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歯切れが悪いのは仕様です。

パラオにおける日本語に関する補足:今村・ロング (2019) の確認だけ

先週末から今週前半は集中講義のために神戸市外大に行っていて、そちらにかかりっきりだったので、まつーらさんの記事に昨日気付いた。

「25%が日本語由来」とか言語学者だったら言わなさそう|まつーらとしお

記事中で言及されている今村・ロング (2019) は借用・外来語(語彙層)の研究をしている関係で購入済みだったので、簡単に確認してみた。

パラオにおける日本語の諸相 今村圭介、ダニエル・ロング著

パラオ語における日本語由来の語彙の割合・比率について、購入時にざっと読んだ際に書かれていたかどうか思い出せなかったのだが、今回改めて読んでみてもそのような記述は見つからなかった。下記のような存在感に関する記述がある程度。

900語を超える日本語借用語がパラオ語に見られ語彙体系の一部として重要な機能をなしている。戦後70年たった現在、パラオ社会全体の変化や日本語を理解する世代の急激な減少により、使用される日本語借用語の数が減少するとともに、いくつかの借用語の意味や音に変化が起きている。(今村・ロング 2019: 113)

「900語を超える日本語借用語」という数はまつーらさんも紹介している下記の辞典の項目数ともほぼ同じ(完全に一致しているかどうかは未確認)。

A Dictionary of Japanese Loanwords in Palauan

なぜこれくらいの数になったかについては、本書の研究とも深く関わるところで明確かつ詳細な記述がある。この900-1,000(弱)という数自体は本書にたびたび登場するが、パラオ語の語彙における割合・比率に関する情報は見つけられなかった。もちろん私が見落としていたり、他の文献では言及がある可能性はある。

本書の巻末にも「付録 日本語借用語一覧」という資料が付いており、上記の辞書とは違って、話者による使用・認知の度合いの情報がそれぞれの語について付されている。たとえば"bakking"(罰金)は、『ツカレナオース!』の方のAmazonページの紹介画像中でも取り上げられていて上記の辞書にも項目はあるが、「一部に認知されるが使用されない」となっている(今村・ロング 2019: 188)。

「第9章 アンガウル州の公用語としての日本語」に気になる一節があったので引用して紹介しておく(具体例は挙げられていない)。

「パラオで日本語が公用語となっている」という話題は、一般人の間にも関心が高く、インターネットの書き込みなどを中心によく聞かれることがある。しかし、完全に間違っている情報から、誤解を招く情報まで様々な不適切なものがある。(今村・ロング 2019: 99)

本書で取り扱っているトピックは、日本語からの借用語(語彙)だけでなく文法、表記、教育、法、接触言語など多岐に渡り、特に借用、外来語、言語接触に興味がある人にとってはどの言語を専門にしているかに関わらず大変参考になる研究であるという印象を改めて持った。

九州・沖縄地区でのテニスの思い出

沖縄への帰省がきっかけで、小学校から大学までやっていたテニスの話題がちょこちょこ出てなつかしくなったのでちょっと思い出話。

しかし親と子の夏休み(のうち長期で出かけられる時間)を合わせるのが年々難しくなっていて、慌ただしい帰省になった。なかなか頻繁には帰れないので帰るときは少しゆっくりしたいのだけれど。

先日終了したインターハイのテニス競技の女子ダブルスで沖縄尚学のペアが優勝した。おめでとうございます。沖縄尚学は団体戦でも準優勝。さいきんはずっと全国レベルでも強いので驚きというほどではないけれども、やっぱり優勝はすごい。ちなみに男子の方も沖縄尚学が代表で出ていて、早いラウンドで負けたけど相手が優勝した湘南工科大学附属なので仕方ないところ。

男子テニスでは柳川(福岡)が有名だと思うけれども、ここ数年は大分舞鶴(大分)や佐土原(宮崎)などほかの九州勢も全国大会で勝ち進むことが多く、九州・沖縄地区になじみがある者としては嬉しくなる。大分舞鶴や佐土原は自分が高校生の頃も県代表としてはいつも出てくる高校だったので親近感があるというか。そういえば大分舞鶴には選抜の九州大会で負けてそれで全国に行けなかったんだった。ほかには龍谷(佐賀)、鎮西(熊本)の名前をよく覚えている。女子も沖縄尚学のほかにも鳳凰(鹿児島)とかさいきん強かった気がする。

ところでスコアを見てみると、さいきんはインターハイ本戦でも準決勝まで8ゲームマッチ、決勝だけ3セットマッチという形のようだ。自分が高校生の頃(1995-1997年度)は1回戦だけ6ゲームマッチで2回戦から3セットマッチだったと記憶している。どういう経緯で変わってたのかは分からないけれど、さいきんは暑さの問題もあるので競技者にとっては良さそうだ。プロもいろんな形で競技時間があまり長くなり過ぎないように変わってきてるし。今年のウィンブルドンも暑くて大変だったんだっけ。数年しか歳が離れていない弟に話を聞いたら、その世代ではすでに準々決勝か準決勝の前くらいまで8ゲームマッチだったと言っていたので、コロナ禍や暑さの問題で急に変わったということではなさそうだ。

沖縄は日差しはやはり強く、あんな太陽の下で、しかもコートの照り返しも厳しかったりする中で、よくテニスなんかできていたものだと思う(1回だけ試合中に熱中症になったことがある)。

ブログとかSNSとかさいきんの雑感

はじめに

あまり更新しない割にはブログ論に関することは定期的に書いている。今回下記の記事周りのやりとりが面白かったので自分もちょっとだけ。

他人のブログの感想をもっと気軽に書きたい。 - 世界のねじを巻くブログ

ちなみにねじまきさんは私が個人サイトを作成するきっかけをくれた人の1人だ。

以下、それぞれのトピックにあまり関係がないものもある上に、ほとんど自分がこれまで書いたこと、考えたことの整理なので、読むときは注意してください。

トラックバック

ブログを書いていると、けっこう時間が経ってから言及に気付くことがある(はてなブログからの言及はお知らせがあるので気付きやすい)。こんな時にトラックバックは便利だったなということを思い出す。

気になって、改めてちょっと調べてみたけれども、スパムとかの問題でどうにもならなかったような感じなので(日本語圏に限らず)、維持は難しかったのかな。

ただ言及や引用が嬉しい人ってどれくらいいるんだろうと思うことはある。私は研究者なので基本的には批判的なものであっても言及や引用があると嬉しい。まあでも限度というか表現の問題はあるかな。

生成AIと検索

自分への言及もさいきんはエゴサしてもなかなかうまく見つけられないことがある気がする。

自分が知りたい情報、読みたい記事についてもそうで、検索もなかなかうまく機能しないことが珍しくない今、生成AIには「探す」ことを補ってくれる役割を期待している。

もちろん、生成AIにも気をつけて付き合わないといけないところがあるのは承知の上で、専門/職業上はいろいろ心配なこともある。

NHKの生成AIに関する放送・記事への補足 - 誰がログ

一方でユーザーとしては検索をうまく補完してくれるのではないかという期待もあるので、自分がwebで書いたものは生成AIに拾ってもらえる方が嬉しい(これはもちろん人によって違うだろう)。

はてなブログに生成AIから読めるかどうかの設定ができていた - 誰がログ

特に私が書く専門に関する内容は、ほとんどの人には関係ないだろうけれど、自分で調べるとなるとかなり大変なもの(あるいは専門のトレーニングを受けていないとたどり着けないもの)も多いので、数少ない必要な人が探したときには的確に届いてほしい。

note

以前、noteはブログとは異なるような立ち位置を確立したのがうまいというようなことを書いた。

noteがうまいなあと思うのは「noteはブログじゃない」っていう立ち位置(実際どうかというのとはまた別の話)。選ぶときも「noteにするかブログにするか」みたいな感じだし,はじめる人も「noteでブログをはじめました」じゃなくて「noteをはじめました」って言う。
学術的な文章を書く場としてのはてなとnote - 誰がログ

実際、noteは仕組みとしてはブログだけでなくいろいろなことができるプラットフォームのようなサービスだとは思うのだけれど、使い方としてはブログサービスのように使っている人も多いように思う。

自分も閲覧に便利なのでアカウントは作ってあるけれど、記事はほとんど書いてない。今や知り合いのユーザー数では最大のサービスなので、個人サイトの宣伝などをするのは良いかもしれない。

RSS

はてなブログもnoteもそれぞれのサービス内での新着記事を読むのには便利なのだけれど、やっぱりサービス横断的にサイトや記事をチェックしたり読んだりするサービスがほしい。

RSSは自分にとって常に放浪させられ続けているサービスではないかと思う。はてなRSSがなくなり、その後のGoogle Readerもなくなり。FeedlyやInoreaderなどのサービスは無料プランでの登録フィード数の制限が厳しく。

個人サイトを運用しているサーバーにTiny Tiny RSSなどのセルフホスト型を入れるのもちょっと試してみたのだけれどどうもしっくりこなくて、結局Fiery Feedsというアプリの有料プラン(年額1,210円)を使って、ローカルのフィードをiCloud経由で同期している。さいきんはほぼApple製品がメインなのでデバイス間同期についてはある程度割り切ることにした。Fiery Feesは今のサブスクリプション制に移行する前に使っていた次期があり、その頃から高機能だった。今でもやはりいろいろできて便利だ。

たとえばSpringerなどのサイトもRSSを提供しているので、論文の新着情報辺りも一緒にチェックできる。モバイルだと共有が豊富なのでそのままZoteroに論文を登録したり。

Obsidianからはてなブログへ

書き手としては、Obsidianで下書きをしてプラグイン経由ではてなブログに投稿するというやり方ができるようになって、かなり楽に書けるようになった。

やり方は下記の記事にまとめたのでよければどうぞ、

Obsidianの下書きをはてなブログに投稿する手順(テンプレートの例付き) - 誰がログ

もちろんこの記事もこの方法で書いていて、長くて言及や引用が多くなる記事ほど便利さが実感できる。

どれくらい長いものを書きたいか

ところで、長い文章を書きたい人ってどれくらいいるんだろう。自分もこの記事を書き始めるときはちょっと億劫だったので「書きたい」ことと「書く」「書ける」ことは違うというのはもちろん前提とした上で(ちなみにこの節タイトルはわざと曖昧 (ambiguous) になるように「どれくらい」を配置してある。)。

「短いブログ」としてのTwitterから「長いTwitter」としてのブログへ、そして - 誰がログ

先日デジタルコミュニケーション研究会で「マイクロブログを対象にした日本語研究の可能性:XからBlueskyへ」という研究発表をした。

デジタルコミュニケーション研究会の発表資料を公開しました - 誰がログ

この資料には載せていないのだけれど、Blueskyの日本語投稿データの文長(1ポストに含まれる語数)を算出してみたところ、Blueskyは日本語でも300字書けるのにもかかわらず中央値はTwitterに関する先行研究とそれほど差がないようだった。平均値はやや大きい感じだったので、一部の長い投稿が平均値を押し上げているということかな。でもまだちゃんとした分析はしてない。

X(前Twitter)は今有料プラン会員だとかなりの長文投稿が可能だけれど、どれくらい書かれているか/読まれているかというのはまた別の問題で、長いものが書ける場や機能があっても実際に長いものが書かれるかどうかは分からない。

おわりに

私自身は、多くの人にガンガン書きまくってほしいという願望はない。ブログへのスタンスは下記の記事を書いたときから基本的には変わっていない。

「書く」ことも「書かない」ことも尊重される社会であってほしい。言語学研究者の田川拓海さんが語る「ずぼらなブログのすすめ」 - 週刊はてなブログ

それでも、X(前Twitter)のような場ではないところに文章を書きたいなと思い立った人が、気軽にさっと書けるような環境やサービスが整備されていると良いなと思う。でもそうすると結局それでマネタイズできるかとかスケールするかとかの話が出てきて、スパムとか広告とかPVや閲覧数に関する悩み辺りからも逃れられないということになるのかな。いつかうまく(部分的にでも)乗り越えられる日は来るのか。