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歯切れが悪いのは仕様です。

ラーメンズで言語学(1):「大マンモス展」と語の組み立て方の話

 気の利いたエイプリルフールネタも思い浮かばなかったので以前からぼんやり考えてたネタを公開してみます*1。一応番号を振ってはみたものの、パート2以降があるかどうかは全くの未定。

◆注意点

  • 当然のことながらネタバレを含みます。
  • お笑いのネタを学問的な題材にする、野暮な試みでもあります。理屈付け(のようなこと)が好きでない方は読まないが吉かもしれません。特にラーメンズファンの方はご注意ください。
  • 発話者名は演者名の「小林」「片桐」で統一します。
  • 文字起こしはそれほど正確ではありません。

ラーメンズについてはこちらなど:ラーメンズ - Wikipedia
もじゃもじゃでない方が小林賢太郎、もじゃもじゃの方が片桐仁。

題材

第12回公演『ATOM』「アトムより」から

ラーメンズ第12回公演『ATOM』 [DVD]

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追記(2017/01/01)

 YouTubeにラーメンズ公式の動画がアップされましたのでYouTubeでも見ることができます。

会話

片桐が小林を「大マンモス展」に誘うシーン
小林「なんで大マンモス展なんだよ」
片桐「ロマンだろわいよ」
小林「ロマン?」
片桐「だって、大マンモス展のすよ。ただのマンモスでもでかいのに、それが大マンモスとなると、とんでもないことになるだろわいよー」
小林「あのさー、「大」っていうのは、その展覧会の規模のことなんじゃないですか」
片桐「そうのすか。もしそうだとしたら、「マンモス大展」になるだろわいよ」
小林「いやいや、「マンモス大展」って言っちゃうと、「マンモスクラスにでかい」、「マンモス大」の何かの展覧会みたいじゃない」
片桐「「何か」って何だろわいよ。折り紙のすか」
小林「それは絶対に違うと思うけど」
片桐「どーしてわかるのすか」
小林「いや、チケットにマンモスの絵が描いてあるから」
片桐「じゃあやっぱり「大マンモス」が展示してあるわいよ」
小林「だから、それは違うっつってんだろ」
片桐「…あいまいな表現でまどわせやがったのす!JAROに電話するのす!」

何が「大」なのか

 終助詞(役割語*2…?)も大変気になるところですが、今回は関係無いので全力で無視します。
 さて、ここで問題になっているのは「大マンモス展」の意味解釈です。

  • 小林の主張(解釈A):「展覧会」が「大」
  • 片桐の主張(解釈B):「マンモス」が「大」

日本語母語話者であれば、解釈AもBも許容できるでしょう。一般的には解釈Aが自然だと思われますが、解釈Bも「大マンモス」という種(あるいは区別)が存在する状況下では自然な表現になるでしょう。
 問題は、片桐が

  • 解釈Aの場合は「マンモス大展」という順番にならなければならない

という主張をしていることです。ここからおかしなやりとりになっていくわけですが、実は片桐の主張している言語の特徴はとてもシンプルです。すなわち、

  • 片桐の言語ルール:「大」は常に修飾する要素のすぐ左側になければならない

というものです。これは、上で示した会話に続いて出てくる以下のやりとりからも明らかです。

片桐「…(略)…だって、「大餅つき大会」のすよ。ただの餅つき大会ならまだしも、「大もち」のすよ。…(略)…」
小林「あのさー、その「大」っていうのも、餅つき大会自体の規模のことなんじゃないですか」
片桐「それはないのす。だったら、「餅つき大大会」になるわいよ」

さて、上でまとめた「片桐の言語ルール」に従えば、片桐自身が述べている通り、同じ「大マンモス展」に二つの意味解釈が可能だという、「あいまいさ」は出てきません。しかし、実際に私たちの言語は小林が主張している解釈Aも可能な、あいまいさを許すものになっています。これは、言語のどのような特徴によるものなのでしょうか。

言語表現の組み立て方と主要部

 さて、私たちが日常使っている、いわゆる「自然言語」は、小さな要素を一定の方法で組み合わせてより大きな言語表現を作っていく、という性質を持っています。

  • 野球→少年野球→地元の少年野球→弟は地元の少年野球が好き→弟は地元の少年野球が好きだと言っていた→…

専門書だと、「有限の要素から無限の言語表現を産出できる」なんて書いてあったりします*3
 二つ(以上)の要素を組み合わせる場合、できあがったより大きな単位の性質を決定する方の要素を「主要部(head)」と言います*4。日本語では主要部は「右側」にあることが多い、とされています*5

  1. みつばち(はちの一種)―はちみつ(みつの一種)
  2. 少年野球(野球の一種)―野球少年(少年の一種)

上の例の対比を見ると、右の要素の種類が、そのまま全体の種類になっており、右側が主要部であることが分かります*6
 このような(ある程度の)規則性があるので、私たちは今ある言語表現を使ってどんどん新しい表現を作っていくことができます。

ふたたび「大マンモス展」の話

 主要部の話を踏まえて「大マンモス展」を考えると、小林の主張(解釈A)では「展」の方が主要部になっており、「マンモス展」が「展覧会の一種」であると解釈されています。従って、それ全体に「大」をくっつけても「展覧会」が「大」であることには問題がありません。足し算風にこの場合の「大マンモス展」の構造(組み立て方)を書いてみます。

  • 小林の主張(解釈A):(大+(マンモス+展))

参考までに解釈Bの構造も。

  • 片桐の主張(解釈B):((大+マンモス)+展)

 このように、自然言語では「組み立て方が違う」のに「表面的な形は同じ」という場合にいわゆる「あいまいな」表現が生まれることはしばしばあります。しかしこれは自然言語の欠点というよりは、自然言語の「無限の生産性(あるいは生産性の高さ)」の別の側面である、と考えた方が良いように思います。

おわりに

 さて、もちろん、私たちも言語表現のあいまいさに戸惑わされたり、間違って解釈してしまうことは普通にあるのですが、説明を受ければ納得できることが多いです*7。ではなぜ片桐(の演じるキャラクター)はこのような自然言語に見られる一般的な性質(の一部)をよく理解できていないように見えるのでしょうか…その理由は、この作品を最後まで見るとわかると思いますので、ぜひ直接見て確かめていただければ。
 言語学には、ここで見てきたような「語」の組み立て方などの特徴について研究する「語形成/語構成」という分野があります*8。わかりやすい入門書としては次の本を推薦しておきます。「はちみつ/みつばち」「野球少年/少年野球」の例もこの本から取りました。

新語はこうして作られる (もっと知りたい!日本語)

新語はこうして作られる (もっと知りたい!日本語)

この本では、なじみのあるたくさんの例を挙げながら、さまざまな「語」の組み立て方について論じていて、「主要部」に関するもっと詳しい話も色々でてきます。
 ラーメンズの作品には言語学の観点から見て面白い、時には見事とうならされるようなやりとりがたくさん出てきます。言語学に興味のある方は、色々作品を見てみると楽しめるのではないかと思います。

*1:実はTwifull関東で入れ忘れたネタでもある。

*2:役割語については

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)

がわかりやすく、面白いです。

*3:そんなこと言っても人間が生み出せる言語表現は高々有限ではないか、と思われるかもしれませんが、比較的少数の部品から多彩な表現を生み出せる、効率的なシステムになっている、ということは認めてもらえるかと思います。

*4:実際には、"head"の訳語としては他に「主部/主辞」「頭部/頭辞」などが使われることもありますが、「主要部」が一般的だと思います(「頭部/頭辞」は特にまれな気がします)。

*5:「右側主要部の規則(Righthand Head Rule」という名前もあり、英語など他の言語でも成り立つとされています。一方で、右側主要部にならない組み合わせ方もたくさんあります。典型的なのは「草木」「少年少女」などの、いわゆる「並列」の関係でしょう。

*6:これは正確には「意味的主要部」とでも呼べるものです。主要部には他にも統語的主要部、形態的主要部といった考え方があり、(場合によっては)定義や見分け方が違う場合があります。

*7:実は納得しない人もよく見かけますが。

*8:「語」に関する総合的な研究分野は「形態論(morphology)」と呼ばれ、新語の作成に限らず、活用・屈折の問題など語に関するあらゆることを扱います。