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歯切れが悪いのは仕様です。

文転?の思い出

はじめに

zu2さんのはてブ経由で沖縄県立球陽高校の学科統合のニュースを知りました。私はこの高校の理数科の卒業生です(1998年3月卒業、7期生)。というわけで、記録も兼ねた自分語りの記事を書くことにしました。

球陽高、理数科と英語科を「文理探究科」へ統合 理系・文系の対応は2年生から 学科と進路のミスマッチ改善へ | 沖縄タイムス+プラス

進学先は筑波大学の日本語・日本文化学類でしたから記事でも触れられている「学科と進路希望とのミスマッチ」のケースに当たります。

当時も理数科に来たのだから理数系のところに進学しなければならないという雰囲気のようなものはそれほどなかったように記憶しています(私が鈍感だっただけかも)。実は筑波大の体育専門学群への進学も検討していたのですが、体育の方が運動生理学とか動作解析とかあって「理系」っぽい感じがしますよね。

ちなみにどこかで書いたかもしれませんが、高校へも大学へも推薦入試で合格したのでペーパーテストの結果で合否が決まるのを体験したのは大学院入試が最初の体験でした。

数学の思い出

球陽高校の理数科を受けることにした理由として、明確な理数系への志向というのはなかったように思います。ただ学校説明会での理科(正確な担当教科は忘れました)の先生の話が面白くて興味を持ったのは今でも覚えています。

高校の頃は教科として数学の成績が悪いということもなく、理科も特に苦手というものはなかったです。一番成績が良くなかったのはむしろ英語でした。英語は高校以降、自信を持てた時期がまったくなく、今も苦手意識しかありません。

「文転」はもう2年生の時には可能性として考えていたものの、数学自体は楽しかったので(受験には使わない)数Ⅲにも真面目に取り組みましたし、確か当時は選択科目だった数Cもやりました。行列けっこう楽しかったですよ。あと理科の科目としては生物を選んだのですが、数学が苦手でなかったからか遺伝についてはけっこう難しい問題も解けたりしました。

ただ、当時難関校挑戦組がチャレンジしている数学の問題なんかには歯が立たず、定期テストなどの点が悪いわけではないものの数学に関する自分の能力にはかなり限界を実感していたというのをよく覚えています。

数学が楽しく、また好きなままでいられたというのはけっこう教員の存在が大きかったのではないかという気がします。数学は楽しい、という感じが伝わってくるのに押しつけがましくはなく、数学以外の、たとえば生活面なんかについての話なんかも信頼できる先生でした。こういう思い出を辿るたびに勉強・学問でもスポーツでもほんとうに師に恵まれたなと思います。

おわりに:言語学へ

なんで「文転」したかの理由について書いてませんでした。私は日本語・日本文化学類に入学した後に日本語教育・日本語教師を知ったという不届き者でして、何を目指していたかというと、実は国語の教員でした。

私が言語学に本格的にはまったのは学部3年生の時で、その時の動機は「科学」に関わることがやってみたいというものでしたからなんとも変な回り道をしたものです。ちなみに、この時は別に生成文法をやりたくなったわけではなく、生成文法に本格的に取り組むのは大学院入学後です。こうやって思い出すとなんだかいつも少しずれてんなという感じがします。

理数系の勉強が苦手でも嫌いでもなかったことは、言語学の道に進んでからもずいぶん自分を助けてくれているなと思います。自分ではそれほど使う方ではありませんが、論文を読むために知識が必要だったりしますしね。そもそも高校の時は数学自体けっこう好きだったので受験で使わなくても損したというようなことは一切思いませんでしたが、こんな形で付き合うようになるとは予想できませんでした(そもそも高校生の頃は言語学自体知りませんでしたが…)。

入試科目とか昨今の話題で「文理」に関係しそうなものはいろいろありますが、私からなにか新しい視点とか情報とかを提供できることはあまり思いつきませんので、思い出話だけにしておきます。

と言いつつ最後に1つだけ書いておくと、自分の観測範囲では人文系の、特に若手研究者(院生含む)には数理的なアプローチなどを使っておもしろいことをやっている人も少なくありませんし、数学やプログラミングなどにどんどんチャレンジする人文系の学部生もいますから、雑な対立煽りや一部のベテラン研究者のケンカなんかがそういう人たちへの悪影響にならないと良いなと思います。