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歯切れが悪いのは仕様です。

【思い出】ロバと例文と夏期講座

 少し前に、世界的な言語学者であるIvan Sagが亡くなった。
 以下は郡司隆男氏による記事(文中の「彼」はSagのこと)。

ずいぶん前の話になるが、今でも時折思い出すのは、彼が、ある指導学生の研究発表のときに、内容でなく、例文の作り方に注意をしたことである。言語学の論文では、しばしば例文を自分で作る。その言語の母語話者ならば誰でも容認するであろう例文と、誰も容認しないであろう例文を並べ、理論の予測を検証するのである。

例文には、議論のために、特定の文法構造をもたせる必要がある。例えば、主語と目的語をとる他動詞を含む例文が必要な場合がある。そんなとき、安易に他動詞を選ぶと、英語でも日本語でも、「殴る」とか「殺す」というような、よく考えると物騒な動詞を使ってしまいがちである。

彼は、そういう、例文のもつ暴力性に敏感だった。研究発表の場でも、当該の学生に「何度言ったらわかるんだ」というような言い方で、例文の中の動詞を批判していた。確かに、他の他動詞の例として、「褒める」とか「なでる」などがないわけではなく、意識的にそのような動詞を選ぶべきだったのだ。
神戸松蔭女子学院大学 G's diary: 「ことば」を残す

 2002年の言語学会主催の夏期講座(長野、白樺湖水源荘)で郡司氏の形式意味論の授業を取った。修士一年の時。
 ロバ文(donkey sentence)を扱った回で今でも忘れられないのが、郡司氏の例文に関する話である。氏はロバ文として以下の例文を挙げて、

  • Every farmer who owns a donkey pats it.

「意味論の研究ではロバは何十年も殴られ(beat)続けてきてかわいそうなので今回は優しくたたく(pat)ことにしました(大意)」と言ったのだ。その時は聞いていて「こういうおしゃれなこと言える研究者になりたいなあ」ぐらいのことをぼんやり思っていたのだけれど、上の記事を読んで、そういう背景があったんだな、と懐かしく思ったので記録もかねてここに書いておくことにした。
 僕も研究テーマ上割と物騒な述語を使いがちなのだけれど、そのたびにこのエピソードを思い出す。
 ちなみにこの時は大学院入りたてで目標をうまく定められず、また自分の能力の無さに落ち込んでいる時期だったのだけれど、この夏期講座の授業がどれもそんなことを吹き飛ばしてくれるぐらい面白く、間違いなく自分の研究人生の転機の一つになった。これに参加してなかったら大学院で頑張り続けることはできなかったかもしれない。それ以来なかなか参加できていないのが残念だ。
 授業以外でもM1のよくわからない質問に丁寧に付き合ってくださった先生方には本当に感謝である。
 最後に一つだけ述べておきたい。
 毎日毎日卓球でうるさくしてすみませんでした!