a-geminiさんのところでこんな記事に出会ったのも何かの縁だと思うので。
ちょっと前に書こうかどうしようか迷っていた話題についてやっぱり少し書いてみます。以下2chの話というよりは文法のお話。
このブログの2chデビューは多分、例のニセ科学関連記事のコピペ広報屋さんの献身的なボランティアによるものが最初だと思われるのですが、それより先に自分が書いた論文が言語学板に晒されたのが僕自身のデビューだったりします。簡単な書誌情報だけ書いておきます。
- 田川拓海(2002)「疑似自動詞の派生について―「イチゴが売っている」という表現」『筑波応用言語学研究』9:15-28. 機関リポジトリのページ
「<品物>が売る」という表現はダメなのになぜ「<品物>が売っている」という表現がOKになる場合があるのか、ということについて文法論の観点から分析して、「これも実はきちんとしたルールにのっとって現れているんです」と主張したものなんですが、2chの文法関係のスレ*1でちょうどこの表現が話題になってて、「こんなの見つけたけどどう?」って紹介されてたんですよね。ほぼリアルタイムで遭遇したのでかなりビビりました(^^;
しかし相当びくびくしながらROMってたのにも関わらず、反応はというとなんか分析には納得できないというような内容のレスがちょこっと付いたのは覚えてるんですが、詳しい内容の検討も無くほぼスルーだったので、まあ箸にも棒にもかからないような論文だったということでしょう。実はこの論文、院に進学して一年目に書いた*2、卒論の次の論文という意味でもデビュー作だったりします。たしかニ、三年前に読み返した時にも「うわあ…」って思うような色々な点で稚拙な論文だったので、今読み返す勇気がちょっと無かったり。
で、なんでこんなことを最近書こうか悩んだかというと、以下のエントリに出会ったからです。
ここで「が」の多用の例として挙げられているのが、
「おいしいハンバーガーが売ってる店知りませんか?」
「○○が売っている場所を教えて下さい!」
「オリジナル曲が作ってみたい!」
「希少部位が食べる焼肉屋さん教えてください」
「二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた」
http://flowerlounge.vox.com/library/post/%E5%8A%A9%E8%A9%9E%E3%82%92%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%8B%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8B.html
の五つの文なんですけど、まあ最後のアレはアレなんでアレとしても*3、「〜したい」文はもともとガ/ヲ交替を許しますし、最初の二つは上で述べた「<品物>が売っている」という表現なので、僕の分析がある程度妥当であれば*4、これも文法的にはそんなにおかしくない(=ある一定のルールに従って現れている)、ということになります。
残るは四つ目の文なんですけど…これはさすがに「食べ(ら)れる」のtypoなんじゃ?と思ったんですが、そんなに調べたわけではないのでなんとも言えませんね。もしこういう表現がエラーとしてではなく現れるのであれば、それはまた文法屋としては面白いんですけど*5。
というわけで僕からすれば
言葉は時代とともに変わるものだと私も思いますが、言語の根幹を成すであろう助詞の使い方まで変化してしまうのではちょっと戸惑ってしまいます。
http://flowerlounge.vox.com/library/post/%E5%8A%A9%E8%A9%9E%E3%82%92%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%8B%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8B.html
と言う程までのことではないかな、と思っているのですが、知り合いの日本語教師も「なんか最近「が」が多い気が…」と言っているのを聞いたことがあるので、多少気になるところではあります。そもそもその前に助詞の体系って長い目で見ると結構変わったりしてるんですけどね。もちろん助詞の種類にもよりますが。
最後にもう少し詳しく述べておくと、ここまでで述べたのは「ある環境で「が」が出てくるのは現代の日本語の文法の体系としてそんなにおかしなことではない」ということであって、「「が」と「を」、両方が可能な場合にどちらを選択するか」というのはまた別の問題です。つまり、「文法的には「が/を」両方が可能な環境だけれども、これまでなら「を」を使用するような文脈で「が」を用いる例、あるいは話者が増加している」という意味での「「が」の多用化シナリオ」は現時点でもありえます。
もちろんこれも、印象論を越えたレベルできちんとした分析として成立させるなら、まず何らかの形でのきちんとした調査が必要になります。
もし本当に助詞の体系やルールが文法と言う観点から見て「体感できるほどのスピードで」変わりつつあるのであれば、言語の文法システムに関わる変化に生で立ち会えているわけで、結構感動モノなんじゃないかなあ、なんて個人的には思ったりもするんですけどね。
※追記(2008/03/04)
そういえば、この論文を書いたニ、三年後にこの「<品物>が売っている」をテーマにして卒論を書くのを目標にしているという他大学の学部生を紹介されたことがあった。確か関西に遠征した学会の帰り間際のことでかなり慌しくろくに話もできなかったのだけれど、無事にこのテーマで書ききったのだろうか。今度試しに調べてみるかな。