誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

補足2(例の本編)

 久々に人がたくさん来てるのでびくびくしていますが↓

はてブの反応でちょっと気になったのがあったので。
※ブコメの真意というか本当に言いたいこと、というのは字数制限もあって分からないので、コメントへの批判などではなくてあくまでもコメントをきっかけに僕が考えたこと、だととってもらえれば(言い訳)。
 さて、気になったのはいくつか散見された

言語学じゃなくて文学だしなあ

というような反応。
 まず、これは僕の書き方が悪かったかもしれなくて。件のエントリで出した僕の議論はあくまで「論理の飛躍がある」ことを示すことだったのですが、言語学には全く関係の無い部分を取り上げた方が良かったのかもしれません。ちょうど良い機会なので言語学に対する誤情報の訂正も一緒にやってしまおう、と色気を出したので言語学の観点からの批判だ、と思われたかも。
 まあこの部分に関しては確かに言語学の知識から批判しているのですが、僕がこの本全体を読まなくて良いか、と思ったのは「論理の飛躍が多過ぎる」と感じたからなのですよね。もちろん、学術論文でも専門の論文でもないわけなのでそこまで厳密な立論である必要はないかな、とも思いますが、ある程度の意見を述べるものである以上限度はあるかな、と。
 あと、水村氏が文学の人であって、例えばkanoseさんが指摘したように実は文学についての意見がメイントピックだったとしても、言語についての意見を部分的にでも一応書いてしまった以上、(もし専門領域からの評価、批判が行われるなら)それは言語学からの言及の対象になるかな、と。僕の専門が言語学でも文学について変なことを書いてしまったら文学の観点から批判されるように。
 実際にある問題がどのdisciplineに属するのか、というのは時に難しい問題ですし分類することそのものが重要なのではありません。特に「言葉」ってのは色んな研究領域の対象になりえますし、問題設定や観点も色々です。だからこそ、水村氏の論が文学から評価されるようなものであったとしてもそれが言語学からも評価されるものであることは排除されない、というか(少なくとも論理的には)。実際、もしかしたら両方の観点から批判されるようなものなのかもしれませんし。もちろん僕は前のエントリでは批判なんていうレベルのことは書いてないので、「じゃあ具体的に批判してからにしてよ」と思われるかもしれませんが。
 すいません、本当にちゃんと「言語学の観点から」の「批判」を書いた方が色々建設的なのかもしれませんが、どうしてももう一回読む気にはなれないので…とりあえず興味を持った人にとって色々有益な参考文献が紹介されている以下のエントリを紹介しておきます。