誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

悩んだけれど東京五輪の開催中止の署名をしました

以下の内容はあくまで私個人の考えであって,私が関わるいかなる組織の意見・見解も代表するものではありません。

追記(2021/05/09)

補足を書きました。

dlit.hatenadiary.com

はじめに

色々悩んだのですが,下記の署名をしました。また少なくとも私に関しては署名したことを保証するために記事にもしておきます。

キャンペーン · 人々の命と暮らしを守るために、#東京五輪の開催中止を求めます #StopTokyoOlympic · Change.org

私自身は過去においてもオリンピック・パラリンピックに関わるようなアスリートだったことはなく,身近でそういう人を見てきたということもないので,アスリートの気持ちや見方を代弁したり推測するということはできるだけしたくありません。そもそも,オリンピック・パラリンピックがアスリートにとってどのような位置付けかというのも競技ごとにかなり違うでしょうから,あまり簡単には論じられないように思います。私のスポーツに関する接し方などは,「スポーツ」カテゴリーの記事を読むと少し分かるかもしれません。

ただ,私が勤務している筑波大学にはそれぞれのスポーツにおけるトップクラスのアスリートがかなり在籍していて,授業で関わることもあります。Twitterなどではスポーツに力を入れている学生の問題点について大学教員が愚痴っているのを見たりしますが,私は幸いそういうケースには遭遇していません。もちろんみんなが真面目というわけでもないですが,真面目でない者はスポーツをやっていない学生にもたくさんいますし。むしろ,海外での合宿や試合に参加しながら授業の課題を日本時間の締切に合わせて送ってきたりして驚かされるなんてこともあります。

私がオリンピック・パラリンピックの話題に接するときに思い浮かべるのはメディアに頻繁に取り上げられるようなアスリートよりもそういう学生アスリートたちの大学で課されていることをこなしながら練習や試合に臨んでいる姿で,今回の東京オリンピック・パラリンピックについては無理だろう,止めた方が良いんじゃないかと思いながらなかなか明言するのを躊躇していました。

なぜ反対か

今回上記の署名に参加してかつここにそれを書くことにしたのは,ここまでのオリンピック・パラリンピックに関する各組織の対応を見てアスリートが蔑ろにされているのではないかという強い疑念があるからです(前からあったけれどもより強くなった)。今の状況下の大学で教育や研究に携わっているものとして思うところもあるのですけれども,それについては断片的に書いてきたのでここでは触れません。また,スポーツ以外のものとの比較や社会全体との関連についてもそれほど詳しくないので言及しません。スポーツイベントということだけを考えてもダメではないかということです。

まず,今の状況で予定通りの期間に開催されるとしてアスリートを含め大会の開催・運営に関わる人たちの安全が保証されていないように見えます。昨年から時々指摘も見かけてきたのですが,パラリンピックに参加する人たちについての(特に医療面に関する)サポートは大丈夫なのでしょうか。世界を見ると状況が好転している国・地域も悪化している国・地域もあるようですが,そもそもどれくらい海外からの参加が可能なのでしょうか。今の状況で,来日した人たちを十分にサポートする体制は問題ないのでしょうか。もう「これから頑張る」「本気を出せばなんとかなる」と言える時期ではないと思います。

また,ここ数日(特定の)アスリート個人の動向がにわかに話題になっているように見えますが,大会の運営に関わる組織,各競技の協会などはどれくらいアスリートをサポートできているでしょうか。私自身はアスリート個人個人が自由に競技のことに限らずいろいろ発言できる社会が望ましいと思いますが,もしそれが難しい状況だとしたら何らかの組織として情報を発信したり説明したり立場や考えを表明するということが(もっと)必要なのではないでしょうか。

最後にもう1つ私が危惧していることとして,オリンピック・パラリンピックが開催されるとその存在が大きすぎるために「オリンピック・パラリンピックできたんだから良いじゃん」となってかえってアスリートが顧みられなくなるのではということがあります。たとえば政府などから「あれだけ無理してオリンピック・パラリンピックやってやったんだから」となって支援が打ち切られるというようなことは起きないでしょうか。

アスリートやスポーツの立ち位置

上に書いたような事情がありつつ,つまり,自らの身は危険にさらされ,批判などへの矢面に立たされながらも,オリンピック・パラリンピックには参加するという選択肢しかないという状況に置かれているアスリートが実はけっこういるのではないかという心配があります。

大人なら自分で参加するかしないかを判断できるでしょと思う人もいるかもしれませんが,スポーツ以外の場面でも状況や他人が(暗に)許さないことってたくさんありますよね。オリンピック・パラリンピックに出る(可能性がある)ようなトップアスリートはこどもの頃からやっていることが多いでしょうから,こどもが本当に主体的にそのスポーツに関わっているのかという問題や,種々のハラスメント(があっても抜け出せない)問題もあるでしょう。

ここから先の話は専門の方の解説を読んでみたいところなのですが,オリンピック・パラリンピックへの参加がアスリートにとって避けがたい非常に大きな存在だとして,そもそもこういう4年に1度というイベントにアスリート人生が大きく左右されてしまうということ自体が問題ではないのでしょうか。ただここには私がテニスや野球といったある程度プロスポーツとして確立されているものに触れることが多いことから来るバイアスがあるかもしれません。

大会そのものだけではなく,オリンピック・パラリンピックが開催されるということで,多くのスポーツの普及に関する取り組みが進んでいることもある程度は知っています。ただもしオリンピック・パラリンピックに関連させるから十分な予算が取れるということがあるのだとすると継続的なスポーツ振興などにはつながりにくいような気がするのですがどうなんでしょうか(オリンピック・パラリンピックはさすがに支援のスパンがかなり長いかな)。

「スポーツ行政」というようなワードを聞くとスポーツに直接はあまり触れていない,あるいはスポーツを嫌いな人はどうでも良いと思うかもしれませんが,たとえばスポーツをする場所や施設がもっと確保・整備されていればときどき話題として挙がってくる公園の利用を巡るトラブルみたいな問題にももう少し良い道があるのではないでしょうか。もちろん,場所と予算の問題が大きそうではあります。

おわりに

もうすでにいろいろあるのかもしれませんが,この辺りの問題について,スポーツに関わっている専門の方の説明や解説が個人的にはもっと読んでみたいです。私のゼミではスポーツの現場での言語・コミュニケーションを取り上げるゼミ生が時々いるので一緒にいくつかスポーツとメディアや言語の関係に関する文献は読んだことがありますが,やはり今回はかなり独特な事情が関係していますので。

私はスポーツが(も)好きなので,これからも継続してスポーツを楽しみたいのです。そのために今回の東京オリンピック・パラリンピックはやめて,それでもスポーツとアスリートが尊重される社会になってほしいと思うのですが,それは無理なのでしょうか。

追記(2021/05/08)

上記の署名の発信者である宇都宮けんじ氏からもアスリートに責任を負わせすぎないようにという呼びかけがあったのではっておきます。