誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

MacBook Airが故障して工場送りに

はじめに

昨年購入したMacBook Air (M2) が故障して今工場?で修理されています。

毎日持ち歩いていたメイン機だったのですが購入してからまだ1年とちょっとなので「何もしてないのに壊れた」感が少しだけあります。

症状と診断

描画が全体的に変な感じになってしまいました。文字が部分的にしか表示されないとか、アプリによってはウィンドウの中がぜんぶ一色に塗りつぶされたような感じになったり。

コンピューターでできること自体にはあまり影響がない(たとえば文字は表示されていなくても選択したりはできる)のと再起動すると良くなるのでだましだまし使っていたのですが、やはり見た目が使いにくいのと一番ひどいときは操作自体をまったく受け付けない状態になるという症状も出てきたので修理に出すことに。

一応相談してからと思ってApple StoreのGenius Barで見てもらったら、即工場送りかなあという話になり、私もそんな予感がしていたので即決しました。初期化される可能性が高いということも言われましたが、私はコンピューターのセットアップ自体もそれほど嫌いではないのと初期化が良い整理になることもあるのでお願いしました。

修理代はかからないということでした。1年過ぎていたのでApple Careに入っていて良かったのかな。

これまで

思い返してみると、Macがこういう形で自分の手に負えない悪い状態になるのははじめてです。

これまで12インチMacBookやM1より前のモデルのMacBook Airも毎日持ち歩いて使っていましたが、故障したことはなかったんですよね。MacBookの前はLet's noteを何代か使っていて、こちらもやはり壊れたことはなかった気がします。

それで今回修理初体験なんですけど、マシンが今どういう状況にあるのかというのがSMSで送られてくるしwebでも確認できるようにもなっているのは良いですね。

M2 MacBook Airの性能にはとても満足しているのでまた以前と同じように使えるようになって戻ってきたら良いなあ。

戻ってくるまで

修理が終わって戻ってくるまで1週間くらいかかるかもしれないということなので、前に使っていたMacBook Airを引っ張り出して代替機にしようとしています。いちおうほかのマシンがあるので家でも研究室でもコンピューターがないという状態にはならないのですが、モバイル機が1つあるとなにかと便利なんですよね。

このMacBook Airはintel機で、ちょうどコロナ禍が本格化するときにM1と迷った上で買ったものでした。特に2020-2021年は酷使したにもかかわらず問題はなさそうです。今の状況ではM1の方を買っておけば便利だったなという気もしますが、当時はM1もまだそれほど使い勝手が良くなくてコロナ禍がどうなっていくかまったく見通しがきかないという状況でしたので、intelの方にしたのはやはり良かったのではないかと思います。

修理終わった

この記事を書いている途中に「修理完了のお知らせ」というメールが来ていました。もう郵送もされたようです。今朝Appleに届いたという連絡が来たところだったので半日程度で済んだということは深刻な症状ではなかったのか…1週間待つことを覚悟していたのでやや拍子抜けですが良かったです。でもまだ戻ってきたものをチェックしないと安心はできないのかな。

コンテンポラリーバレエとパウル・クレー

ここさいきん縁あってバレエを見る機会があり、コンテンポラリーバレエを見ている時間が嫌いではないことに気付いた。

なにか分かるとかそういうことではない。だいたいバレエについてはほとんど素人だ。

確かに、テーマとの関連が感じられることもあるし、個々の身体の動かし方に目を奪われることもある。テレビだと前後に簡単な解説が付くようなこともあり、そういうのを聞いているのも楽しい。しかしおそらくただ見ているのが良いのだ。

思うに、特になににも考えを巡らせずに鑑賞できる時間というのが好きなのだと思う。

どうも身の周りのあらゆることについてついなにかを考えてしまうくせがあり、こういう時間を与えてくれるものは意外と少ない。

私にとってそういう位置付けにあるものの1つに、パウル・クレーの絵がある。

アイコンなどにはいわゆる天使シリーズのものを使ったりしている(していた)が、実は抽象性の高い(といって良いのだろうか)作品が好きである。というか、そういう作品の前に立って見ている時間が好きだ。

別に作品のテーマについて考えたり、解釈や解説を読んだり聞いたりするのが嫌いというわけではない。それはそれで楽しい。

このことに気付いたのは、コンテンポラリーバレエについてポジティブな評価を述べた際に理由を聞かれて答えに窮してしまったことがきっかけである。なんとなく良い時間だったという感じで答え方が難しい。

パウル・クレーの絵についても好きな理由を答えるのが難しい(というかその後の会話が続かない)のでふだんはあまり自分から話題に出すことはなかったりする。

なにも考えなくて良い時間を持てることは素敵なことだ。

BlueskyとTwitter雑感2

Blueskyでもハッシュタグやミュート機能などが正式に採用された。

Twitterっぽくなることについてwebでは賛否両論見かけたが、そういうのをいろいろ見ていて、自分はそれぞれのサービスで何ができるかということに(今のところは)それほど比重を置いていないんだなということを実感した。

では何に比重があるかというと、「その場に誰がいるか」ということだ。いまだにTwitterを完全には離れることができず何ならやっぱりいろいろ投稿してしまうのもTwitterでできたいろんな人とのつながり(やりとり自体はまったくなかったとしても)が魅力的だからだし、Blueskyが魅力的なのも、Twitterとはまた違った形で誰かとの接触があるからだ。

たとえばTwitterには合わずにアカウントを削除したりあるいはアカウントを作っていなかった人たちがBlueskyではアカウントを持ってくれたりするとおもしろくなるかなと思うのだけれど、Blueskyも人が増えてきてあまりポジティブな未来は予想できないので、ちょっとだけ期待するのにとどめておく。

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