誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

言語の研究者はことばの規範とどう付き合う(べき)か,についてちょっとだけ

はじめに

下記の話題に関して,「言語の研究者は(軽々しく/何があっても)ことば遣いに関する規範に口出しするのは良くない」という反応を見かけたので,関連して今の自分の考えを少し書いておこうと思いました。

togetter.com

解説や問題の整理という類のものではなく,実際の研究者がどう考えているかということの1例だと思ってください。とりあえず以下ジェンダーに関わる話はぜんぜんしていません。というか書いた後に思ったのですがとてもごちゃごちゃしているので,もっと良い議論ができる人の叩き台になれば僥倖です(叩けるほどの強度もないかも)。

言語学と規範

言語学の入門では,どれくらい詳しくやるかは差があるでしょうが,必ずと言っていいほど「言語学は規範的ではなく記述的である」というような話が出てきます。重要なポイントの1つなので,内容をかなり絞り込んで作った下記の「言語学入門入門」でも取り上げています。かなり早い段階で一度はしておいた方が良い話なんですよね。


言語学の授業例:言語学入門の入門(音声付きスライド)

このブログでもおすすめしている黒田龍之助『はじめての言語学』も「言語学入門の入門」を兼ねているような本なのですが,その「第1章 言語学をはじめる前に」でもいくつか規範に関する話が取り上げられています。

はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

「規範」の対象

ここで言っている言語に関する「規範」とは,「この言い方が正しい」とか「このことば遣いは間違っている」とか「こういう表現を使うべきだ」といった考えやルールのようなものです(きちんとした議論をするなら「規範」とは何かとかその種類などについても具体的に整理した方が良いです)。

ちょっと注意が必要なのは,上で紹介した動画でも出てきますが「言語学は規範的ではない」というのはおおよそ「言語学自体に直接何が正しい/間違っていることばかを決める仕組みや力はない」ということで,規範のことを研究しないというわけではありません。なじみのない方には言語政策の研究などが分かりやすいかと思いますが,ざっくり言うと社会言語学と呼ばれる領域では規範を取り扱う研究がたくさんあります。

dlit.hatenadiary.com

じゃあ何が言語に関する規範を決めているのかというと,基本的には「人」が決めているのですね。言語学の研究者だって人なので,言語学自体に規範を定める仕組みがなくても,言語学の研究者が規範の決定や形成に関与することはあり(え)ます。というより,専門家はより簡単に権威・権力になってしまうので,「言語学は規範的ではない」という言語学そのものの性質の話と一緒に「言語学の研究者は規範的であってはならない」という研究者としての規範の話がセットになっていることも多いようです。

「規範」と実際に付き合うことの難しさ

私も言語学の研究をはじめた当初はできるだけ規範に干渉しないのが良いと考えていました。今ではちょっと方針が変わって「言語学の「規範」に関する考え方については広く知ってもらった方が良い」と考えていて,その目的のために個別のトピックに言及することもあります。

理由はいくつかあるのですが,簡単に言うと言語学の研究者をやっていると「言語の規範との付き合い方に悩んでいる人がとても多い」ということを感じるからです。言語学の概論の授業なんかやってコメントを募ると,言葉づかいに関する「正しいか」「間違っているか」という質問や悩み相談がたくさん出ます。また,規範は場合や条件によっても必要なこともあるのですが,そんなに必須ではない,しかも特に根拠もない強すぎる規範のために必要ない問題が生じていると感じるシーンにも出くわしてきました。言語学の考え方を知ってもらうことでもう少しことばについて生きやすい社会になってくれるなんてことはないかな…というのは難しそうですが,個人個人のレベルで心理的な負担が減ることくらいはあると良いなと。

上にも書いたように,専門家や研究者は強い権威・権力として機能してしまうので,もっと慎重であるべきという姿勢・態度もありかと思います。ただ,不干渉や「中立」も関わらないという形でではあるものの選択の1つであるということは重要かなと。

また「完全に中立」になるのは困難というのは色んなことに対して言えると思うのですが,実際に(日本で)言語学の研究者をやっていると「規範」に関わらずにいるのはかなり難しいのではないかと思います。特に付き合い方が難しいのが語学の授業なのではないでしょうか。実際,私のこの問題に対する意識の変化は,語学の授業(実は日本語教育のクラスの担当経験が少しだけあります)と,いわゆる日本語文章表現系の授業(レポートの書き方とかやるやつ)を経験したことが確実に影響しています。

こういう授業では見せ方や強さはある程度コントロールできるんですが,何らかの形で「規範」を示さざるを得ないんですよね。私はこういう授業でも時間的な余裕や機会があれば,言語学の規範の考え方や実際に今ある規範がそれほど強固なものではないことについても話をすることにしていますが,授業を受けてる方としては嫌ということも十分ありそうです。そこまで強い反応はありませんが,「そう言われても困るんで正しい表現を教えて下さい」的なコメントはたまにあります。第2言語話者(非母語話者)は第1言語話者(母語話者)よりも規範的に厳しい目で見られることもあるので,その点も悩ましいです。どういうことかというと,母語話者が使っている表現を非母語話者が使うと「○○語ができない」という評価を受けたりするんですね。それなら規範的な表現をきっちり教える方が良いんでしょうか。

ほかの研究者の方のスタンスがどうなのかはあまり分からないのですが,私は「語学の授業をしている間は言語学の研究者ではないから」とまで完全に割り切るのも難しいなと感じていまして。たとえば私が「レポートでは丁寧体にはせず「である」体で書きます」とか説明するのって,レポートや論文の文体研究なんかをする人が将来集めるデータや今後構築されるコーパスに干渉する可能性があるわけですよね。

「完全な中立を貫くのは難しい」から「なら積極的に関わるべき」となるのはこれだけだと飛躍でしょうし,ここまで書いたことだけから今の私の立場を導き出したり正当化できるとは考えていないのですが,研究者としては「できる限り意識的に関わる(あるいは意識した上で関わらない)」というのがポイントなんじゃないかと考えています。意識した上で関わらないというのは変な言い回しに見えますが,「なんで関わらないの?」って聞かれた時にちゃんと答えを返せるということだと思ってください。

専門家が(webで)できそうなことは何か

言語の研究者・専門家と一口に言ってもカバーしている範囲がかなり広く,またかなり個人個人で異なりますので一概には言えませんが,「規範」そのものに直接口出しするには言語学だけでなく社会学や倫理学といった分野の知見も必要かと思います。今回のトピックで言うなら「言語学」にもジェンダーと言語の研究は色々あるんですけどね。

言語学一般で言うとやはり得意なのは言語(と関連事象)に関する事実や資料の提示・整理なので,こういう議論や問題に向き合うなら(今回飯間氏もやっているように)そういう得意なところに貢献するのが良いのではないかと思います。近藤氏の「だんまり」という表現も,良いか悪いかなどの意見を表明しろという意味(だけ)ではなく,何らかの形で関わるのが望ましいというくらいの捉え方が許されるなら,その方がかえって専門家の参入ハードルが下がって良いかなと(下がることが良いことかどうかはまた別に検討が必要な問題)。

あと,研究者や専門家ができる重要な仕事は「本を紹介すること」でしょうか。私がwebで細々と専門家以外にも向けて書き物をしていて感じるのは,本や論文,記事など,専門家が書いたものは思ったより存在そのものが知られていないということです。これは分野による差もありそうですが「読まれない」以前の問題だと思います。なので,ここ数年半ば無理矢理にでも書く記事には読書案内など本の紹介を付けることにしています。

dlit.hatenadiary.com

ブログやSNSなど,webで書くことは本を読んでくれる人以外にも広くリーチするので良いと思うのですが,webはwebで独特の難しさがあるんですよね。良く知られていることとしては,読み手が多種多様(専門の人ばかりではない)とか,広く読んでもらうのが難しく逆に変に炎上してしまうこともあるとか,色々あるんですが,私が専門的な内容について難しいなと思うのは,補足や続編,訂正の読んでもらいにくさです。自分が書いていても感じることですが,ほかの方の書いた記事でも,最初のきっかけになった記事や発言だけがバズってその後のより重要な情報がぜんぜん知られていないということありすぎてほんともったいないなと。仕組みで何とかできるんですかね。

あと長く丁寧に書くと今度は長文は読んでもらえない問題があります。長文だけでなく,Twitterの少し下にあるリプライですら読まれないことも珍しくありません。私は書いた経験だけなら長くなったので「いつか検索で辿り着いて助かる人がいれば良いな」くらいの気持ちで書くことが多いのですがさいきんは検索もそんなに信頼できないみたいな話がありますし,今後どうしましょう。

おわりに

なんか書きたいことだけ散発的に並べただけの記事になってしまいました。問題が難しく悩ましいので大体こうなりそうだと書く前から思っていましたけど。たとえば「言語学の研究者は規範的であってはならない」というのは研究倫理に近い話なのか個人の信念の話なのかとか,規範にぜんぜん関わらないって言っちゃうと危機言語・方言の教科書を作るといった活動はどうするのかとか,「(専門家として)事実を提示するにとどめる」という抑制的な選択をするにしても単なる事実の提示がそれ以上の「意味」や機能を持っちゃうのってそれこそ(自然)言語の避けがたい性質ですよね,とか書いてない気になることはいっぱいあるのですが,もう時間も余力もないのでこの辺りで終わりにします。どなたか私よりもっと詳しい方がまとめたり議論を進めてくれたりすると嬉しいです。

関連記事

dlit.hatenadiary.com dlit.hatenadiary.com dlit.hatenadiary.com dlit.hatenadiary.com dlit.hatenadiary.com