誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

ドクターコースへ行った人バトン(追記するかも)

 yumizouさんのエントリ↓を見て勝手に受け取ってみることにしました。

 僕は後十日も経たずに院生ではなくなってしまうのですが、その前に記録しておくのもいいかな、と思ったので。
 あ、僕の専攻は一応言語学(理論言語学、日本語学)です。
1.マスターからドクターに進むとき、迷いはありませんでしたか?
 筑波大学は博士一貫制なので、そのタイミングでの悩みはありませんでした。同じタイミングだと修士取得退学するかという決断があるのですが、就職の見込みも無く、ふがいない自分の修士論文*1にリベンジを誓った身としては、ほとんど迷わずに博士課程に残ることを選択しました。
 で、学部から一気に博士課程に進むことについてですが、これはやっぱり悩みました。でも、周りの友人やweb上の意見と比べるに、それほど悩まずに進学を決めたように感じています。実際は、数人の院生の先輩に(うちのコースの)博士課程の院生ってのがどんなに辛くて大変か具体的な話を聞かされ、何度も念押し(説得?)されたのを覚えていますが、そこで止まることはありませでした。僕はギャンブルの類は一切やらないのですが、一番肝心なところで危険な賭けに出るという困った性格のようです*2
 その要因で思いつくのは二つほどあります。一つは親の理解。大学に進学する時から、行きたかったら院まで行って思う存分やってこい、と言ってもらっていたのが大きかったと思います。その点で(もちろん他の多くの点でも)親には感謝していますが、言語学の博士課程というのもについてもっと詳しい情報を得ていたらもしかしたら止められたかなあ(^^;なんて思わないこともありません。
 二つ目は、卒論執筆を通して「(勉強ではなく)研究がやりたい」という意志を明確に持てたこと。今読むとまあ赤面せずにはいられない可愛い卒論でしたが、卒論を作り上げていく過程で、研究とは何か、勉強と何が違うのか、それがどんなに厳しく辛く楽しいのか、ということを少しでも実感できたのは大きかったと思います。
 ただ一つの懸念は僕の飽きっぽい性格でした。二年ぐらい経って言語学に飽きちゃったらどうしよう、という不安があったのですが何のことはない、飽きるどころか年々楽しくなっています。
2.学部生の時や修士の時、どうして研究者になろうと思いましたか?
 体育会なんてものに入ってたので、学部の三年生までは実質的な時間の多くを部活動に捧げていました。
 で、転機は三年生の頃に出会った哲学と物理学でした。哲学のロジカルな議論の運びと、物理学のこの世の出来事(現象)を捉えていく方法論とその歴史にかぶれました。今思うとまあ恥ずかしい学生だったのですが、その頃哲学、物理学だけでなく生物学や心理学など幅広い分野の本や論文を読み漁れたのは自分にとって良かったと思います。とにかく専門家ではないためにどれを読めば良いのか勘がきかないですよね。そこで僕は「じゃあとにかくたくさん読めば良いじゃん」と思ったのです(もちろんある程度の情報収集はしましたが)。いやあ、学生って素晴らしい。
 そうして、僕は「なんとか”科学”に携わる仕事に付きたい」と思うようになりました。でも、今更理系の学部に入りなおす根性もお金も時間もあるはずがありません。そこで僕が取ることのできた選択肢が「言語学」だったのです。
 実は三年生まで言語関係の授業は最低限しか履修していませんでした。ところが、これがやってみると面白い。特に演習のように自分で色々調べて考察して発表、という過程はかなり刺激的でした。それにとどめをさしたのが上で書いた卒論執筆の経験です。卒論を書き始める頃には僕はすっかり言語学(正確にはその頃には「文法研究」)の虜になっていたのです。
 というわけで、僕は最初に言葉/言語に興味があって言語学を選択したわけではないのですね。もちろん今では言葉/言語そのものも大好きですけど、科学→言語学→言葉の研究、という風な段階を経ました。これが僕が今でも「科学」そのものや他の分野とのつながり(あるいは他分野の研究そのもの)にもこだわり続ける理由なんですよね。ちなみに、生成文法を使って研究をするようになったのはその辺りとはまた独立した理由というか原因がいくつかある(科学だから生成文法、というわけではない)のですが、それはまた別の機会にでも。

 なんか色々書き忘れているような気もしますが、ひとまずこんなところで。

※あまり他の人にとってあまりは参考にならない内容のような気がするorz

*1:正直、卒論よりつまんないもの書いたような気がしている。

*2:しかし院への進学を「入院」と呼ぶのにはびびった(笑)