誰がログ

歯切れが悪いのは仕様です。

大学での言語能力と授業のレベルについてちょっとだけ

 こんな記事が出て、

ヤマザキ学園大(東京都)では、必修科目の英語で、be動詞の使い方などを教える授業が行われており、同省は大学教育にふさわしい水準に改めるよう求めた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140212-OYT1T01253.htm

大学教育関係者から色々ツッコミが入っております。
 僕も何か書こうかなと思ったのですが、下記のエントリに

簡潔にまとめられていましたので、ここではちょっとだけ。

大学では求められるレベルや目的が新しくなる

にも書いたように、僕は今の大学で日本語の言語能力、特に文章表現に関する授業を複数担当しています。
 そこで授業の最初に必ず話をすることの一つに、「大学では求められる言語能力の質やレベルが変わるので、「文章なんか小論得意だったしもう書けるよ」なんて思わずに真剣に取り組んでほしい」ということがあります。
 実際、特に人文系なんかだと自由に書かせた文章ではなかなかうならされるものを書いてくる学生もいます。しかし、そういう学生がそのままトレーニングを積まずにすんなりレポートや論文を書けるようになるかというと、それはまた別の話です。
 なぜかというと、いわゆるアカデミックライティングでは、求められる技術や知識が高校までの文章作成とは違ってくるという側面があるからですね(最近は高校まででそれに近いトレーニングをするところもそこそこあるようですが)。
 他にも、授業中にノートを取るのも、全体的に高校より難しくなることが多いのではないかと思います。

 大学の教養科目、初年次教育、リメディアルなんかに「大学までいってそんなこと…」という意見が出る場合、この「求められるレベルや目的が異なると、求められる技術や知識も異なってくる」という視点が抜けているのではないかと思わされることが多いです。
 あと、言語能力って第一言語も第二言語も明確にレベルはあり、地道なトレーニングの積み重ねで伸ばしていくことが必要なのに、「ここまでできれば後は楽勝」っていう水準にはなかなか達しないという難しさもあると思います。
 こういうのにケチを付ける皆さんは、普段言語の運用で悩まないんでしょうか。僕は毎日メール書くのも、論文書くのも、ブログ書くのだって悩みまくり、修正しまくりです。
 ただ、そういう教育を大学でどこまでやるべきなのか、大学のどの時間を使ってやるべきなのか、という議論はこれからもしていく必要があると思いますけどね。たとえば、論文の書き方に関する具体的な技術やルールなんかは教養科目ではなく専門の授業やゼミでやった方が良いということがあるでしょう。

今の学生は能力が低い?

 そこそこいくつかの大学で非常勤などしていましたが、ほとんどそう感じたことはありませんね。まあ僕も15年ほど前は学部生だったので、「お前らの頃からすでにレベル低かった」と言われると言い返せませんが。
 最近驚かされるのは、プレゼンに関する技術や知識の水準が平均的に入学当初から高いことです。これは学生からの体験談などを聞くに、小中高での教育の賜物なのではないでしょうか。でも言語能力に関する悩みを聞くと「プレゼンが苦手」って思っている学生は結構多いのが興味深いところです。小さい頃から「プレゼンできないとダメだぞ」って言われてきたんでしょうかねえ。
 学生の皆さんには「大学にまで行ってそんなことやってるのか」みたいな声にはあまり惑わされず(発憤材料にするのは良いかもしれません)、自分がやりたいこと、自分にとって必要な技術・知識の習得のために言語能力の基礎をしっかり身に付けてそれを基盤にしたトレーニングを大学にいる間にたくさん積んでほしいと思いますね。

基礎に立ち返る

 ところで、「大学まで行ってそんなこと…」って言う人たちは、「求められるレベルや目的が変わると、当たり前だと思っていたことや基礎的なところが新たな問題として立ちはだかってきて、そこに立ち返らなければならなくなる」ような経験ってないんでしょうか。別に大学でそういう経験をしなければならないというわけではないですが、大学はやはりその機会や出会いがたくさんあるところなので、一度は経験してほしいです。
 もちろん、そのためには大学としての環境作りや教員の力量、努力が必要なんだろうと思います。いや、これも僕自身が新米ということがあるんでしょうけれど、なかなか難しいです。
 どうも今日は普段以上に「先生っぽい」感じのエントリになってしまったような気がしますが、この辺りで。