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日本言語学会第167回大会雑感(ワークショップのみ)

はじめに

先週末、同志社大学(京田辺キャンパス)で第167回大会がありました。

www.ls-japan.org

今回も大会運営委員として参加したのですが、今回は後日配信用の動画を撮影する業務を担当したこともあって、特に担当した会場についてはけっこう発表を聞くこともできました。

研究発表などにも面白いものはあったのですが、ワークショップについてのみ簡単な感想を書いておきます。なお、研究用のメモですので内容や用語の紹介・解説をしたりといったことはしません(それぞれ進展中の研究なので意図的に研究を聞いた人にしか分からないくらいの感じで書いているということもあります)。また、下記で言及している文献もほぼ記憶だけで書いていますので参考にする場合はお気を付けて。

ワークショップ「統語・音韻部門におけるインターフェイス方略の性質について」

生成統語論系のワークショップです。主に理論的に気になったことの一部について書きます。

北田伸一「統語・音韻インターフェイスの観点から見る連結要素「の」の分布」

ここで取り上げられている「の」のような要素はどちらかというと何らかのrescue的な感じで(後で)入れられるという発想に基づく分析が多いような印象があるので、syntaxでは常に入れておいてpost syntaxで可能な場合だけ消すという発想は面白いのではないかと思った。特にpost-syntactic operationは随意的でもまあ(syntaxよりは)大丈夫なのでその点でも理論的な問題を回避できそう。

経験的な議論については北田氏自身もまだ詰めるところがあると述べていたように思うし、質疑でもけっこう問題点が指摘されていたのでここでは触れないが、特に「の」がない場合にその句が本当に名詞句(DP)内で認可されているのかというところは細かく確認する必要がありそう。

分析案を見ていると「の」の削除(英語のofの削除も同様)は内容語/機能語といった情報を参照して操作をかけられるということなので、post-syntacticな操作だけど統語的な情報を参照できるっていうことになるから、どのような情報をどれくらい、どの時点まで参照可能と考えるのかというのが理論的な論点としてはあり得る。この辺りEmbickが何かの研究でちょろっとやってたはず。分散形態論でやるならImpoverishment(素性の削除)もObliteration(節点の削除)もけっこう早い段階でやるのでそこまで問題はなさそう。ただこの辺りの詳細についての話はなかったように思う。

佐藤陽介「統語・音韻インターフェイスにおける必異原理違反と抹消による回避:インドネシア語のmeN-の分布を中心に」

関連文献の一部を読んだことがあるのと分散形態論をはっきりと用いているということもあって一番内容が入ってきやすかったが慣れてない人にはまず現象の把握から大変だったのかもしれない。

理論的に面白いなと思ったのは、かなりカバー範囲の広いfilterを満たすために形態操作の1つであるObliterationが設定されているところ。filterとObliterationの両方の形式化をちゃんと書くとたぶん部分的に重なるので一見redundantに見えてしまいそうだが、Obliterationなどの形態操作はそれを仮定すると適切な形態が出力されるというくらいの動機付けで設定されていることも珍しくないので、形態操作の根拠として一般的なfilterやconstraintがあるというのは1つの手だなと思った。

生成統語論はMPになって以降derivationalなモデルになった(戻った)ので音韻論の方でOTがやるように複数の出力(表示)を直接比較して良いものを選ぶというのが難しいのだけれど(たぶん)、filter/constraintを満たすために実際に行われるのは形態操作の適用とすることで、その辺りの理論的な問題点も回避できているのではないだろうか。ただこれは自分もちょっと自信がない。

あと、ここで形態統語的なOCPとして仮定されているvP edgeに同一の形態統語素性が存在するとダメという条件(制約)はものすごく適用可能範囲が広そうで、発表の中でも他言語の検証が例示されていたが、相当大きな(多くの)予測を持つのではないだろうか。その分やることがたくさんできて面白そうでもある。実際自分もなんかやってみたくなった。

ちなみにObliterationの訳として「抹消」とあるのは良い訳だなと思った。完全に消しちゃう(後に何も残らない)操作なんですよね、これ。私もちょうどさいきん出た論文でこの操作を使っていて、そこでは「切除」としている。これはObliterationが(素性ではなく)節点の削除なので「切る」という感じを出したかったから。

土橋善仁「統語・音韻インターフェイスの観点から見る時制要素 T の具現形:英語とイタリア語を例に」

確か質疑の中でしか出てこなかった話なのでそれで良いのか確認が必要かもしれないが、head movementにhead adjunctionとAmalgamの形成の2種があるのと同じように、形態操作でもAmalgamを作るものがあるという発想は面白いと思った。

分散形態論の今の枠組みでも特定の素性をFissionしてLoweringしてそこでまたFusionすれば土橋氏のアイディアを技術的に実現すること自体はできる。ただここでLowering+Fusionではなく(Loweringの後に)Amalgam形成があるんだというなら新しいアイディアで、何らかの形で経験的に検証可能な分析は作れそう(たぶん)。分析としてはまさにFusionを使っているSiddiqiのものに近くなるのかな。経験的なところでSiddiqiの研究と予測に差が出せるかどうかまではよく分からない。

そもそもmorphological mergerの発想の元(の1つ)ってhead movementみたいなことがいろんなタイミングで起こってるってところにあったりするから、head movementがAmalgamを作るのなら、形態操作の方でも似たようなことが起こってるかもってのはそんなに変なアイディアではない気がする。Embick and NoyerでLoweringとLocal Dislocationが区別されたときもそういう話があったような。

head movementはadjunctionだけじゃない(substitutionとかもある)って話はけっこう前からあって、でもその後やっぱりadjunctionだけのちょっと変なmovementっていう感じで一般的には受けとめられてたと思うんだけど、その辺りも見直しが進んでいるんだろうか。あまり詳しくsurveyしてないけどさいきんhead movement絡みの発表けっこう見るなと思ってたので誰かがこの辺りの問題はすでに整理してるのかもしれない。

経験的には、というか形態論的には、head adjunctionの場合は接辞が出てきてAmalgamの場合は語幹と屈折要素が分離できない(ごちゃっと一体化している)というシンプルな対応が想定されているところが、そんなに簡単にいくかなあという印象を持った。土橋氏も自身で時折簡単に言及していたように思うが、語幹部分がsuppletionになってるけど接辞部分は規則的みたいな「不規則」のパターンもあるし、英語の動詞の過去形だけ見ても全パターンちゃんとやるなら意外と厄介だと思う。土橋氏もイタリア語では屈折接尾辞に強勢が置かれる場合があるっていうことに触れていたけれど、語幹に強勢があるか接尾辞に強勢があるかで補充形になるかどうかが左右されるなんて現象もあるんですよね。あれ分散形態論でやるとけっこう難敵だと思う(ということをたまたまこれから出る原稿に書いた)。