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言語学の入門書その2:定延利之『日本語教育能力検定試験に合格するための言語学22』

はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

 前回の内容は完全に忘れてましたよ。まさか第二弾があるとは自分でも驚きです。

きっかけ:日本語教員養成講座での授業

 今年度、インターカルト日本語学校・日本語教員養成講座というところで、「言語学概論」の授業を担当する機会がありました。
 これまでも非常勤で教養の「言語学」や「言語学概論」といった授業を担当したことはありましたし、日本語学系の授業でも必ず最初は言語学・言語研究での位置付けの話から始めます。また、日本語教員を目指している受講生が多いクラスで日本語学系の授業を担当したこともありましたので、全く新しい経験というわけではなかったのですが、大学以外の機関での日本語教員養成の授業で「言語学概論」、というのは初めてでしたので、色々悩みました。
 そんな事情で色々本を見ていたのですが、このなんともどストライクなタイトルの本に出会い、だいぶ助かりました。

他にもいろいろ読んでみて結局これを教科書に指定したのですが、それはこの本が

  1. (かなり抽象的な用語・概念についても)語り口が平易で説明が丁寧
  2. (日本語の)具体例がたくさん出てくる
  3. 重要な用語のカバー率が高い
  4. 練習問題が多く、解説も付いている

といった特徴を備えていて、独習にもかなり有用であると思えたからでした。
 そして授業で使ってみたところ、これは「言語学」が気になっている人一般にとっても良い入門書であると感じたので、こうして紹介することにしました。

わかりやすい(たぶん)

 さて、僕はすでに言語学にまみれた人間ですのでそういうやつが「わかりやすい」といってもなかなか信用は得られないと思います。また、「言語学概論」で取り扱われる項目はかなり抽象的な話も多いですしね。実際、僕は学部一年生で受けた「言語学概論」の授業はかなり理解できませんでした。
 この本は、その点をいろいろな具体例とたとえによってなるべく克服しようとしています。たとえば、p.104にある、「言語学は記号の体系である」という時の「体系」をタコとダイコンの煮物をたとえにして説明している箇所などは、自分で考えてみるとなかなかうまいたとえを思いつきませんでした。
 他にもたとえば

意味のことを難しげに所記*1やシニフィエなどと呼ぶ本もありますが、気にしないで下さい。
(同書、p.76)

といった思い切りはなかなかできないところです。この言い方でちゃっかり用語は導入しているんですよね。
 最近はそうでもなくなったきたような気がしますが、言語学概説や言語学入門といった本でも、抽象的な概念についてそこまで抽象度を下げて説明しないこともけっこうあるので、そういう話が苦手な人にはかなり助かると思います。

具体例がたくさん出てくる

 この本は、言語学概論系としてはいわゆる「王道」の構成にはなっていなくて、「言語とは何か」の話の前に、日本語の文法を例にした具体的な言語現象の話から始まります。
 また、たとえば「プロソディ」や「接辞」といった個々の概念・用語の導入の際にも、具体例がぽんぽん出てきます。実は日本語教育能力検定試験には語形成に関する問題もそこそこ出るので、こういうところもうまく限られた分量の中に盛り込まれているんですよね。

重要な用語のカバー率が高い

 さて、「言語学概論」でカバーする範囲の話は実は言語学の中でもかなり抽象度が高く、実際に他の音声・音韻、文法、意味、…といった分野をある程度先にやった方がいいぐらいだと思うのですが、どうしても基本概念・用語についてはそれを知っていないと他の分野の勉強ができない(本や論文が読めない)ということがあってやっかいです。
 たとえば、次のような概念・用語は知っておかないと(意外と)けっこう色々なところでつまづくことになると思います*2。もちろんものによっては各分野でも最初に導入されることが多いですけどね。

  • 有標/無標、形式と意味、ミニマルペア(最小対)、形態(素)、素性、パラディグマティック、共時/通時、主要部、…

また、

  • エティック/イーミック、構造、形式主義/機能主義、…

といった平易でボリュームが抑えられた入門書では話が及ばないことも多い概念・用語についてもけっこう具体的な解説があります。
 さらに、文法、音声・音韻、形態論、意味論の基本的な概念・用語まで導入されていて、驚異のカバー率だと思います。特に序盤は日本語文法概論の導入としても使えそうなぐらいですね。

練習問題が多く、解説が付いている

 これは日本語教育能力検定試験用の本であることを考えるとある意味当たり前なのですが、一般的な言語学の入門書としてみると、和書の中では貴重な部類ではないかと思います(最近はそうでもないかなあ)。
 また、詳しい解説が多いのも初学者にとっては助かると思います。入門書の中には練習問題が「〜について考えてみよう」といった大きなものばかりで回答・解説なし、なんてのもけっこうありますからね。

注意点

 良いところばかり紹介してきましたが、最後に少し注意点について触れておこうと思います。

かなり認知言語学をベースにしている

 もちろん、「プロトタイプ」「メタファー/メトニミー/シネクドキ」など、認知言語学で発達した概念・用語は枠組みに関わらず重要かつ基本的なものになっていると思いますが、それ以外の基本的な概念・用語についても、認知言語学をベースにした説明がけっこうあります。たとえば「文」や「語」といった言語記号を「スキーマ」を用いて説明しているところなどがあります(pp.90-93)し、上の「タコとダイコン」のたとえでも、「システム」の話と「部分の総和≠全体」の話が一緒に出てきます。
 まあ、この辺りは理解を助ける役割もあるでしょうし、ほとんど場合「認知言語学の考えによると…」のような明示がありますので、問題というわけではないです(かえって認知言語学専門方は気になったりして)。また、生成文法や形式的なアプローチの考え方についても触れられているところはありますが、比率としてはやはり少なめですかね。ただこの点は、最近の「日本語教育」「日本語学」との距離ということを考えると、むしろ妥当な比率とさえ言えるのかもしれません。
 僕は生成文法や形式的なアプローチが専門ですので、このような特徴はむしろ使っていて助かりました。
 この次は形式的アプローチの観点からの良い入門書が紹介できるとよいのですが…

日本語の話が中心

 日本語教育能力検定試験用ということもあって、日本語以外の言語の話(特に具体例)はほとんど出てきませんので、その観点からの言語学の入門書に期待している人には物足りないと言えそうです。これは仕方ないですね。比較言語学、言語類型論に関する言及などはあります。

まとめ

 というわけで、かなり独習に向く入門書です。
 黒田龍之助『はじめての言語学』が貴重な「言語学入門入門」の本だとしたら、この本は『はじめての言語学』と一般的な言語学の入門書をつないでくれるものだと言えるでしょう。
 また、黒田本は内容は平易なものの、取り扱っている項目や構成はいわゆる「王道」な感じなので、この二冊を読むと良い補完関係になるのではないかと思います。

*1:最初僕のミスで誤字がありましたが、引用部分なので取り消し線ではなく丸ごと修正としました。

*2:そうでない用語も色々あって、水からの伝言関係では活躍した「恣意性」(参考:水からの伝言関連記事目次 - 思索の海)という概念、言語学では重要な概念ですし言語学の入門書には必ず登場します(この本でも丁寧に解説されています)が、オノマトペなどのいくつかのトピックを除くと、この用語をあまり分かっていなくても他の分野は意外となんとかなっていまうと思います。もちろん、きちんと知っておいた方が良いんですけどね。