はじめに
こういうネタについて書くのはいつぶりかな。もしかしたら「激おこぷんぷん丸」(ATOKの推測変換候補ですぐ出てきた…)以来かもしれません。
さいきんいわゆるネットスラング的な表現である「パワーワード」の意味(が誤って?紹介されたこと)が話題になっています。
この表現については私自身の使用語彙ではないのですが,使われ方が面白いので前から気になっていました。
その気になっている点について少しメモしておこうと思います。
- 注意点
- 以下の考察では手を抜いてあまり丁寧に例を挙げていません。申し訳ないのですが,検索か,リンク先などから辿ってみてください。
- 私が知っている範囲での使用例・用法について書いていますが,それらが正しい,標準的,合理的,一般的であるというようなことは一切主張していません。
- webでの他の方の考察もあまりあさってないのですでに知られていることがらかもしれません。
「パワワ」
まず,「パワワ」という短縮形が使われないだろうという指摘が多いようですが,飯間浩明氏が実例が存在していたことを画像付きで示しています。
日本語の複合語短縮を考えると,「パワー」「ワード」のそれぞれ語頭1, 2モーラずつを取った「パワワ」という形式は珍しくありません。パターンとしては「ミス(ター)+ド(ーナツ)」と同じですね。「ワ」の同音連続をどう考えるかということはあるかもしれません。
また,複合語短縮ではなく単純な短縮で,「パワー」の長音がなくなるのは短縮によく見られる特殊拍の脱落であるという見方もできると思うのですが,こちらも珍しくありません。たとえば近い例としては「スタ(ー)バ(ックス)」。
確かに私自身「パワワ」という短縮形を見たことはありませんでしたし,それほど多く使われている形ではないという印象はあります。あと音の響きがネタにしやすいところもツッコミを呼んだのかもしれません。
どういう時に使えるか
インパクトがあるだけではダメかも
「パワーワード」の意味(というか,どういう時に使えるか)についても,元の日経の人へのツッコミポイントになっています。つまり,「婚約者と別れた」はまったくパワーワードっぽくないという。
飯間氏があげている語義で日経の方が挙げていないポイントとしては,「表現が異様」というところが重要なのではないでしょうか。つまり,単に「強烈」「印象が強い」だけではダメだと。
そこで,暫定的に次のような条件を提案しておきます。
- 「パワーワード」の使用条件1:その表現形式そのものから容易に得られる意味・解釈のみでインパクトが強くなければならない(特別な文脈や情報が必要だったり,特定の個人の状況に強く依存するような場合は難しい)
「婚約者と別れた」がパワーワードっぽくないのは,かなり個人的な話であること,表現形式そのもののインパクトがそこまで強くないことにあるのではないかと思います。
知らなさ具合
日本語の研究者として気になっているのは,「パワーワード」の前に「という」や「とかいう」が多く用いられていることです(他の形でも出てきますが)。
これは,下記の考察の「初めて聞いた」ものに使えるという指摘と関係していそう,というのが今考えていることです。
『日本語文型辞典』で「という」「とかいう」の特徴を見てみます。
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NというN<名前>
…
「という」を用いた場合は,話し手か聞き手,またはその双方がその花*1をあまりよく知らないという含みがある。
(『日本語文型辞典』, p.296, 強調はdlit)
とか(いう)
…
名詞や引用節の後に付いて,聞いた内容を他の人に伝える場合に用いる。内容の正確さに十分な確信がないという含みがある。
(『日本語文型辞典』, p.320, 強調はdlit)
いずれも,「よく知らない」「正確さに十分な確信がない」とあります。「という」については確かほかでも不定性や未知/既知と関わるという指摘があったと思うのですが,文献がさっと出てきませんでした…
実際の「パワーワード」の使用例を見ても,「初めて聞いたことばなんだけど」「さいきん知ったフレーズなんだけど」といった文脈で使用されることが多いように見受けられます(未調査)。そこで,使用条件2を次のように設定しておきたいと思います。
- 「パワーワード」の使用条件2:「パワーワード」に該当する表現について,話し手はさいきん知った/あまりなじみがない/まったく知らない(あるいは聞き手にとってそうだと話し手が考えている)
こういう新しい表現を含め言語表現について考えるときは,その表現そのものとともに,何と一緒に出てくるか(言語研究では「共起する」などと言います),どういう状況で使われるか,などについても考えるとうまくいくことがあります。今回も(ある程度)うまくいっているといいのですが。
おわりに
最初に述べたように,私自身はこの表現を使いませんのでこのような分析で良いのかはあまり自信がありませんし,使用条件は他にもあるかもしれません。
また,そもそも話し手によっていろいろ意味や使用法が異なっている可能性もあります。これも言語(研究)の楽しいところです。
この表現が気になっている人の考察を進めるきっかけになるようなことがあれば嬉しいのですけれど。
*1:dlit注:ここで用いられている例が「○○という花」という表現なのでこういう記述になっています。