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歯切れが悪いのは仕様です。

英語の語彙は豊富(と言える)かという問いをどう考えればよいか、について補足(ちょっとだけ読書案内付き)

 相転移Pさんからついったーで質問をいただいて少しだけお答えしたのだけれどさすがに適当すぎるかなと思ったので補足を少しだけ。
 コトの発端やその時のやりとりについては下記のエントリでまとめてくださっています。重要な論点は出ているかなと思いますので、あまり付け加えることもないのですが。

 ちなみに、私の専門は日本語なので以下ほとんど日本語の話です。誰か英語についても書いてくれないかなー

「語彙」の定義

 さて、具体的な話に入る前に言語研究(日本語学)での「語彙」の定義について書いておきます。

  • 「語彙」の定義:「語」の集合

ホントに基本これだけです。以下引用。

日本語学など言語に関する専門研究では、一般に、語彙とは語の集合であると規定される。すなわち、一定の条件に合致する語のグループを語彙と呼ぶのである。たとえば、「『万葉集』の語彙」という場合には、『万葉集』に出てくるというのを条件とし、その条件に合致する語をひとまとめにしてそう呼ぶのである。
(斎藤倫明・石井正彦 (2011)「第1章 単語と語彙・語彙論に関する規定」斎藤倫明・石井正彦(編)『これからの語彙論』: 3)

日本語の語彙に関するデータをいくつか

 結論から言ってしまうと、「○○語の語彙は(××語より)豊富」と言い切るのはかなり難しい、というところに落ち着きそうなのですが、それではあんまりなので日本語の語彙に関するデータをいくつか紹介しておきます。

辞書

 まず、手近なところでは辞書があります。日本語に関して現在のところ最大の辞書は『日本国語大辞典』(通称『日国』)の第二版で、13巻、約50万語収録となっています。

 ちなみに英語で最大の辞書と言えばやはりOxford English Dictionary (OED)でしょうか。こちらは約60万語収録となっています。

 どちらかを引いたことがある人はわかると思いますが、古語なども多く収録されているので、現在の日本語/英語の語彙量をはかるものさしとしてはざっくりし過ぎかなという感じです。

『分類語彙表』

 日本語の代表的なシソーラスの1つとして『分類語彙表』があります。専門的な日本語研究でもよく使用されるもので、レコード総数101,070件となっています。

データは上記からたどっていってダウンロードできますので、興味のある方はちょっと眺めてみるのもいいかもしれません。

教育・学習

 教育の観点から語彙量が話題になることもあります。以下引用

 一般に成人の日本語母語話者は、約4万語の語彙を理解するとも言われ、また、約1万語あれば、雑誌等で一般に使用されている日本語の訳90%がカバーされるとも言われている。
(鈴木智美 (2011)「第12章 日本語教育と語彙」斎藤倫明・石井正彦(編)『これからの語彙論』: 229)

こういう調査については研究によって数字にけっこう違いがあるという指摘もあるのですが、他の研究でも、成人だと4-5万語ぐらいになっているようです。

「語」を数えることの難しさ

 そもそも「語」の定義が難しいとかいう問題もあるのですが、屈折・活用に関する話は相転移Pさんが上のエントリでまとめてくださってますし、ここではもう少し違う例を方言から紹介しておきます。

大分県姫島では鱸に関して、以下の18の語が区別される。
トゥリイキオースー(釣って獲った生きている大型の鱸)
トゥリイキチュースー(釣って獲った生きている中型の鱸)
トゥリイキコスー(釣って獲った生きている小型の鱸)
トゥリアガリオースー(釣って獲った死んでいる大型の鱸)
トゥリアガリチュースー(釣って獲った死んでいる中型の鱸)
トゥリアガリコスー(釣って獲った死んでいる小型の鱸)
トゥリシメオースー(釣って獲った半死半生の大型の鱸)
トゥリシメチュースー(釣って獲った半死半生の中型の鱸)
トゥリシメコスー(釣って獲った半死半生の小型の鱸)
アミイキオースー(網で獲った生きている大型の鱸)
アミイキチュースー(網で獲った生きている中型の鱸)
アミイキコスー(網で獲った生きている小型の鱸)
アミアガリオースー(網で獲った死んでいる大型の鱸)
アミアガリチュースー(網で獲った死んでいる中型の鱸)
アミアガリコスー(網で獲った死んでいる小型の鱸)
アミシメオースー(網で獲った半死半生の大型の鱸)
アミシメチュースー(網で獲った半死半生の中型の鱸)
アミシメコスー(網で獲った半死半生の小型の鱸)
(大西拓一郎 (2008)『現代方言の世界』: 39)

どうでしょうか。18の語と言いますが、トゥリ/アミ、イキ/アガリ/シメ、オースー/チュースー/コスーという要素の組み合わせでできていることがわかります。言語学概論や形態論の(初歩の)練習問題にしてもいいかなと思うぐらい規則的ですね。しかも共通語の語彙からけっこう推測できそうです。
 さて、「語彙が豊富」という言い方で肯定的な評価を与える場合、「モノや状況などを細かく言い分けることができる」という点が重要なのではないかと思いますが、では、上で紹介した方言と、たとえば「鱸を9語で言い分けるが、それぞれの語形が部分に分解できず、関連が見えない」方言があった場合、どちらが「語彙が豊富」と言えるでしょうか。
 これは、ツイッターでもMitcharaさんが話題にしていたことで、要素の組み合わせによって細かい言い分けができることを考慮に入れると入れないとでは、言語によって語彙量がだいぶ違ってくるでしょう。でも上で紹介した方言を「語彙が豊富」と感じる方もけっこういるのではないかと思います。
 この問題を広げると、「語で言い表せなくても句(フレーズ)で言い表せられる言語はどう考えれば」という話になってきます。そういえば英語は句動詞がたくさんあると言われたりしますよね。句動詞は「語彙」に入れてよいのでしょうか。

じゃあホントに数えたり比べたりできないの?

 範囲をかなり絞れば、ある程度の語彙量の比較はできると思います。「抽象的概念を表わす名詞は○○語の方が××語より豊富」といった感じですね。たとえば田島毓堂 (1999)『比較語彙研究序説』: 62-65に日本語とインドネシア語、韓国語、中国語との比較研究がごく簡単にですが紹介されています。
 ただ、それでも専門用語や新語・ジャーゴンなどをどれぐらい考慮するかといった頭の痛い問題は色々ありそうです。
 英語が、特に非母語話者にとって「語彙が豊富」(=使用できる表現の数が多い)であるというのはある意味当然ではないかとも思います。なぜなら、使用者数が多いですし、さまざまな分野で用いられていますので、英語発祥の(新)語も多ければ、他言語の語も比較的早く取り入れられることが推測されるからです。つまり、「英語は語彙が豊富だから使いやすい」というよりは「みんなが英語を使っているので語彙が豊富になっている」というところでしょうか。もちろん、この両者は排他的ではなく、同時に成り立つ可能性もあります。また、辞書やシソーラス、学習用の資料などが整備されており、非母語話者でも多くの表現に到達できる可能性が比較的高いという点も重要なポイントかと思います。

読書案内をちょっとだけ(専門的)

 あまりこの分野の書籍を網羅しているわけではないので限定的かつ専門的です。
 前にも紹介しましたが、

これからの語彙論

これからの語彙論

は語彙論と他の研究領域の間にどのような関係・話題があるのかという点についてざっと読めてよいです。概説的な内容ですが、専門書を読むことに慣れていない人には大変かも。
 日本語学に関する基礎をある程度前提とした上で、語彙研究に関するイントロとしては上でも紹介した
比較語彙研究序説

比較語彙研究序説

がコンパクトで良いと感じました。
 語彙史に関しては
語彙史 (シリーズ日本語史 2)

語彙史 (シリーズ日本語史 2)

がけっこう勉強になったのですが、これは日本語学、日本語史研究にある程度なじみがないとつらいかも。
 基本的なデータだけをざっと見るなら
図解 日本の語彙

図解 日本の語彙

が便利です。この『図解』シリーズは資料や図表がたくさんあって授業をやる方としては資料集的に使えてかなり便利なのですが、コンパクトな分解説はかなり簡潔なので初学者にはあまりオススメしないようにしています。