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歯切れが悪いのは仕様です。

Jonathanさんのコメントへ返信(1):分散形態論(DM)におけるRootと範疇

 年末なんで(?)おそろしくマニアックな話をします(こういうのをWikipediaに書けば良いのかしら)。僕のド専門の一つはこういう話です。
 下記のコメント欄でJonathanさんから分散形態論(Distributed Morphology: DM)に関する質問をいただきました。

 ある程度調べて書こうと思っていたのですが、どんどん時間ばかり過ぎてしまっていますので、おおまかにでも返答を書いておこうと思います。質問は二つありますので二つのエントリに分けます。

質問

初めまして。DM超初心者です。DMの考え方に関してお聞きしたいことがあります。
まず、DMではlexiconにはRootとformal featureしかなく、Rootはlexical categoryに相当するという説明を見たことがありますが、√DESTROYのようにVにもNにもなるもの以外にも、例えば、boyのようにNしかならない項目はどう分析されるのでしょうか?
「激おこぷんぷん丸」の形態的分析試案 - 思索の海

返答の前に

 DMの基本設計とか概念を丁寧に説明しているときりがありませんので、このエントリでは用語の解説などはしないことにします。
 DMでのRootと範疇に関する議論はこのエントリで取り上げる各論文を読んでもらうのが良いと思うのですが、もし日本語で日本語を対象にしたものが読みたいというのであれば、僕が書いた下記のものを参考にしてみてください。

お答え:色々な可能性が(おい

 確かに、原理的にはRootという統語的対象+範疇素性(category feature)でいわゆる語彙範疇要素が形成されるなら、全ての語彙的要素に全ての語彙範疇(N, V, A)への可能性が開かれていることになります。ただし、これは下の方で述べるようにRootにどのような情報が載っているかによって変わってくると思われます。
 Rootからの派生ではなく範疇変化の話なのですが、Embickの以下の論考が結構参考になります。

  • Embick, David (2012) "Roots and features (an acategorial postscript)," Theoretical Linguistics 38(1-2): 73-89.

Embick (2012)はある範疇変化(たとえばN -> V)が存在しない場合((lexical) gap)について、DMのRoot+範疇素性のアプローチが取れる分析の可能性を二つ指摘しています。

  1. (意味的、統語的、などなどの要因があり)体系的に存在しない範疇変化である。
  2. 文法はその範疇変化を許容するが、文法以外の何らかの理由によりその結果できた語の許容度が低かったり、自然に受け入れられにくかったりする(文脈を整えればOKになったりといったことも)。

 もちろん現象の振る舞いによって分析は変わってくるわけですが、まず2の可能性を検討する必要がありそうです。「一見〜という語は存在しないように思われるが、実は…」というパターンですね。語形成への統語的アプローチはそういう意味で語形成の可能性を比較的広く取る方向とマッチしやすいように思います。
 ただし、そうであったとしてもやはりなぜ語形成には(表面的に)生産性の低さやgapが見られるかということに対しては最終的に説明が必要になるでしょうけれどね。この辺りの研究はあまり進んでいないような印象があります。語彙的緊密性に対してはphase による分析が、first sister principleに対してはHarley (2003)によるチャレンジがあったりしますが、いわゆる“語彙的な”性質を統語的アプローチでどう説明できるのかという課題についてはまだまだできることが色々ありそうです。
 1の可能性については、Embick (2012)の以下のようなアイディアを前提とするなら可能性があります。

It can be assumed further that Roots have inherent semantic properties, and that these properties interact with category-defining heads to produce different patterns of distribution for different (classes of) Roots.
(Embick (2012): 81)

Rootが何らかの意味的特徴を持つとすれば、その意味的特徴によってあるRootが(ある言語では)特定の範疇にならない、という分析は可能になりそうです。さて、それではそのようなことは可能なのでしょうか。

Rootにどのような情報があるのか

 Rootが一体どのような統語的対象なのか(どのような情報をどれぐらい持っているのか)ということについては、DMでもいくつかの考え方があります(最近はDMを明示的に使っていなくてもRootが仮定されることもありますがその辺りの話は割愛)。

  1. Rootはsyntaxにおいては一切、相互に区別が付かない(形式素性と同様に完全にlate insertioの対象になる):Harley and Noyer (1999)など
  2. Rootは意味的なクラスによりいくつかのタイプに分類できる(late insertionの対象になるが意味的クラスにより制限を受ける可能性がある):Harley (2005)など
  3. Rootは音形に関する情報のみを持ち、文法的・意味的特性は一切持たない(syntaxでそれぞれのRootは区別が付く):Embick and Noyer (2007)など
  4. Rootは意味的な情報を(音形に関する情報も?)持つ(syntaxでそれぞれのRootは区別が付く):Embick (2012)

4ではEmbickは音形の話は特にしていないのですが、彼は早い段階から一貫してRootはsyntaxの段階で区別が付くとする立場なので音形に関する情報を持っているとしても良いでしょう。Embick and Noyer (2007)からはやや主張が弱まっている印象です。Harleyは2ではかなり強い主張を出していましたが、最近はあまりそういう主張をしなくなったような気がしますね。
 何が問題かというと、Rootにあまり情報を乗せすぎると、Anti-lexicalismの精神に反してくるという事態になる危険性があるのですよね。つまり、いわゆる従来の語彙的要素、語彙範疇と呼ばれるものから色々な情報を(syntaxに)追い出して言わば「核」として想定するもの、というのがRootの元々の発想なんで、そこにまた色々情報を乗せていくとそれじゃlexicalismと(ほとんど)変わらないじゃん、ということになってしまうのです。
 これはなかなか難しい問題です。おそらく1の立場が維持できないというのは現在のDMではほぼ共通見解になってきているような感じなのですが、ではAnti-lexicalimかつ統語的アプローチの良さを活かし、かつ現象をきちんと捉えるには、Rootにどれぐらいの情報を乗せておけば良いのか。最近Rootの話題も盛り上がりを見せているのでどんどん研究が進めば良いなと思っています。僕も微力ながらいくつか考えていることはあります。

おわりに

 最後はぐだぐだになってしまいましたが、まとめとしては「たとえば"boy"が動詞にならないような現象に対して体系的な説明を与える可能性はあるが、そのためにはRootをどのように考えるのかという話を詰める必要がある」という感じでしょうか。
 なんかすでに燃え尽きた感がありますが、(たぶん)(2)に続きます。

参考文献

  • Embick, David (2012) "Roots and features (an acategorial postscript)," Theoretical Linguistics 38(1-2): 73-89.
  • Embick, David and Rolf Noyer(2007) “Distributed Morphology and the syntax/morphology interface,” The Oxford Handbook of Linguistic Interfaces. G. Ramchand and C. Reiss (eds.), Oxford University Press.
  • Harley, Heidi(2003) “Merge, conflation, and head movement: The first sister principle revisited,” NELS 34 Proceedings. pp.239-254.
  • Harley, Heidi(2005) “How do verbs get their names? Denominal verbs, manner incorporation, and the ontology of verb roots in English,” The Syntax of Aspect: Deriving Thematic and Aspectual Interpretation. Nomi Erteschik-Shir and Tova Rapoport (eds.), pp.42-64, Oxford University Press.
  • Harley, Heidi and Rolf Noyer(1999) “Distributed Morphology,” Glot International 4(4). pp.3-9.