなあ、と勝手に推測しています。

「とにかく」ってどう「とにかく」?

 ここでは前エントリのshibachoさんからいただいたコメ欄でのコメント、

shibacho
「とにかく論文たくさん読んでください。」の「とにかく」とは一体どういうことであるのか,もうちょっと考察する必要があるのではと考えます.

 について少し思うところを。shibachoさんの問いかけ全体へのお答えは一応コメント欄でいくらかできたのかな、と考えていますが、せっかくなので僕がどう論文を読んでいるかなどについて書いておきます。
 その前に、より具体的な論文の探し方/読み方などについては、例えば僕のエントリに言及してくださったcat42さんのエントリ、

に詳しい記述がありますので、学生の皆さんにはぜひ参考にしてほしいと思います。
 で、あくまで「面白いテーマを見つける」という点に限って言えば、僕は乱読、多読をオススメします。さすがに卒論を書く皆さんに関しては乱読といっても言葉についての記事が載っている雑誌を広く読み漁るぐらいが精一杯だと思いますし、効率の点から考えても、さらにそれに加えて先輩や先生に色々質問してどうにも関係無さそうなものを読むのは避ける、という方法も上手く利用するのが良いと思います。特に、一つ二つの論文に引っかかり続けて他の論文へ行けない、というのはあまり得策ではないと考えています。
 僕は普段どう論文を読むかというと、基本的には何かに追い込まれてない限り、本当に色々読むようにしてます。特に自分の専門の領域/理論とは異なっているようなものに意外な発見があったりして良いですね。認知言語学や各国言語学、類型論、語用論関係などはもちろん、自然言語処理関係の雑誌にも純粋な文法研究に直接生かせそうな論文は結構載りますし、科学哲学などの哲学専門の雑誌にもかなり言語学に示唆的な論文が載ることがあります*8実際、僕はある分野では手詰まりだと思われていたテーマを異なった理論や言語の観点から見てみると、ものすごく興味深い問題や分析の可能性が浮かび上がってきたり、という体験を何度かしています。
 これは僕の趣味なのでオススメかどうかはわかりませんが、数学、物理学、生物学などの読み物/論文から色々思いつくこともあります。まあこちらは言語学に直接生かすというよりは、議論の構造を参考にしたり、理論/モデルについてのアナロジーを働かせたりといった程度のものなのですが。
 そんなことまでしてられっかよ!という意見も十分承知しています。古典や、自分から遠い領域のものを読むことの利点/問題点については、過去にエントリを書いたことがあるので、興味がある方はそちらを参考にしてください。

 これは個人の研究のスタイル、向き不向きの問題もあるので、あまり一般化できないことなのかもしれません。分野によっても大分違ってきそうですしね。
 ついでですが、僕は基本的に同時に数本(平均4, 5本)の論文を平行して読みます。あまりに面白いと最後まで一気に読みきっちゃったりもしますけど*9、きりが良いところで論文を切り替えつつ読むのって、適度な気分転換になって良いですよ。

他のはてブコメントなど

takabowさん
ひたすらサーベイすることが重要なのは、どの分野でもいえますね。 実際それが出来てない自分がいるわけですがorz

 それは常に僕も感じ、反省するところです。というか、あんな偉そうなことを書いてしまったので、今更ながら戦々恐々としていたり(笑)

fuktommyさん
せんせー論文つまらないので読むのつらいです

 僕は先生ではないですが、勝手にお返事。僕にとってもつまらなくて読めない論文はあります*10。というか、個人が面白いと思う範囲には差があって当然なので、一度先生に聞いてみるのが本当は一番良い方法です(聞きにくい先生はいるんで難しいところでしょうけど…)。
 むしろ、もうどんな論文もあまり面白く感じないし、研究にもそんな興味無いし、さっさと社会に出て働きてー、という方ほど、腹をくくってがっつり論文読んで、早めに最低限通りそうな論文の構想を練っておいて、就職活動や就職の準備に力を入れられるようにするするというのが(実際には大変でしょうけど)理想かな、と思うのですがどうでしょう、とその大変さを体験したこと無いヘタレ院生がマジレスですいません。

*1:まあいつものマニアックなエントリよりは、広く訴えたいという気持ちで書いたものではあったのですが。まさか水伝話より人が集まるとは…

*2:少なくとも僕はそう考えています。

*3:これ、数年前に実際にあった話です。

*4:実際には、きちんと学術論文として刊行されているものでもこの疑いがかけられるべきものは、残念ながら一定数存在するようです。

*5:特に一発勝負の卒論では。進学する人の卒論や、修論、博論では研究内容の発展性、などのもっと違う要素も求められるので基本的にそれより難しくなります。

*6:言語学だと、「そりゃ面白いけど、半分(以上)心理学や社会学の話だなあ…」というようなテーマに出会うことはあります。まあ心理言語学とか社会言語学とかの領域もきちんとあるのですけれど、それすら越えてしまいそうなテーマというのもたまにあるので。

*7:まあそれが国民の総意の反映というのなら仕方ないのでしょうけれど。

*8:うちの大学ではLinguistics and Philosophyは哲学に分類されてたりします。

*9:逆にあまりにつまらないとやる気出るまで放置ということも。

*10:逆にきちんとした知識が付くとつまらなくなる論文というのもあるような気がします。