誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

水伝批判を書いてからそろそろ一年

 本当に早いもので、以下の記事を書いてからそろそろ一年が経とうとしています。

 これを書いた時は、実は「もうほとんど沈静化した話題だろうけど一応ダメ押し的に書いておくか」、などと考えていたのですけれど、この一年を振り返ってみるとどうも相当甘い認識だったようで。水伝とそれに類する言動、活動は相変わらず現実社会でもネット上でも元気なようです。玄倉川さんの「劇物指定がふさわしいくらいだ」という表現*1に頷く方は結構増えてきているんじゃないでしょうか。
 そういう事情もあって色々な立場の方々の地道な批判活動はまだまだ継続中なわけですが、その際に上記のエントリを紹介してくださっている場面にもちょくちょく出会うことがあります。ありがとうございます。
 ただ、そういう場面を見てきて少し気になっていることがあります。それは「水伝肯定側からのリアクションがほとんど無いこと」です。僕が見た範囲では大体がまあ良くて「読んでみます」ぐらいですかね。そしてそこで終わり。
 もちろん「信じたい人」が読んで納得してくれるという理想的なリアクションがあることにそれほど期待しているわけではないのですが、反論も無いのがなんとなく妙な感じでして。記事を書いた頃は聞きかじりの音象徴論とかを持ち出してきて変なことを言い出す肯定論者が出てきたりするんじゃないかなーなどとも考えていたのですが、どうもそういうことは無いようです。そういえばmixiのコミュでも紹介されたりしてましたが、反応無かったなあ。ネット上には言語関係の変な言説はそれこそ相当ごろごろ転がっていますが、それが水伝とリンクしていることはあまりないような。
 あれほど「言葉を大切にしよう」と唱える人々が、言葉を扱う専門分野である言語学の話をガン無視ってのもおかしな話なんじゃないかな、と僕の感覚では思うのですけどね。「ぐうの音も出ない」という意味での沈黙なら良いのですが、これまでの経験上それは相当楽観的過ぎる見方だろうな、と。
 前に確かうちのコメ欄でTAKESANさんとやりとりしたのですが、やっぱり自然科学原理主義者たちという藁人形と戦っている(つもりの)人たちにとってはいきなり言語学なんてものに登場されても困ってしまうのですかねえ。あるいは戦う意味を見出せないというか。
 実はこのブログには割合で見るとニセ科学に関わる記事はほとんど無いです(コメントで結構やりとりしてたりはしますけどね)。確かまだ十本も無いんじゃないかな。一応色々考えるところもあってわざと抑えたりもしているのですが、再生産され続ける水伝とそれに関わる議論を見ていると、やはり自然科学的なポイントが争点にされることが多いようなので、もう少し積極的に広報してもいいのかな、などと最近では考えたりしています。