副題は「サイエンスの目的と方法をさぐる」…やっと学問関係の記事だ。いかに正月ボケのリハビリが上手くいってないかがよくわかる(苦笑)
科学哲学の入門書です。高校生や学部の一、二年生へ、って書いてあるけど(科学)哲学を専門としないが、興味/必要のある人にとっては最適な書なのではないかと感じた。
内容はこれまでの知識の整理にもなる上にかなり刺激的だったけど、そこには踏み込まず、著者についてと言語学との関連を。
著者戸田山和久について
著者の戸田山和久は日本人で好きな哲学者の一人。好きっていうか学問(哲学)に対する姿勢と議論のやり方に非常に共感を覚える。ちょっと挙げると、
- 反懐疑論/悲観論
- 平易な言葉遣いで議論を展開する
ってところだろうか。一番目は「なんとかなるだろう」っていう楽観論とはちょっと違う。強力な懐疑論や悲観論を真っ向から受け止め、克服しようとする立場だ。信念と言い換えてもいいかもしれない。
二番目も重要かつ特徴的な点。戸田山さんや野矢茂樹さんの本は入門書はもちろん専門的な本や論文にも哲学と言えば一般的に思いつくような難しい言い回しはほとんど出てこない*1。おかげで僕のような素人でも結構楽に理解することができる。特に重要なのは「何が問題なのか」「何がわかっていないのか」という点をうやむやにせずはっきりさせてくれるということだ。哲学は答えることにではなく問うことに意義があると考えれば、僕のような素人にも哲学をする機会を与えてくれる。
この「平易な言葉遣い」というのは自分の専門の論文や発表などでも実践しているつもりなのだが…どうだろう。
言語学と科学哲学
科学哲学ってなんとなく色んなところで断片的な知識は学ぶと思うけど、言語学、特に生成文法のような理論をやるのであれば、やっておくにこしたことは無いと思う。
生成文法に限らず「演繹」「帰納」について悩まされた(ている)人は結構いるんじゃないだろうか。この本はそのあたりの議論も結構突っ込んだ内容がわかりやすく説明されている。
生成文法で研究している人はそもそも同じ言語学の他の立場からのディフェンスが大変だけれども、「学問全体にどのように位置づけられるか」という点でもまだ曖昧な部分があるし、攻撃対象にもなりやすいのではないだろうか。
そういう理論全体のディフェンスはチョムスキーとか偉い人に任せるっていう研究コミュニティーの社会的性質を利用する戦略をとるのが楽なんだろうけど、各研究者も問題意識ぐらいは持ってないと時々色んな意味で道を外れてしまうことがあるような気がする。まあ、それが悪い結果を生むとは限らないってのも学問の面白いところだけど。
でもやっぱり理論ってのは究極的には内側からしか批判できないし、またされるべきだろうと思うので。このあたり戸田山さんの「自然主義」がちらつくところだ。
まあ僕がねちねち考えるのが好きだからこんなこと感じるのかもしれないけど、自分の学問上のアイデンティティーをはっきりさせるためにも、言語学に疲れた時のリフレッシュのためにも(笑)楽しくかつ有意義な分野だと思う。
こういう議論が好きな方には同じく戸田山さんの『知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)』もオススメです。
*1:もちろん専門用語は別