誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

悩んだけれど東京五輪の開催中止の署名をしました

以下の内容はあくまで私個人の考えであって,私が関わるいかなる組織の意見・見解も代表するものではありません。

はじめに

色々悩んだのですが,下記の署名をしました。また少なくとも私に関しては署名したことを保証するために記事にもしておきます。

キャンペーン · 人々の命と暮らしを守るために、#東京五輪の開催中止を求めます #StopTokyoOlympic · Change.org

私自身は過去においてもオリンピック・パラリンピックに関わるようなアスリートだったことはなく,身近でそういう人を見てきたということもないので,アスリートの気持ちや見方を代弁したり推測するということはできるだけしたくありません。そもそも,オリンピック・パラリンピックがアスリートにとってどのような位置付けかというのも競技ごとにかなり違うでしょうから,あまり簡単には論じられないように思います。私のスポーツに関する接し方などは,「スポーツ」カテゴリーの記事を読むと少し分かるかもしれません。

ただ,私が勤務している筑波大学にはそれぞれのスポーツにおけるトップクラスのアスリートがかなり在籍していて,授業で関わることもあります。Twitterなどではスポーツに力を入れている学生の問題点について大学教員が愚痴っているのを見たりしますが,私は幸いそういうケースには遭遇していません。もちろんみんなが真面目というわけでもないですが,真面目でない者はスポーツをやっていない学生にもたくさんいますし。むしろ,海外での合宿や試合に参加しながら授業の課題を日本時間の締切に合わせて送ってきたりして驚かされるなんてこともあります。

私がオリンピック・パラリンピックの話題に接するときに思い浮かべるのはメディアに頻繁に取り上げられるようなアスリートよりもそういう学生アスリートたちの大学で課されていることをこなしながら練習や試合に臨んでいる姿で,今回の東京オリンピック・パラリンピックについては無理だろう,止めた方が良いんじゃないかと思いながらなかなか明言するのを躊躇していました。

なぜ反対か

今回上記の署名に参加してかつここにそれを書くことにしたのは,ここまでのオリンピック・パラリンピックに関する各組織の対応を見てアスリートが蔑ろにされているのではないかという強い疑念があるからです(前からあったけれどもより強くなった)。今の状況下の大学で教育や研究に携わっているものとして思うところもあるのですけれども,それについては断片的に書いてきたのでここでは触れません。また,スポーツ以外のものとの比較や社会全体との関連についてもそれほど詳しくないので言及しません。スポーツイベントということだけを考えてもダメではないかということです。

まず,今の状況で予定通りの期間に開催されるとしてアスリートを含め大会の開催・運営に関わる人たちの安全が保証されていないように見えます。昨年から時々指摘も見かけてきたのですが,パラリンピックに参加する人たちについての(特に医療面に関する)サポートは大丈夫なのでしょうか。世界を見ると状況が好転している国・地域も悪化している国・地域もあるようですが,そもそもどれくらい海外からの参加が可能なのでしょうか。今の状況で,来日した人たちを十分にサポートする体制は問題ないのでしょうか。もう「これから頑張る」「本気を出せばなんとかなる」と言える時期ではないと思います。

また,ここ数日(特定の)アスリート個人の動向がにわかに話題になっているように見えますが,大会の運営に関わる組織,各競技の協会などはどれくらいアスリートをサポートできているでしょうか。私自身はアスリート個人個人が自由に競技のことに限らずいろいろ発言できる社会が望ましいと思いますが,もしそれが難しい状況だとしたら何らかの組織として情報を発信したり説明したり立場や考えを表明するということが(もっと)必要なのではないでしょうか。

最後にもう1つ私が危惧していることとして,オリンピック・パラリンピックが開催されるとその存在が大きすぎるために「オリンピック・パラリンピックできたんだから良いじゃん」となってかえってアスリートが顧みられなくなるのではということがあります。たとえば政府などから「あれだけ無理してオリンピック・パラリンピックやってやったんだから」となって支援が打ち切られるというようなことは起きないでしょうか。

アスリートやスポーツの立ち位置

上に書いたような事情がありつつ,つまり,自らの身は危険にさらされ,批判などへの矢面に立たされながらも,オリンピック・パラリンピックには参加するという選択肢しかないという状況に置かれているアスリートが実はけっこういるのではないかという心配があります。

大人なら自分で参加するかしないかを判断できるでしょと思う人もいるかもしれませんが,スポーツ以外の場面でも状況や他人が(暗に)許さないことってたくさんありますよね。オリンピック・パラリンピックに出る(可能性がある)ようなトップアスリートはこどもの頃からやっていることが多いでしょうから,こどもが本当に主体的にそのスポーツに関わっているのかという問題や,種々のハラスメント(があっても抜け出せない)問題もあるでしょう。

ここから先の話は専門の方の解説を読んでみたいところなのですが,オリンピック・パラリンピックへの参加がアスリートにとって避けがたい非常に大きな存在だとして,そもそもこういう4年に1度というイベントにアスリート人生が大きく左右されてしまうということ自体が問題ではないのでしょうか。ただここには私がテニスや野球といったある程度プロスポーツとして確立されているものに触れることが多いことから来るバイアスがあるかもしれません。

大会そのものだけではなく,オリンピック・パラリンピックが開催されるということで,多くのスポーツの普及に関する取り組みが進んでいることもある程度は知っています。ただもしオリンピック・パラリンピックに関連させるから十分な予算が取れるということがあるのだとすると継続的なスポーツ振興などにはつながりにくいような気がするのですがどうなんでしょうか(オリンピック・パラリンピックはさすがに支援のスパンがかなり長いかな)。

「スポーツ行政」というようなワードを聞くとスポーツに直接はあまり触れていない,あるいはスポーツを嫌いな人はどうでも良いと思うかもしれませんが,たとえばスポーツをする場所や施設がもっと確保・整備されていればときどき話題として挙がってくる公園の利用を巡るトラブルみたいな問題にももう少し良い道があるのではないでしょうか。もちろん,場所と予算の問題が大きそうではあります。

おわりに

もうすでにいろいろあるのかもしれませんが,この辺りの問題について,スポーツに関わっている専門の方の説明や解説が個人的にはもっと読んでみたいです。私のゼミではスポーツの現場での言語・コミュニケーションを取り上げるゼミ生が時々いるので一緒にいくつかスポーツとメディアや言語の関係に関する文献は読んだことがありますが,やはり今回はかなり独特な事情が関係していますので。

私はスポーツが(も)好きなので,これからも継続してスポーツを楽しみたいのです。そのために今回の東京オリンピック・パラリンピックはやめて,それでもスポーツとアスリートが尊重される社会になってほしいと思うのですが,それは無理なのでしょうか。

追記(2021/05/08)

上記の署名の発信者である宇都宮けんじ氏からもアスリートに責任を負わせすぎないようにという呼びかけがあったのではっておきます。

でも書いても読まないしブクマしても後で参照しないよね

被ブクマがのびやすくなったという実感はないのですけれど,SmartNewsなどのメディアに言及された方がアクセスが増えるという実感はここ数年あります。

www.tyoshiki.com

で,週刊はてなブログの記事を書いた時にほかの方々が書いた同シリーズの記事とその反応,

blog.hatenablog.com

あとほかのブログ論に関する記事なんかも読んだんですけど,「結局ちゃんとした内容のある記事を書くのが重要」みたいな反応がある程度ありました。でも上の記事でもやや愚痴っているように,ちゃんと書いても(むしろちゃんと書いたものほど)読まれないというのがここしばらくの書き手としての実感です。

自分が書いたものでさいきんの印象に残っているものとして,たとえば専門に関するものでは下記の記事。

dlit.hatenadiary.com

近いところだと下記のまとめ辺りが盛り上がっていたので書いたんですが,以前から似たような話題が定期的に出ていたので,調べてみたい人のスタートポイントになればいいなと思ってほかの記事よりは時間をかけて調べました(自分が気になっていたこともあり)。でも被ブクマ20くらいですし,特にどこかで言及されてアクセスが多かったということもありません。

togetter.com

自分としては次に同じ話題が出たときに「こういうの書いたよ」って宣伝できるから良いんですけど,たぶん次に同じような話題が出ても参照してくれる人はいないでしょう。

専門ではない記事では次のもの。

dlit.hatenadiary.com

この時はメディアに差別問題とマスクと話がよく取り上げられていて,そういう記事に「もっとテニスの話を」みたいな反応もあったのですけれど,私の記事は置いておくとしても結局あまりそっち方面の話題は盛り上がらなかったような記憶があります。メディアも試合結果とマスクの話ばかりで。

両方とも個別の反応としては今でも記憶に残っているくらい嬉しいものもあったので書き手としては良かったかなと思うのですけれど。ブログを始めた頃から「結局読まないでしょ」って思わされる体験は定期的にありましたが,さいきん頻度が上がってる気がします(単に年を取っただけかもしれません)。自分も読み手としてはそういうところあると思うので,あまり偉そうなことは言えないんですけどね。

はてなブックマークが保存に使いにくいというのは同意です。私はコメントを付ける,ほかの人の反応を見る,短期保存用としてしか使っていません。でも良い記事との出会いは「総合」じゃなくて個別のカテゴリーの新着を見るだけでもけっこうありますよ。あとやっぱり「お気に入り」が大事。

自分もはてブのコメントやTwitterで専門に関する記事ではもっと「これは良い記事だ」って紹介した方が良いかな。ある程度はやってるつもりですがコメント付けずにブクマ,RTになっちゃうことも少なくなく。

文章にお金を払うことと投げ銭

なんで投げ銭?

昨日の記事にそもそもなんで投げ銭機能を付けたかって話を書くのを忘れていました。

dlit.hatenadiary.com

まずお金はほしいですよ。いくらでも。ただ今回採用した投げ銭に具体的な収入の希望を持っているかというとそれはあまりないです。そもそもそんなにアクセス数もないブログですし。

ここ数年,webで誰かを応援する仕組みってもっと選択肢があって良いよなと思うようになりました。自分については週刊はてなブログに寄稿した記事でも時間をかけて書いた割に読まれないことがあるって話を少し書きましたが,他の人の記事についてもこれ良い記事,良い文章なのに結局読まれてないなってのがけっこうあって。はてブしたりTwitterに流したりしてもなかなかその後続かなかったり(じゃあバズれば幸せなのかというとまた難しいところではあります)。webだと公開された直後に読まれないとその後埋もれちゃうことが多くないですか。

そこで応援の1つとして今後投げ銭のような「お金を払う」ことがもっと気軽にできるようになると良いんじゃないかなと。YouTubeなんかを見るとお金が絡み出すといろいろ問題も出てくるんだろうなとは思うんですが,ブログについてはまだ多くの人が試してみるような段階ではないでしょうか。

webにあるオープンであることの思想って好きで,できるだけオープンにする手段の1つとして(も)「無料」ってことがあるんだと思うんですが,どうもさいきん「無料であること」にフォーカスされすぎてるような気がしていて(もちろん無料であることの理由はほかにもいろいろあると思います)。収益を上げることを優先するならclosedなコミュニティ(サロンとか)を作るのが良いのでしょうけれど,そういうスタイルと「無料」の間に色んな段階がほしいという感じです。

ほかのところで収入や収益が確保されていて何を気兼ねする必要もなく何かが無料であるならそれは素晴らしいのかもしれませんが,現状ではあまりそういうことはないですよね。

ほんとうに無料でかつ良いものは色々ありますし,そういうものが提供される環境や場があることは素晴らしいです。それに助けられる,助けられている人もたくさんいるでしょう(もちろん私もその中の1人)。それでも,「無料が当たり前」「無料にせざるを得ない」という方に流れてはほしくないなと思います。でも結局選択肢としてあるだけだとみんな無料の方を選んじゃいますかね。

今回はブログの話で私自身も研究者なので文章の話をしていますが,ほかの,人によって生み出されるものの多くに関係してくる話であり,別にweb限定の話でもなく古典的な問題の1つかなとも思いますけれども,さいきんのトレンドはどの辺りのあるのでしょうか。

おまけ:新聞とか

ちょっと話がずれるんですが,新聞とかのメディアでも記事や記者への投げ銭機能とか個別の記事の購入制度とか作ってくれないかなと思うことが多いです(もうあるんでしょうか)。有料会員になってる新聞もあるんですが,何紙分も払うお金は厳しく。でも,少なくともこの記事にはお金払いたいってことけっこうあるんですよね。売る方としては割に合わないということなのかもしれませんけれども。