誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

また講談社選書メチエか…か?

※この記事のほとんどは非常に身勝手な感想、あるいは推測かもしれません。ご注意ください。
 タイトルは、以下の本の情報をいただいての最初の感想。あと、また「主語」か、というか。

 以下、内容紹介を引用。

内容紹介
脳科学が明かす日本語の構造
英語で“I love you.”とは言っても、日本人は決して「私はあなたを愛している」などとは言わない。「雨が降る」を英語で言うと、“It rains.”のように「仮主語」が必要になる。――これはどうしてか?人工知能研究と脳科学の立場から、言語について実験と分析を重ねてきた著者が発見した新事実。それは、日本語の音声がもつ特徴と、主語を必要としない脳の構造とが、非常に密接な関係にあることだった。斬新な視点による分析と、工夫をこらした実験、先行研究への広範な検討を重ねて、主語をめぐる長年の論争に大きな一石を投じる、衝撃の書!

そんでもって目次。

目次
1.人は言葉をどのように理解しているか
2.仮想的身体運動としての想像
3.仮想的身体運動による言葉の理解――身体運動意味論
4.心の理解――仮想的身体運動による心の理解
5.母音の比重が大きい言語は主語や人称代名詞を省略しやすい
6.主語や人称代名詞の省略は母音で決まる――身体運動統語論
7.文法の終焉

 …どっちにもなんだかちょっと怪しい匂いを感じる…と一人でもやもやしていたら、a-geminiさんのアンテナにも何かひっかかるものがあったらしい↓

 で、気になって著者の月本洋氏について調べてみたら、こんなページを見つけたのだけど↓

業績一覧を見ると、精力的に堅実な研究を続けている方なのではないかと感じた。
 この中では少なくとも『科学哲学』、『情報処理学会論文誌』、『科学基礎論研究』などの雑誌で近年のもの、特に言語に関係するものは全て目を通しているので、この内の何本かは読んだことがあるんだと思う。ただ、記憶に無いけど(^^;でもそれは「なんかこれ変だろ」という印象も無いということでもある。
 また、「身体運動意味論」というような発想自体は特に新奇なアイディアというわけでもないだろう*1。認知言語学での現在のトレンドがどのようなものかはわからないのだけれど、そういう発想は馴染みのあるものだろうし、AI研究でも身体性とか環境とのインタラクトが重要だということは言われてきているわけだし、自分の知るところだと、例えばJackendoff(1990)でもすでに身体運動に関わるような認知モジュールと(概念)意味論の関係については示唆があったように覚えている。Semantic Structureは概念表示とか具体例の分析ばかりが取り上げられてその辺りにあまり焦点が当てられないことが多い気がするけど。
 でも、「母音の比重が大きい言語は主語や人称代名詞を省略しやすい」というような言い方にはやっぱり引っかかるんだよなあ。もちろん、「母音の比重」とか、「省略”しやすい”」ということがどういうことなのかがはっきりわからないとなんとも、なのだけれども*2。類型論とか音韻論の人が聞いたらどう思うんだろう。
 とりあえず、今のところの一番の違和感は上で紹介した本の内容から感じられる、なんというか「トバし気味具合*3」と(もう少し柔らかく言うと「思い切り具合」というか)、プロフィールから伺える研究者像になんだかギャップを感じるなあ、というところ。結局どっちもきちんと読んでみないことにはわからないし、内容紹介やタイトルが全て思い切りよく書かれ過ぎなだけ、という可能性もあるのだけれど。
 なんでよくわかってもいないのにこんな記事書くんだ、というと、他の言語関係の方々の意見を聞いてみたいな、と思ったから。つまり宣伝です。特にid:shokou5さんとか、とか。発売されたばかりで密林のレビューもまだ無いので。比較統語論絡みの内容なんかであればある程度判断はできるんだけど、(言語に関する)脳科学研究は時に判断が難しいんだよなあ…
 後は終章のタイトルの「文法の終焉」というフレーズも気になるけれども、こういうラディカルな文言に限ってほとんど現実味を感じさせてくれる主張に出会ったことが無いので、まあおまけぐらいに期待しておくことにしようかな、とぼんやり考えているところです。とりあえず、こないだ紹介した本よりもかなり気になる本。

*1:詳細は読んでみないことにはわからないけれど。

*2:もちろん何を持って「省略」とするのかも。

*3:ま、もちろん僕のこの記事がトバシである可能性も多いにあるわけですが。