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スピリチュアル言語学

 以前negenさんのところでこんなネタがありましたが↓

※ここから先はネタです。どんな立場の人もあまり本気にしないでください。
 
 もし過去に生きていた人とコミュニケーションがとれるのであれば、ぜひ言語学の研究に協力してほしい。
 これはおそらくまず歴史学について誰もが思いつくことだと思うけれども、多分歴史学で求められる資料としての信憑性のハードルに比べれば、言語学の方では限定付きであってももう少し色々な活用方法が考えられる気がする。
 例えば、まず真っ先に夢が広がるのが

  • (文字)資料が残っていない言語の生のデータが手に入るかもしれない

という点だろう。比較言語学で予測されながらも未だに資料として見つかっていない証拠などが確認できるだろうし、各言語の起源についても古語についても言語学者垂涎のデータがゲットできるかもしれない。何より、言語そのものの起源、進化についての直接的なデータさえ手に入るかもしれない。こうなればもはや言語学の枠を越えた貢献が期待できる。ただ、この手のデータに関しては、照会する資料が無いので、それが本当に該当する時代のデータなのかの検証がし難いという難点はあるだろう。それでも、現在の言語学の研究と照らし合わせてある程度の予測は立てられると思う。
 もう少し現実的にすれば、

  • 文字資料にしか残っていない言語の音のデータが手に入るかもしれない

という夢が考えられる。音に関する情報が文字資料に(間接的に)残されている場合もあって、そこから様々な発見、研究も積み重ねられてきたが、やはり生の言語音のデータが取れるということに対しては言語学者は抗し難い魅力を感じるだろう。この夢の難点は、もしかしたら実際の音のデータを得るのは意外と難しいかもしれない、というところである。霊?などと話ができる人自身が言語学者であればまだいいのだが、そうでなければ仲介役の人にインフォーマントの発音を正しくトレースしてもらわなければならない。しかし、これはかなり難しい注文だ。また、たとえ誰かの体を借りて発話することが可能になったとしても、調音運動自体が命題としての知識を越えたknow-howに関する知識を含んでいるのであれば、慣れない体では上手く発話できない可能性も考えられる。ただ、それはある程度トレーニングなどで克服できるのかもしれない。もし実現すれば甲類乙類の区別が生で聞けるかもしれない!
 おそらく文法研究への応用を考えるのが最も現実的な方法の一つで、

  • 今では母語話者が得られない言語に関して、非文法的な文を含む様々な文法性や解釈の判断をしてもらえるかもしれない

という可能性が考えられる。現在言語学者が有している資料に、「何が非文法的、あるいは許容できない表現か」という情報が加わるだけでも、文法研究は驚くほどの飛躍を見せるだろう。おそらくこの夢だけが実現したとしても、あっという間に世界中で言語学者、文法研究者が足りなくなるはずである。また、資料に出てきていない表現が生産可能かどうかを聞けるだけでもどれほどの興味深い研究が新しく発生するだろうか。Shakespearean Englishの研究のインフォーマントとしてShakespear自身が協力してくれるとか、想像するだけでも身震いしてくる。これには上の二点と比べて実行可能性のハードルがかなり低いという利点がある。きちんとしたアンケートを作成すればそれに選択式で答えてもらう、というだけでもかなりの情報が得られるからである。
 …と、小一時間ほど妄想しただけでも相当夢が広がりまくった。これなら研究計画書も怖くない。
 ただ、一つだけ大きな問題がある。
 それは、言語学の研究にはそんなに研究費が出ないし(何か別領域とリンクしていればまた話は別だけれども)、画期的な研究が成功しても直接的な利益はそれほど生み出さないということである。
 これではそもそも協力者への謝金が払いきれるかどうか非常に心許ない。やはりダメかもしれない。
 あと、きちんと過去の人物と会話できる真の能力者は少ないかもしれないので、研究者の知的好奇心に付き合わせていては過剰な負担がかかるという恐れもある。しかし、なんという奇跡だろうか今日たまたまその代替案になるかもしれない研究の記事を見つけた。

 ある程度コントロール可能なタイムトラベルが実現すれば、能力者の方々には今までどおりの職務に専念してもらうことができる。過去に遡って言葉狩りを行おうとするような者は言語学者にはいないと思うし、データを取るだけであればタイムパトロールも大目に見てくれるだろう。
 ただ、やはり使用料は払えないかもしれない。