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動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか

【注意】このエントリは、動詞「まなざす」の意味・用法や登場した経緯や背景などについて解説したものではありません。

はじめに

 下記のまとめのブコメにも何か書こうかなと書いてそのままいつもの書く書く詐欺になりそうなところだったのですが、
togetter.com
その後もちょこちょこ「「まなざす」という動詞は日本語としておかしい」というような言い方を見たので何か書いておくことにしました。
 最後に背中を押したのは菊池誠氏の次の一連のツイートです。ただこれに似た言い方はいくつか見ましたし、共感を覚える方もけっこういるのではないでしょうか。



ちなみにwebである程度私と絡んだことがある方はけっこう知っていると思いますが、私は菊池氏の(放射線問題を含む)ニセ科学関連の活動を応援しています。
dlit.hatenadiary.com
そういう応援している人から言葉についてこのような発言が出るというのは個人的に切なかったので(言葉について専門的に見ると変なことを言う人は研究者に限ってもけっこう見かけますので珍しいことではないのですが)、やはり書こうという気持ちになりました。このエントリが、菊池氏の上記のような発言に共感・賛同する方々にとっても何か考えるきっかけになると嬉しいです。
 ちなみに、私が考えていたことは、@xhioeさんの下記のツイートで端的にまとめられてしまいました。
これを読んでおおよその意味が分かる方は、ここから先を読まなくてもいいんではないかと思います。

「まなざし」はどんなタイプの語か

 さて、まず動詞「まなざす」の元になったと考えられる「まなざし」について見てみましょう。
 このように、動詞の連用形の前に何かがくっついた(複合)語はそのままでは動詞として用いることができないというのは広く見られる現象です。

  1. 名詞+動詞連用形:草刈り(×草刈る)、恩返し(×恩返す)、…
  2. 形容詞+動詞連用形:薄切り(×薄切る)、早歩き(×早歩く)、…
  3. 動詞+動詞連用形:立ち聞き(×立ち聞く)、殴り書き(×殴り書く*1)、…
  4. 接頭辞+動詞連用形:小走り(×小走る)、大崩れ(×大崩れる)、…

 面白いのは、日本語には似たような形でそのまま動詞として用いることができる複合動詞(例:飲み歩く、泣きわめく、…)が豊富にある一方で、3のようなタイプもあるというところですね。
 上記のツイートにもあるように、「まなざし」の「まな」は「目+の」なので厳密にはこれらのタイプとは異なりますが、「動詞連用形の前に何かがくっついてそのままでは動詞として用いることができない(複合)語」として見ると「まなざす」という形で直接動詞のように活用させるのが変だと感じる理由がこの辺りにあるのではないかということが見えてきます。
 「じゃあやっぱり「まなざす」って動詞は日本語しておかしいんじゃないか!」ってことになりそうですが、一方で、これらと同じタイプで動詞として用いることができる(そのまま活用させることができる)ものもそんなに珍しくはないようです*2

  • 名詞+動詞*3:腰掛ける、泡立つ、手間取る、旅立つ、名付ける、気遣う、芽吹く、目覚める、色あせる、手渡す、…

他にもありますので探してみると面白いかもしれません。
 ちなみに、複合動詞は基本的に連濁(複合語の第二要素の最初の子音が濁音化する現象)を起こさないため、動詞+動詞で連濁が起きているものにも同じ疑いをかけることができるのですが、

  • 動詞+動詞:着膨れる、寝ぼける、行き止まる、立ち止まる、返り咲く、…(伊藤・杉岡 (2002)(下記)など)

語誌を見てみると古くは連濁を起こさない形だったものも多いようなので、最初に(動詞連用形をベースにした)名詞の形があってそこから動詞が形成されたというにはもっと詳しく調べる必要がありそうです。形容詞、接頭辞についてはうまい例を思いつきませんでした。
 「まな」が含まれる語としては他に「まなこ」「まなじり」などがありますが、連体助詞の「な」はそもそも分布が非常に限られていますので、他の語と比較して検証するというのは難しそうです。
 どこまでを「まなざし-まなざす」と同じタイプとするかによるのですが、ある程度の範囲を見ると、「まなざし」という名詞をベースに「まなざす」という動詞を作ることはそれほど奇妙なことではないのではないでしょうか。少なくとも「日本語としておかしい」という強い言い方をするには、ある程度の考察が必要だと考えます。

もうちょっと細かい話

 上で紹介した動詞連用形をベースにしたタイプの語については意外と研究が多くないのですが(みんな複合動詞好き過ぎなんだよ)

語の仕組みと語形成 (英語学モノグラフシリーズ)

語の仕組みと語形成 (英語学モノグラフシリーズ)

に「動詞由来複合語」という名称*4で色々な語が紹介されていますので、手に入る方は見てみると面白いかもしれません。
 ちなみに逆(形)成 (back formation)というのは、ある語の派生形(に見えるもの)が先にある場合に、そこから遡って“元の”語を作り出すようなことを指します(英語だと”baby-sitter”から動詞”baby-sit”ができたとか)。最近面白いなと思った例として、ダークソウルというゲームで、「篝火(かがりび)」を利用する行為を指して「かがる」と言っているのを見たことがあります。「かがり」が動詞連用形に見えるところからなんでしょうか。まあこういう用語には短縮形+「る」という構成も多いので逆形成と言い切ることはまだできないのですが。
 活用形との音の類似から新しい語が作られることも珍しくありません。「ググる」「トラブる」「ダブる」などの外来語をベースにした動詞や、「きれい」を形容詞タイプに活用した「きれかった」、「だいじょうぶ」を動詞タイプに活用した「だいじょばない」などが挙げられます。

まとめ

 さて、まとめると、「まなざし」を元にした動詞「まなざす」はある日本語の語の作り方のルールからは外れるが、それほど珍しいタイプでもなさそう、という辺りに落ち着くのではないでしょうか。つまり、違和感を持つ人が多いのは不思議ではない、でもこれを「日本語としておかしい」とするなら、他にも候補が色々出てきてしまう、ということです。
 こういうことは言葉の問題では珍しくありません。以前も似たような問題について書いたことがあります。
dlit.hatenadiary.com
 ここで強調しておきたいことは、私は動詞「まなざす」への違和感、気持ち悪さそのものを否定しているのではないということです。そうではなくて、「まなざす」が指している内容や、使われ方や、使っている人へのネガティブな印象を「まなざす」というちょっと変わった語そのものの性質の問題にすり替えて(混同して)いないでしょうか。ある語・表現が嫌いなら「嫌い」と言う・表明することもおかしなことではありません。しかし、「嫌い」「気持ち悪い」から「日本語としておかしい」「日本語ではない」と言ってしまうのは、ずいぶんな飛躍に感じます。
 さらについでに言うと、こういう「日本語(として)」という場合の「日本語」とは何を(どこまでを)指しているのか、についても少し考えてもらえると日本語・言語の研究者としては嬉しいです。

おわりに

 なんでこんなことをしつこく書いたかというと、言葉の規範性について自覚的な人が増えてほしい、他の専門分野(学術的なものに限りません)について寛容な人が増えてほしい、という個人的な思いがあります*5。後者については@ssmuflerさんの下記のツイートに賛同します。


 前者についてはここでも色々書いていますが、はてなブログの方でも次のようなエントリを書きました。
dlit.hatenablog.com
規範は重要なことも多いのですが、付き合い方が難しいんですよね。あまり他者に厳しくない方が個人的には生きやすいんじゃないかなあと思います。
 身近な専門分野がある方は、ぜひ日常用語と同じ字面をしているのに、独特の意味・用法で用いられているものがないかどうか探してみて下さい。

*1:「書き殴る」は複合動詞でそのまま活用できるんですよね。面白いですよね。

*2:ただし、詳しく分析するとこれらの語の性質や成立の経緯も同様ではない可能性があります。

*3:一部、日本語文法学会第16会大会シンポジウム「関連領域から照射した現代語文法」の影山太郎氏の発表で示された例を用いています。

*4:個人的にはあまりこの用語は使いたくないのですが…ちなみに西尾寅弥 (1961)「動詞連用形の名詞化に関する一考察」『国語学』43: 60-81. では連用形名詞の一タイプと分類されています。

*5:実は言語の専門的な研究者にも規範にかなり厳しい人というのはいます。