誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

「言葉(だけ)でのやりとりって無意味/無駄だよね」みたいな言い方について

 各論というか詳論を考えていたらきりが無くなってきたので、いい加減僕の考え方の大枠だけでも示しておきます。これじゃいつまでたってももやもやし続けるだけなので。
※なんというかここでトラバを送る方々にとっては「今更エントリ」だと思いますが、言及する際には基本的にトラバを送る方針なので…驚かせてしまうかもです*1。そして時間を置いた割にはまとまってないです...orz

言及対象

 これまで二回ほど書いたとおり、直接のきっかけはGenさんの以下のエントリを読んだからなのですが、

追記されたエントリを読んで、具体的に細かい点まで取り上げて言及する意欲がなんだか失せてしまったので、このエントリではタイトルに掲げたような、

  • 言葉(だけ)でのやりとりって無意味/無駄だよね

というようなネットでもしばしば見かけるような言い方に対象を単純化して自分の意見を書いておきます*2。ちなみに、僕はコミュニケーション論とか情報理論などの専門家ではないので、あくまで一素人の意見として、こういう問題について気になってる方々への何らかのきっかけ、刺激を提供できれば良いなと思います。

言葉以外の情報もあればすぐだよ

 こういう議論で常に出てくるのが、「リアルで面と向かって喋ればすぐに理解できることなのに」というような言い方です。
 確かに、面と向かってのコミュニケーションでは、言葉のみのやりとりに比べて、取り扱える、というか飛び交う情報が圧倒的に増えます。それがコミュニケーションを素早く進める大きな助けになることも(多くの場面で)間違い無いでしょう*3
 では、そのようなコミュニケーションが「理解という点で上手くいっている」ということはどのようにして確かめれば良いのでしょうか。目と目が合って、お互い、確かに「分かっている」と感じたから?そういう形でのコミュニケーションが成り立ち、正しく情報が伝わることがある、ということについては否定しません。僕にも経験があることですし。しかし、それが例えば「(お互い)理解したことにしておいて、ひとまずやりとりを打ち切る」というようなストラテジーを選んだのではない、ということはどのようにして保証されるのでしょうか。
 それを確かめるためには、やはり明示的な言葉を用いたコミュニケーションを用いるのが最良の道の一つなのではないかと思います(「え、本当に分かったの?じゃあ分かったことをちょっと言ってみて」)。もちろん、この場合にも言葉以外の手段を用いてはいけない、というわけではありませんし、その後の行動によって間接的に確かめられるような場合もあるでしょうけれど*4
 リアルでのコミュニケーションは確かに速いです。しかし、速いということは正しいということを論理的には保証しません。もちろん、内容が濃くなるわけですから”条件さえ揃えば”正確なコミュニケーションにつながりやすい、つまりどちらかがあきらめる前に目標が達成される可能性が高い、のかもしれませんが。

一般化なのか戦略なのか

 これは理系文系論や男/女って〜のような議論でも気になることなのですが、例えばここで取り上げている「言葉でのコミュニケーションなんて(ある意味)ムダ」のような言い方は一般化された言明(全ての〜は〜である)なのか、個人的な戦略(私はこう思うからこう行動するよ)なのか、どちらなのでしょう。
 そこをどう捉えるかによって(はてブなどでの)反応が違っているようにも感じます。一般的な言明として捉える人ってどれぐらいの割合でいるのかなあ…とりあえず戦略として捉えておくと、それに関して僕が書きたいようなことは実はすでに以下のエントリなどで書かれました。

重要だと思うのは、いきなり諦めてるんじゃなくて、最初にコミュニケーションができそうかどうかぐらいは探っても良いんじゃ、というところ。もちろん、それにどれぐらいの労力を割くのかは人それぞれだと思いますが。また、以下のエントリも参考になります。

ちなみに僕はこのエントリにかなり共感しました。まあ戦略の選択は個人の自由なんですけど、「(大抵の場合)ネットでのコミュニケーションなんてムダ」なんて言っちゃうのはネットで発言する者としては結構リスキーだよなあ、と思うのですけどね*5。まあ、(実質)言いっぱなしの人も結構いるか…
 で、僕はこのエントリでも書いたとおり、コミュニケーションについては「それでもなんとかやっていくしかない」教信者なのですが、それって別に特別なことじゃないと思うのですよね。別にネットに限ったことではなく(もちろんネットでも)、日常生活の様々な場面で、みんな言葉の不自由さやコミュニケーションの難しさを感じながら、時には絶望しながらも「なんとかやっている」んだと思います。
 だからこそ、こういう言明は反響を呼ぶのだと思います。それが「そんな簡単に諦めて済む問題だったら苦労しないんだよ」というような反発で現れることもあれば、「そうそう、やっぱりそう感じるよね、よくぞ言ってくれた」というような共感の表明で現れることもある、というような違いはあるようですが。
 そういうわけで、一般化された言明として捉えられるような場合も、主張としては非常に脆いものであるにも関わらず(反例を出されただけで反論が成立してしまいますから)、一種のガス抜きとして受け入れられる場合もあるのかなあ、なんて思います。誰だって常に舞台に上がり続けるわけではないですし、ある特定の舞台には二度と上がらないことを決心することもあるでしょう。ただ、多くの人がその「降りる」際にあまり捨て台詞を残さず静かに降りる、ということだと捉えているのですが、そういう人たちの溜飲を下げる、というような効果もあるのかもしれません。
 具体的な問題は、それぞれの経験や知識を生かして上手くコストをかけないようにやりくりできるようになるまでに大抵ある程度のトレーニングが必要、というところなんだと思うのですが、もしかして大人になってまたある種のコミュニケーションスキルについて初心者からやり直す、という点もこういう「ネットでのやりとりなんて〜」系の感想を持つ理由の一つなのかなあ、なんてことも思ったり。

おわりに

 相変わらずまとまってなくてすいません。
 実は、ちょっと気になったのは、Genさんのエントリに対する反応であった上で紹介した三つのエントリのブクマ数が少ないことでした。もちろん、ブクマ数が少ないからといって多く読まれていないということには必ずしもならないと思いますが、できれば「そうそう、そうなんだよね」と溜飲を下げたような方も、ここで挙げた各エントリを読んでもらえたらなあ、と思います。というわけでこのエントリの目的の半分は紹介なのでした。戦略に関しては以下のエントリもぜひ↓

*1:やっぱりもっと早く書いておけば良かったかな。

*2:まあGenさんの元記事なんかは「ネット上で」となっているわけですが、その理由として「言葉しか使えない」ということが主に挙げられていますので。

*3:実際にはそれが逆にコミュニケーションを阻害する原因になることもあると考えています。

*4:間接的に、と書いたのは、コミュニケーションの結果と行動の結びつきが偶然である可能性もあると考えるからです。

*5:それがまた結構高評価を受けている向きもあるので、面白いです。