以下を読んで気になったことを殴り書き。
感情の生起と表出行為
ちょっと気になったのですが、「怒りという感情」と「怒りを表明する行為」がうまく分けて論じられていないような気がしました(意図的に分けてないのかもしれませんが)。冒頭に
人間の生理現象というようなものを考えるとき,腹を立てる,怒るといった行動にどんなメリットがあるのかがよく分からないのです。(強調はdlit)
怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
とあったので、最初は分けていると考えたのですが、
どうも,腹を立てる以外の抗議手段は存在するんじゃないかと思ってしまいます。
怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
という中ほどの部分では行為の側面に言及している(ように読める)のに対して、その後の
確かに田中芳樹さんの言うように,悪に対して怒りを抱かないのは問題なのかもしれませんね。
怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
では「怒りが心に生まれる*1」という生理現象的な側面に言及している気がします。言及されている田中芳樹の(ものらしい)「悪に対して腹を立てないというのは人間らしくない」という表現自体が、
- 悪に対して怒りを覚えないのは人間らしくない
- 悪に対して怒りを表明しないのは人間らしくない
の両方に解釈できると思うので、元々の文章を読まないことには判断が下せないのですが。
「怒りという生理現象のメリット」と「怒りを表明する行為のメリット」は分けて考えた方がすっきりすると思います。実際に、はてブの反応では両側面に対してコメントが付いているようです
特に、「怒りを表明する行為」としては色々なものが考えられる(雰囲気から暴力まで)と思うので、それに応じてメリット/デメリットも色々論じられそうですよね。もちろん、強い感情というのは即行動に結びついてしまうことも比較的多いと思うのですが、ある程度はコントロールできると思いますし*2。
kohekoさんが元記事で言及(リンク)しているエントリは聖書についてのもので、「感情がわきあがってしまった後に感情自体をどうコントロールすべきか」という議論かな、と思ったのですが、これも僕は聖書に疎いので断言はできません。
メリットがある≠必要だ
これも少し違和感を感じたのですが、タイトルが「怒るメリットって何かあるんだろうか」で、締めの言葉が
やはり,今の時代にあってそんなに怒る必要はないように思います。
怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
なんですよね。「メリットがある」と「必要だ」ってずいぶん主張の強さが違う気がします。「メリットはあるけどそんなに必要は無い」という主張も十分成り立ちそうですし。
最初に身も蓋も無いことを言ってしまうと、結論は文化やその時の文脈による、となってしまうのではないかと。危険な行為をとっさに止めさせる緊急回避に役立つこともあれば、怒ったということが分かってしまうと評価を下げるような話し合いの場もあるでしょうし。文化によっても受け止め方や、受け止める重さが違ってきたりもするのではないでしょうか。
ただ、メリットに関しても代替手段が絶対に無い、というものがどれほどあるのかはわからないので、やはり「必要」であることを論じる方は難しい気がしますけどね。
怒りという感情そのもの存在の必要性については進化論的(風?)なものに誘惑されてしまいそうになりますが、素人としてはどれだけ科学的に検証できるのか全く見当が付きません(^^; よしんば「強い感情は生存に有利だった」みたいなことが言えたとしても、「上手く機能した」から「必要だった」は論理的に導けませんし、そこから「怒ることの正当性」なんか主張し出したら自然主義的誤謬に陥っちゃいそうです。
この議論も、「必要」をどれぐらいの強さで解釈するかで変わってきそうです。上の僕の議論ではほぼ「必須」と同じぐらいの強さになっちゃってますね。