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「自粛をお願いする」のは“日本語として”おかしいか

 「自+X」の形式を持つ漢語動名詞についてはいくつか先行研究がありますが(以下のものは未見)、

調べるのにあまり時間が取れないので、メモ的なエントリを書いておきます。
 今回の震災以降、「花見」の件をはじめとしてさまざまな「自粛のお願い*1」が問題にされてきたようです。「自粛+他粛」辺りでググるとその様子がざっと見てとれると思います。

僕がちょっと気になったのは「「自粛をお願い」するのは“日本語として”おかしい(だから「他粛」と呼ぶべき)」と言うような言い方です。
 そこで、「“日本語として”おかしい」と言えるのかどうかという点について少し考えてみました。

何が「自」なのか:意思決定と動作

 「自+X」という形をとる漢語動名詞*2には「自殺」「自爆」「自戒」などがあり、主に再帰的な動作を表します*3
 さて、それでは「自爆/自殺を お願いする」ことは日本語としておかしいのでしょうか。おそらく、こういった表現に違和感を覚える方が持っているのは「自分で“決める”わけじゃないのに、「自〜」と言うのはおかしい」という感覚ではないかと思います。
 しかし、たとえば「自殺を強要」という表現はよく使われているようです。

上で出てくる使い方はそれほどおかしくは感じられないのではないでしょうか。これは、「自殺」という行為には動作が含まれているからだと考えられます。つまり、きっかけが他者から与えられたものであったとしても、死に至るための動作を「自分」が行ったのならば、「自殺」と言えるということです。
 実は、「自粛」についてこのように考えるのが難しい、というところにこの表現のややこしさがあると考えています。「自粛」というのは動作、つまり「何かをする」ということではなく「何かをしない(でいる)」ことを表すからです*4。具体的な動作を含むということが直感的にはわかりにくいため、「自殺」といった他の「自+X」語と比べて、「お願いする」ことが変に感じられるというところがあるのではないでしょうか*5

「命令」と同じなのか

 こういった表現についてよく聞かれる声に「「お願い(要請/依頼)」と言いながら、実質的には「命令」ではないか」というものがあります。
 この「命令」という表現が「(ある程度)強制力を持つ」といったことを指しているなら、この疑問は間違いではありません。しかし、こういった問題ではぜひ「お願いという形で強制力を持たせている」という点に注目してほしいと思います。
 以前遭遇した似たような問題にコンビニなどにある貼り紙の表現があります。次のようなものです。

  • A: いつもきれいに使って下さってありがとうございます。

これが「きれいに使え」という「命令」に感じて嫌だ、という話です。しかし、そう感じる人でも

  • B: きれいに使って下さい。

という表現と「全く同じ」と感じる人は少ないのではないのでしょうか。むしろ、「そういったストレートな表現の方が好ましい」と思ったりしないでしょうか。まあさすがにこれはぶっきらぼう過ぎるかもしれませんが…
 さて、ここで重要なのはAの表現がたとえ「命令」として解釈される場合にも「感謝を述べるというを用いている」という点です。むしろ形としては「感謝」しておきながら「命令」だからこそそこにいやらしさを感じるのではないでしょうか。こういう、言語表現の形そのものが表す意味が、ある文脈においては違ったように機能する、ということは特に「依頼」「命令」といった言語行為に関してはよくあります。むしろ、「Aという形を用いてBを表す」という手段を用いて、私たちは複雑かつ豊かなコミュニケーションを行っていると僕は考えます。具体的にどういった条件・文脈で「命令」が成立するのかということについても色々研究があるのですが、僕はその辺り手持ちの知識だけでは紹介するのが難しいのでここではやめておきます。
 その観点から「自粛をお願い」の問題に戻ると、それを「日本語としておかしい」と批判するのは少し的外れとうかあまり意味が無いように感じます。もし批判したいのなら、「直接的な命令ではなく、わざわざその形を使うのはいやらしい」といった形でやる方がいいのではないでしょうか。実際、批判や違和感の表明にはそういうものも多いと感じています*6
 ただ、「自粛ではなく他粛ではないか」という言い方はとても早く広く広まったようなので、このようなごちゃごちゃしたエントリを書くより効果的であり、批判を広める戦略としては優秀だったと言える(これからも言える?)のかもしれません。

「日本語としておかしい」とはどういうことか

 さて、「日本語としておかしい」という言い方についてですが、これ自体曖昧な表現ですね。上で述べてきたように、これが「日本語に存在するべきではない文法的に間違った表現である」といった意味なら僕は反対ですが、「日本語の使い方としていやらしい」という意味ならアリかなあと思います。僕は前者の意味で言っているような人が多いように感じたのでこんなエントリを書こうと思ったわけですが。

おまけ:「他粛」について

 ところで、「他粛」という語は面白いです。語の一部を他の形にとりかえる語形成というのもあると言われている*7のでこの語の内部構成を考えるのは不適当かもしれませんが、使役文に相当する意味構造を持つことになる可能性が無いかな?あるいは「粛」に他動詞的な意味構造を認めたとしても「他」は動作主の方ですから外項複合の例になりますね*8

*1:他にも「強要」「要請」「依頼」などその強さに応じていくつかの表現があると思いますが、ここではそれらの代表として「お願い」を使うことにします。

*2:ここでは「する」を付けて動詞として使える、という程度の意味です。

*3:どれほどの割合の語が再帰的な意味を表すのか、本当に「再帰」と言ってよいかは考えなければなりません。また、上記先行研究のタイトルにも挙がっているように、「自己+X」の形を取るものもあります。

*4:分析のレベルでは、「何かをしないでいること」を「動作」と考えることはもちろんできます。

*5:あるいは「変でない」という可能性を思いつきにくい。

*6:形式としてもきちんと「命令」にした方が行政側に明確な責任が生じるので良い、といった議論もあるようです。

*7:たとえばざっくりした「千切り」を「百切り」と言うなど。

*8:外項複合の漢語動名詞についてはすでに研究がすすめられています。次の研究などを参照。

現代日本語の漢語動名詞の研究 (ひつじ研究叢書 言語編)

現代日本語の漢語動名詞の研究 (ひつじ研究叢書 言語編)