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歯切れが悪いのは仕様です。

2020年に子育てをしている親として『となりのトトロ』についてちょっとだけ

はじめに

東京で子育てをしています。子供は4歳でちょうど『となりのトトロ』のメイと同い年です。過去に『となりのトトロ』は何度も見ましたが,やはり親になってから見ると見え方も変わってくるなと思っていたところに下記の記事を読んで少し思うところがありましたので,自分のためにもちょっと書いて整理しておきます。

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うちの子供もさいきん『となりのトトロ』にはまっています。プレゼントでDVDをもらったので,やろうと思えばかなりの頻度で見れちゃうんですよね。どれぐらいはまっているかというと,夕食前のような時間のない時に突然「トトロ見たい」と言い出して「プリンセスソフィア1話(20分強)で手を打たないか」みたいな交渉が発生したり,寝かしつけの時にはトトロの絵本をほぼ必ず読んだりしています。この本,100ページ超でサイズもでかいので早く寝てくれないとかなりつかれます(仰向けで持ち続けると腕も…)。

となりのトトロ (徳間アニメ絵本)

となりのトトロ (徳間アニメ絵本)

  • 作者:宮崎 駿
  • 発売日: 1988/06/01
  • メディア: 大型本

「今」とはどう違うか

上に書いたように子供がメイと同い年という以外にも,私が父親で大学教員(研究者)であるというようなこともあって,重ねて見てしまうところがあります。たとえば,メイがはじめてトトロに会うところを見ていると,ああやって研究・執筆に没頭はできないだろうなあとか思ってしまいます。

令和の子育て目線で『となりのトトロ』という作品を振り返ると、全体的に許されない感じが漂っていて、およそ、心穏やかに見ていられるものではない、はずである。
"本当は正しくない『となりのトトロ』"が、受け入れられている - シロクマの屑籠

たしかにいくつかのポイントで「今の自分には同じようにはできないな」と思うのですが,そんなに心乱されることはないですね。でもこれは過去に何度も『となりのトトロ』を見ていて慣れてしまっているからで,子供が生まれた後にはじめて見るという状況だったらまた感じ方も違ったのかもしれません。

しかし上記の記事のはてブコメントにも書いたのですが,これ,「昭和」と「令和」でそんなにざっくりと比較できるようなことなのでしょうか。実は私がタイトルに上記の記事を受けて「令和」と書かずに「2020年」としたのは「昭和」「令和」という表現(によるくくり方)を使うこと自体がすでに比較可能であることを前提として受け入れさせてしまう効果があるのではないかと感じたからです(他の問題でも同様の感想を抱くことがあります)。

私は,あの『となりのトトロ』の世界にあまり郷愁を感じないのですね(あれが「郷愁」なんだという知識は喚起されます)。ただこれは私が沖縄出身だからということが大きいでしょう。私にとっては田んぼよりさとうきび畑が郷愁を誘うものですから。ただ沖縄出身の人でもさとうきび畑にあまりそういう思いを抱かない人もいるでしょう(私の実家は小さい頃本当に目の前がさとうきび畑でした)。

dlit.hatenablog.com

沖縄は日本の中でもかなりの「異境」だとしても,こういう論を読むと一口に「日本」とくくるのは難しいような地域差が実はあるのではないかということをどうしても考えてしまいます。一方で『となりのトトロ』がそういう実際の差をこえて「日本人(を自覚する多くの人)」に同じような郷愁を感じさせるということがもしあるのならそれはすごいことなのかもしれません。

子育ての窮屈さ

子育てを4年ぐらいしてきて,確かに情報が多く大変ということはなくはないのですが,医療や技術,道具などが発達して今はかなり便利・楽になったことが色々あるんだなということを強く感じます。

私が子育てに窮屈さを感じるのは,むしろ上記の記事にも出てくる,子育てに関する考え方や行動を「正しさ」の枠にはめる言説に触れた時です。おそらく論の展開のためにある程度レトリカルに書いているのではないかと推察しますが,「まともな父親」といった表現の方が,『となりのトトロ』に出てくる子育てに関するあれこれよりよほど私の心をざわつかせますね。

ただこれも人によって違って,かえって「正しい」「正しくない」ということをどこかで誰かが言ってくれる方が楽という人もいるのかもしれません。私は研究者ということもあって情報を調べたり本を読んだり集めた材料をもとに考えることにある程度慣れている方だと思いますが,それでも子育て関連の情報収集や方針の決定はつかれますから。

私は,上記の記事は「令和の親」の大変さを理解しているように見えて,結局子育てを「正しさ」の枠の中で論じてしまうことの正当性を強化しているのではないかと感じてしまいました。私の読みが浅いのでしょうか。

「豊かさ」とは何か

もう1つ上記の記事で気になったものに,「昭和社会の子育てにあった豊かさ」という表現があります。何がその「豊かさ」なのか書いていないので何となく紋切り型の表現に思えてしまいます。

具体例を見ればなるほどと思うようなことなのかもしれませんが,今回の記事に限らずこういう表現が用いられる時に考えるのは,本当にその物事は「豊かさ」と言えるものだったのか,なくなったからこそ豊かだと感じてしまうのではないかということですね。

子育てをしていると「昔はそんなに大変じゃなかった」的な言い方をされるということはあって,確かにそういう側面もあるのかもしれませんが,たとえばアレルギーのような場合によっては命に関わるようなことも軽く扱われると困ってしまいます。余談ですが,私の子供はけっこうきつい喘息の症状がかつてありました。かかりつけ医のちゃんと薬を使って早く治そうという方針のおかげで今はほとんど症状も出ないぐらいになって大変感謝しています。

おわりにかえて

雑感を列挙しただけですので,特にまとめのようなものはありません。

『となりのトトロ』を親になってから見てはじめて思ったことに,さつきとメイの親はとことん叱らない/怒らないなーということがあります。私は日々けっこういろいろなことで子供を叱ったり怒ったりしていてその後後悔したり落ち込んだりすることもありますので,この点でトトロの世界が「理想的」だと感じてしまいます。