書いてみるとお前誰なんだという感じの内容になってしまいましたが、一読者の雑な感想として。
を読んで。
このタイトルの通りの発言だったら賛成する人も多いんじゃないかなと思うんですけど、元のApeman氏の発言からそこまでは読み取れなかったなあ。
で、
ここで問題となるのは、「疑似科学」と表現された時、どうして歴史修正主義を頭から除外してしまうかということ。
個々人が別個の問題にもとりくむべきという話ではなく、疑似科学に歴史修正主義がふくまれることを理解するべきという話 - 法華狼の日記
については、単に「科学」が「自然科学」の範囲を指すことばとして用いられていることが意外と大きいのではないかと感じます(もちろんそれ自体が問題だという指摘も含むのでしょうが)。
実際、僕の専門の言語学でも「疑似科学」と言えるような事例は色々あるのですが、普段触れる「科学」「疑似科学」についての言説を見ると、「これは言語学のケースなんかは想定されてないだろうなあ」と思うことも珍しくありません。まあ「言語学」は分野として認知度が低いということも多分にありそうですけど*1。
困った時は苦し紛れに「ニセ学問」とか使ったこともありました。実際、どうするのが良いんでしょうかね。もちろん人文社会系研究の大部分も広義では「科学(的)」だ、という認識が広く共有されるのがベストなんでしょうけれど。
あと個人的に、hokke-ookami氏のエントリでここ重要だなと思ったのは、注1にある
「疑似科学批判クラスタ」というくくりも認識できていない。
個々人が別個の問題にもとりくむべきという話ではなく、疑似科学に歴史修正主義がふくまれることを理解するべきという話 - 法華狼の日記
というところです。注に入れてあるのがもったいないぐらい。
僕の観測範囲だと、疑似科学に批判的な人たちには、
- 「事実」が重要
- 歴史学には、歴史に関する事実を高い精度で取り扱える方法論/ノウハウ/蓄積がある
ということには賛同する人も多くいるのではないかと思うのです。もし問題になる一部の「疑似科学批判クラスタ」についての話であれば、せめてもう少し具体的に限定すると変な反発も減るのではないかと*2。実際、僕が想定している「疑似科学批判クラスタ」の範囲と、Apeman氏やhokke-ookami氏の想定範囲が大きくずれている可能性もあるわけですよね。「○○という特徴を持った疑似科学批判クラスタ」と書いてもらえるだけでもだいぶ理解の助けになるのかな、と。
ことばでくくるって便利だし、しなければならない場面も多いのですけれど、くくることで変な分断が生まれてしまうのは残念だなと思います。
ある分野に携わっていると、他の分野と折り合いがつかないということはどうしようもなくあることなので、必要な対立というのも多々あるのでしょう。ただ、僕自身歴史学も自然科学も素人で、webで色々な方が情報発信してくれていることに大変助けられていますので、今回のような状況は気になるところです。