誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

例の本(書評というか感想文)

 昨日書いたエントリがブクマが短時間で5個以上付いたにも関わらず、はてブの注目エントリのページからのアクセスがほとんど無いのが笑える*1(^^; まああのタイトルとあの内容じゃなあ…
 ところでここ数日はてなで話題になってた例の本ですが、twitterに書いたように本屋でちょろっと立ち読みしました。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

 知的好奇心を含めた諸々を全く刺激されなかったので頑張って第一章と最後の章(なんか国語教育と英語教育について書かれているところ)はそこそこゆっくり読んで、後は流し読みしましたが、それが精一杯でした。今後ブックオフで100円で置いてあったとしても買わないと思います。はてなから無料配布されても読まない気がします。もしかしたら僕が飛ばし読みしたところにだけ、ちょうど素晴らしいことがたくさん書かれていたのかもしれませんが。
 事実についてはそれほどおかしなことが書かれているとは思いませんでしたが、その代わり「へ〜」と思えるような目新しいことも出てこなかったように思います。しかし、その事実から導き出される推論や意見がどうにも飛躍が多いように思えてなりませんでした(これが一番苦痛だった)。例えば第一章での言語学者に関する記述、(うろ覚えなので正確な引用ではないです)

言語学者は言語の体系を研究するのが目的なので、どのような言語も平等に扱う

この事実認識は間違いではありません。しかし、そこから

よって、言語学では書き言葉の間に序列があるという考え方が入り込む余地は無いのである

ときます。なんつー三段跳ばし
 イェール大学大学院仏文科では言語学の概論の授業も受けられなかったのでしょうか。
 一応ちょろっと解説しておくと、言語学者が言語を平等に扱うというのはまず研究対象にバイアスをかけない、ということがあります。例えば「日本語は小さな島国の劣等言語だから主語という素晴らしい概念が無くても当然」のような分析をしないために。
 「各言語の書き言葉の間に序列がある」のであれば、言語学者はそれを事実として記述し、分析するだけです。そしてそれを取り扱える領域、方法論というのはきちんと決まっています。上のロジックは、「ヒトは全て脊椎動物に分類されます」と言う生物学者に対して、「そこには西欧において黒人差別があるという考え方が入り込む余地はありませんね、だからダメなんです」と難癖を付けるようなものです。当たり前です。というかそこに入れ込もうとするな。
 ってかこんなこと言ってたら社会言語学の専門家に怒られると思うけど。
※追記:疑似科学系の議論でも見かけられますが、これが「知らない人ほど全て(この場合言語学という研究領域)を見渡せていると思ってしましやすい、の法則」かな。言語学はマイナーな領域だけどそれでもどれだけ多くの分野があってどれだけ多様な研究がなされてるか想像してみようとはしなかったのだろうか。
 ところでこれは世間的に「優れた評論」になるのでしょうか?僕にはどうしても「自分の言葉に対する思いを勢いで書き綴ったエッセイ」としか思えませんでした。象牙の塔の住人なんで感覚がずれてますかね。
 なので、反応としては「そうそう、共感する共感する」か「ええー共感できないなあ」というレベルにとどまってしまう気がします*2。このような領域の議論に詳しい論者によって論点が整理されたり、興味深い議論が新たに提案される、という形でこの先盛り上がる可能性はあると思いますが。
 そういう意味では僕は「共感できなかった」読者なのでしょう。むしろこういう視点からの意見って、webで結構見受けられるというか。そして個人的には以前からちょこちょこ書いてるように変な知識に基付いた日本語特殊論の変な蔓延の方がよほど気にかかっていたりするのですが。
 さて、「読まずに…」というお話がありましたが、この「中途半端に読んだ」僕の意見はどのように受け取られるのでしょうか。「きちんと読まずに書くな!」とかかな。
 ちょっと普段と比べて慎重さや配慮に欠けるエントリだと思いましたがたまには感想文に対して感想文を書いてもいいかな、と思ったものですから。というわけで、これをきちんとした評論、批評として受け取られないようご注意ください。

*1:いつもは結構アクセスが増えるのに

*2:※追記:そういう点では、一定の支持者を得て、アジテーション、あるいは何らかのアジテーションに利用される「知識人」の言説としては成功するような気がします(僕の中では内田樹氏と同じ箱に入れたい感じ)。ちょうどこの本をはてなで最初に賞賛した方の発言が多くの批判や反発を受けながらもAmazonの在庫切れという事態を引き起こしたのと似て。