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歯切れが悪いのは仕様です。

言語学会シンポジウム「活用論の前線」一人反省会、あるいは活用論雑記

 すでに一ヶ月が過ぎてしまいましたが、やはり少し書いておこうと思います。

当日の様子

 まず、大会の運営に携わっていた皆様、ありがとうございました。僕自身は二日間あまり余裕が無かったにも関わらずおかげで発表に集中することができました。
 さて、二日目の午後ということで参加者は少ないのではないかと予想していましたが、思っていたより多かったですね。なんか風の噂では予稿集もぎりぎりで二日目は足りなくなりそうだったとか。
 遠くから参加していたにも関わらずシンポジウムまで聞いてくださった方も多く、嬉しかったです。やはり時間のこともあって終了後はあまり色んな人と話をする時間が作れなかったのが残念でしたが、ちょうど一週間後に東京外大であった日本語文法学会で何人かの方とは話すことができました*1

発表の感触

 プレゼンに関して言うと、自分の中ではここ数年ではワーストから数えたほうが早いような出来でした。ほとんど聴衆の様子を見ながら話すことができませんでしたし…シンポジウム自体の開始が少しずれ込んだこともあって絶対に遅れさせられないというのが最初から頭にあり、その焦りが悪い形で出てしまったのではと思っています。それと、やっぱりここ数年では一番緊張しました。何を話すのかが飛んじゃいそうな瞬間さえありましたからね。僕は日本語で話す時は読み原稿を作らないスタイルが好きなのですが、こういう時は当日読まないにしても一回そういうのを作っておくのも良いかもとさえ思いました。

内容の配分

 何人かの方から「前半が丁寧すぎた」「もうちょっと後半の具体的な分析の話を聞きたかった」という感想をいただきました。
 実は、内容の配分をどうするのかというのは、このシンポジウムのお話をいただいた時からずっと頭を悩ませてきた問題でした。僕の発表は「分散形態論という枠組みを使う(ことに意義がある)」ということ自体が重要な主張の一つなので、問題設定と具体的な分析に加えて理論の導入にもそこそこ時間を割かないと成り立たないのですよね。それらを30分という時間内にどう放り込むか。
 イントロを丁寧にやり過ぎてしまうというのは昔からの僕の悪いクセの一つなのですが、上のような問題があるということがわかっていたにも関わらず、そこをうまくコントロール出来なかったのは完全に失敗でした。確かに計画自体がきつきつだったにしても、前半はもう少し切り詰められたかな、と。最後の今後の課題のところでも一つ面白い(と僕が思っている)問題を用意していたのに、時間の都合でばっさりカットしてしまいましたからね。

質疑応答

 僕にはあまり質問無いかなーと思っていたのでいくつか質問をもらえたのは嬉しかったですね。それに応えることで自分の研究の内容や他の研究との関連が見えてくるような良い質問をいただいたと思います。ただ、自分の回答を今思い起こすともうちょっとうまい答え方があったなあ、と悔やむところなのですが…
 全体的には、手を挙げてくださった参加者の方がとても多かったのに、時間の都合であまり多くを取り上げることができなかったのは残念でした。終了後の感想でも「もっと紛糾したら面白かったのにね」というような感想もいくつかいただきましたし。いや、あの時間だと仕方ないことですし誰の発表もほとんど時間オーバーしなかったのですが。
 僕自信も、言語学会ということでどこからどんな類の質問が飛んでくるかわからず、色んな質問への回答を準備していたのですがほとんど使わなくてよかったのはちょっとほっとしたような、残念だったような…

というわけで勝手に補足

 重要だと思うところを少し書いておきます。

他の二人の講師の研究との関係は?

 これは必ず出る質問かと思ったのですが、意外と出ませんでしたね。
 ものすごく乱暴にまとめると、枠組みの違いはあれど他のお二人の提言(の一つ)は「現代の文法研究の視点から活用を考えなおそう」というところにあると思います。問題設定自体に新しさがあるというわけですね*2。それに対して、僕がやっていることは「文法と形態の結びつき」というところを重要視していて、これはむしろ問題設定としては古典的とさえ言って良いと思います。
 で、僕の主張は「分散形態論という枠組みを使うとその古典的な問題に対して新たな可能性が見えてくるよ」というものです。そしてさらに重要なのは、「この枠組み/方法論を使うと文法研究に無理強いしないですむ(例:形態の分布がこうなっているから文法分析もこうなるはずだと言わなくて良い*3)」という点で、この辺りで三原氏や野田氏の研究とのつながりが出てきます。文法分析に重点を置いた研究と形態論/形音韻論/音韻論の研究をそれほど無理なくつなげる方法論を提示するのが僕のやりたいことなわけです。
 具体的なことを言うと色々あって、例えば三原氏の研究とは主要部移動(head movement)の適用範囲について現時点では違いがあります*4

生成文法(ミニマリスト)への貢献は?

 これも出るかなーと思ってて出なかったんですが、個人的に聞かれたので簡単に書いておきます。
 僕の研究は、現在の生成文法の中で位置づけるなら、インターフェイス研究の推進(具体的な話題や現象の提供)とそこから見えてくる文法モデルの検証と構築、という辺りになる(と良いなあ)と考えています。それが生成文法(ミニマリスト)研究への貢献になるはず。活用研究自体はやはりまず形態(音韻)論とのつながりということでいわゆるPF(Phonetic Form)周りとの関係が重要になってきますが、語彙意味論、モダリティ/モーダルとのつながりも外せないところで、意味(論)関係のインターフェイス周りのこともきちんとやらなければなりません。こちらは苦戦中です…
 統語部門((narrow) syntax)ともっと直接関わる話題としては、たとえば「統語部門に音韻素性は存在するか」みたいものがありますが、こちらは今のところ僕の研究から言えることはあまり無さそうです。

本音みたいな

 つまるところ、僕は日本語研究というフィールドでも生成文法というフィールドでも「文法研究と形態研究の具体的な橋渡し」がしたいと考えています。
 じゃあこういう研究者が増えて欲しいかというと、実はそこまで強い希望はありません。むしろ、きちんとした文法研究や音韻研究そのものをどんどん蓄積していってほしい。僕はそれらがどう結びつくのかを考えるのが楽しいですし、こういう研究を始めたのも一つにはこれまでの文法研究の蓄積とこれからの進展がある程度信頼できるだろうということがありました。ちょっとやな言い方をすれば、僕の研究はいわゆる文法研究に「寄生」していると言えるかもしれません。ただこういう研究の存在、重要性自体は広く知られてほしいですし、あまり人気が無いからといって「取るに足らない領域」みたいに見られるのは嫌ですけどね。たとえば「形態論嫌い」って言われるのは別に良いんです。むしろ僕はたまたまそういう領域が好きなので任せてくれると嬉しい。でも「そういう研究は別にいらない」と言われると寂しいですし言語研究全体にとっては良くないんじゃないかなーと。
 まあ僕は文法研究自体も好きですから自分でも色々やるつもりですし*5、「こういうところの研究が進むと助かるんだけど」みたいな提言は色々やっていこうと思います。
 もちろん形態論研究に興味を持って実際やってくれる人が増えるのはとても嬉しいですよ!

おわりに

 相変わらず最後は愚痴みたいになってしまいました。
 気付いている人は多いと思うのですが、僕がこのシンポジウムで話したことはほんの触りでして、実際の具体的な現象の分析を一つ一つ提示していかないと完全に絵に描いた餅なんですよね。これから色んな機会を使ってその具体的な研究を示していかなければなりません。実はこっちが何倍も難しいですしすでに問題山積みです…その分やることいっぱいあって楽しいですけどね!(やっぱり手伝ってくれる人欲しいかも…)
 さて、当日のスライドのpdfファイルをアップロードしておきました。ずっと公開しておくかどうかは決めかねていますので、気になる方は早めにダウンロードしておくことをお勧めいたします。pdfにしてありますので当日はアニメーションが入っていたところがちょっとわかりにくくなっていると思いますがご容赦いただければ。
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*1:二日目の活用のワークショップで日高氏が言語学会でも活用に関するシンポジウムがあったことに触れてくださったのはとても嬉しかったです。時間がなくて質問はできず残念(´・ω・`

*2:既存の活用論/活用研究に文法研究の視点が抜け落ちていた、というわけではありません。

*3:「決めつけない」ということが重要で、もちろんそういう予測の下に研究したりその可能性を追い求めること自体はありえます。

*4:僕の研究ではT以上の機能範疇までVが移動してるかどうかはまだよくわかっていません。

*5:音韻論・意味論をガチでやるのはちょっとしんどいかな…